友人
それぞれに後始末を終えてから、煤けた建物を背にラスと拳を合わせた。
中の物こそ燃えてしまったが、人的被害はゼロ。
駆けつけるのは遅れたが、結果は上々だろう。
「金、貰わなかったのかよ。勿体ねえ」
「修繕にも随分かかるだろうからな」
先程まで謝礼として建物のオーナーから金貨の入った袋を押し付けられそうになっていた。
受け取っても良かったのだけど、こちらとしても困っていないから身分を明かして引っ込めてもらった。
ありがたいことに騎士を志す者として当然のことをしたまで、と言っておけばなんとかなる世界だ。
あとは勝手に恩でもなんでも感じてくれていればいい。
特に今後関わり合うことにもならないだろうし。
「お前こそ勿体なかったんじゃないか?」
「そ、それとこれとは違うだろ!」
顔を赤くしてそっぽを向いたあたり、冒険者として暮らしていても初心なままなのかと、呆れるような感心させられるような気持ちになる。
というのも、どうやら燃えた建物はそういう大人の店の寮だったらしく、ラスが助けたのは少し年上の新人店員さんだったという。
俺もオーナーから店をご利用されましたら、なんて言われたけれど、全くそのご予定は無いのでにこやかに断った。
ラスはオーナーからもサービスすると言われていたし、助けた女性からもぜひ精一杯サービスするから店に来てほしいなんて顔を赤らめながら言われていたけれど、どこで覚えたかもわからない社交的な笑顔でその場を辞していた。
「お前も断ってたし……断っただろ?」
「あ、そう。ならいいんじゃねえの?」
まあ、ラスの勝手か。
何か別の話を切り出そうと思っていたら、ちょうどいいところに人垣を割って見知った顔がいくつか出てきた。
ラスが今付いて回っている、ロイさんを筆頭にした“紅蓮の双剣”の皆さんだ。
「飛び出してったと思ったら……」
「まーた、人助けか?」
「すみません、いつも……」
「悪いことじゃあねえだろ」
「って、おま、レイじゃねえか! なんで?」
「学園は? やめたのか? 一緒に来るなら歓迎するぜ?」
「いえ、そういうわけでは……」
やれやれといった様子で迎えに来てもらっているあたり、すっかりラスもこのパーティになじんでいることが分かるが、またというのはどういうことなんだろうか。
王国騎士団へ体験で来ていることを簡潔に説明した後で尋ねてみた。
「えーっと、これで何回目、てか何人目だ?」
「この前の酒場のアンちゃんと、おととい手紙が来たエリスちゃん、その前はあの姉妹もいたし、えーっと」
「レイスターで会ったちびっこもじゃねえか?」
「あー、サラちゃん。懐いてたけど、あれは母ちゃんのほうが惚れてただろ」
「バーンズヴィーのエマ様が一番美人だったな」
「え、今日の子、まさか今こっち向いてたあの子? マジで?」
「……絶対まだ育つだろあれ」
「また断ってないよなあ!?」
「俺が助けたかったが!?」
……なんというか、うん、大体わかった。
「ラス、狙ってやってんの?」
「んなわけあるか!!」
食い気味に否定してきたが、ロイさんたちは揃って肩をすくめた。
一年やそこらの旅でそう次々に女性と縁を結ぶだけ結ぶのも罪作りというやつではないだろうか。
「なんだ、こいつがいろいろ走り回ってるだけだ」
「ラスがご迷惑をおかけしてます」
「ふん、一人で解決してるから特に問題ねえよ」
「おかげで俺たちも得してるとこあるし」
「おごってもらったり、布貰ったりな」
「縁は何にも生まれねえけど!」
がっはっはと揃って笑う先輩方に、俺とラス、それから多分唯一のやり手なのだろうロイさんは何も言わなかった。
……にしても、こいつは……
「誰の真似か知らないけど、無茶してんだな」
人