役割
師匠の屋敷の食堂にあたる場所は談話室と隣接していて、扉を開けたまま俺はアイリスと、彼女が抱いたままのオリーヴとそちらのテーブルに付いた。
男三人は向こうで酒を飲むらしく、団長には邪魔はしないと言われている。
師匠もいるから荒れた酒の場にはならないだろう。
何度か彼がマスターたちと酒を酌み交わす場を知っているが、酔っているところは見たことがない。
ギルバートの酒癖は知らないが、最悪俺が浄化の魔法をかければいいか。
『言葉はどうしますか?』
『なら……』
日本語で俺が話しかけたあと、少し迷ってアイリスは言う。
「こちらで」
「わかりました」
彼女がこちらに来てもう十六年だからか、言葉に困っている様子はない。
何か考えることがあるのか一度視線を食堂へ向けて、王国語で話し始めた。
「聞きたいのは彼のこと?」
「はい。貴女の協力を得られたことは大きいでしょうが、おそらく、私が相手にすることになるかと」
「……私も魔法は、今も一応」
確かにアイリスに関しても、この世界のニンゲンで魔力量は三番目に入ると思う。
戦えば有象無象がいくらいても蹴散らせるだろう。
だけど、それでも彼女が竜を討てるとは思わないし、何より──
「子にとって、親というものはかけがえのないものですよ」
「っ……」
彼女の腕の中のオリーヴと目が合ったので、手を振っておく。
振り返してくれるような歳ではないようで、そのまましばらくしたら目を逸らされた。
「団長も言っていたでしょう。国民に負担が無いよう尽力すると。非戦闘員として勘案しています」
「戦わない……? なら私の仕事は?」
「おそらく魔力供給を手伝っていただくことになるかと」
有り体に言ってしまえば魔力タンクだ。
だが、それだけで大きな役割である。
この世界では人口より魔力量こそが国力であると考えられているし、実際に常人の千倍の魔力を十全に操れる戦士がいれば、武装した常人千人に勝ると考えていい。
アイリスが持ちうる魔力を運用してくれれば余剰の魔力は増え、もし戦争にまでなったとしても戦力が浮くことになる。
軍団を支援する転移陣などは多大な魔力が必要になるから、手が空くことはないだろう。
「もし我々が揃って敗北するようなことになれば、その時は自由にしていいだろうと騎士団長も笑っていましたよ」
「それは……」
「それ以上はやりようがないでしょうし」
竜が明確な敵意を持って街を襲えば、通常の戦力ではやり過ごすので精いっぱいだ。
その上で敵国が攻め入って来たり、竜をも凌ぐかもしれない存在を相手にする必要が出てきたりすればお手上げなのである。
「おそらくここら辺の話は今後、団長からもされると思います」
「ええ……わかったわ」
アイリスの処遇についてメッセンジャーのようなことをしていたが、それはただ前提を共有しただけに過ぎない。
ここからが今日の本題だ。
「ヒロト・サクラギの行動に、何かしらの推測は立つでしょうか」
「なんとなくだけど、多分ね」
そこから口に出されたのは、俺としてもどこか理解の行ってしまう話であり、当然の帰結であろうものだった。
「復讐だと思う。元の世界から連れてこられて、訳の分からないまま戦わされて、トモヤくんや……レンさんたちまで居なくなってしまったから」
「この国への、ですか」
「そういうことになるかしら」
アイリス・ウィリアムズは当時を語る。
転移者トモヤ・イトウは戦地にて力を振るうことで良心に苛まれ、自ら己に手をかけた。
レン・タウンゼントらの義に駆られた騎士は、国王の謀略によって抹殺された。
桜木大翔はレンたちの訃報が伝えられた翌日、王国から逃亡した。
藤堂愛莉はヒロト・サクラギの誘いを振り払い、この地に残った。
「サクラギは、何と?」
「誰もここでは守ってくれないから。もう今はここにいる全員が敵だから。違う場所で帰る方法を探そう。そんな言葉だったわ」
彼はここではないどこかを望んだのだろう。
そして十年以上の年月を経て、北の大国と繋がる位置に立った。
冒険者の知識もないだろうまま過酷な大陸を独り進み、北の果てまで辿り着いたということだ。
その間に彼が何をして、何を考えたか、俺の想像はきっと及ばない。
「ありがとうございます」
「いえ……いえ。何か役に立ったかしら」
「ええ、もちろん」
だけど、あの”黒”の理由に納得がいった。
銃を作り、北の大国に付いている理由も。
「彼の相手ができるのは、おそらく私だけでしょう」
「本当に、力になれない?」
「失礼ながら肯定を。それとも一度、私と手合わせでもしてみましょうか」
少しだけ、力の枷を緩める。
食堂の方の気配が急にシンとして警戒を始めたのが分かったし、何より目の前の赤子が驚いて硬直してから、顔を顰めてしまった。
魔力をいつも通りに戻してから、泣いてしまった彼女をあやす母親の手伝いをする。
赤子は大人よりよほど魔力に敏感で、母親の魔力に包まれると泣き止むから、そちらに意識を向けさせてやればいい。
微量の魔力を操って、俺から気を逸らさせる。
魔力量の話に戻ろう。
アイリス・ウィリアムズの魔力量はおそらくこの世界で三番目だが、俺とはまた一段の隔たりがある。
魔力の質でも、魔力の量でも、使い方でも、俺が彼女に負ける気はしない。
転移者と転生者の隔たりというわけではなさそうだ。
おそらく、最初の魔力量は死後数日が経っていた俺の方が少なかったと見ている。
今日までの十年以上、魔力を増やし続けてきた俺の鍛錬の成果だろう。
「今ので十分よ……サクラギくんのことをお願い」
「承りました」
過酷な十年があったことを考えると、サクラギの魔力量はアイリスを上回っているだろうし、魔力の扱いにもより長けていると想定した方がいい。
本当にこれからヒロト・サクラギが攻め込んでくるかはわからない。
それでもやはり、最悪を想定して動いておこう。
俺はこの国で育ち、この国を守りたいとも思う。
相手にできるのが俺ぐらいなのであれば、全力で役割を果たそう。
『ああ、最後に』
眠る赤子に意識が向いていたところで、俺は切り出した。
これ以降は余談である。
アイリスにはすでに、与太話程度に聞き流してほしい。
『日本語で?』
『エルフの森で大精霊に、あちらへ帰るためのヒントを与えられました。俺がサクラギの相手をする、一番の理由です。説得の材料になりそうですし』
少々の困惑があったところに俺が切り込めば、アイリスが目を見開く。
元は黒い瞳をしていたのだろう彼女は、おそらく、変装ではなくすでに身体を作り変えて蒼の目を手に入れている。
『本当なの……!?』
『まだヒントを与えられただけですが、俺とサクラギが手を組むことができたなら、実現はすぐかと。……藤堂さんも乗りますか?』
おおよそ、探し回っても見つからなかっただろう帰還の手段だ。
魅力的に感じるのは、転移者である彼女にとってもやむを得ないことだと思う。
それでも、眠った娘を抱きしめながら、彼女は首を振った。
『私はもう、アイリス・ウィリアムズなの』
『なるほど。聞かなかったことにでもしておいてください』
彼女はとっくに、あちらの世界を振り払ってしまっていたらしい。
彼女にとっては十六年の年月である。
積み上げたものの大きさは、俺以上なのだろう。
「今日はありがとうございました、アイリスさん。そろそろ良い時間でしょうか」
「ええ……そうね。明日も近いですし、帰らないと」
まだ何か聞きたそうにしていた彼女であったが、俺がまとめにかかると抗うことはせずに乗ってくれた。
食堂の方はフランク団長だけ楽しそうで、ギルバートは酔っているようだが難しい顔をしていて、師匠はギルバートが何か言っているのを困った顔で聞かされていた。
大方、普段の業務の愚痴とかだと思う。
師匠が団長の近くに居れば、ギルバートへの負担は大きくなかったはずだ。
「そろそろお開きか?」
「ええ」
団長の言葉に応えて、それぞれが解散に向かう。
別れ際、師匠がアイリスに頭を下げていて、彼女はそれを受け取っていた。
そういえば今日の名目は師匠からの謝罪だったか。
その後、少しだけ何か言葉を交わしていて、そういえば師匠は最後には解任されてしまっていたけれど、藤堂愛莉やサクラギとも面識が深かったのだと思い当たった。
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休日や非番の日の騎士団寮はそこまで規則が厳しくなくて、翌朝の集合にきちんと間に合えば文句を言われることはないらしい。
もちろん、遅れるようなことがあれば適切に処分される。
それは見習いでも同じらしく、師匠は屋敷に泊まることを勧めてくれた。
「ありがとうございます。師匠」
それからお風呂や部屋の説明を受け、また明日の朝にと就寝の挨拶をする。
「さて……」
けれど、考えたいことは山ほどあって、悩むより前にいくらか進めておきたい準備があった。
……ジャミングにも、慣れた。
王都に来て数日が経ち、都市魔法に刻まれている転移阻害の規則性も割り出している。
主人の弟子のためにとスターリング家の使用人たちが丁寧に誂えてくれた部屋を、申し訳なく思いつつ後にする。
辿り着いた先は最近規模を一つ大きくした秘密基地だ。
朝までは数時間だが、やれることだけでもやっておこう。
ありがとうございました。




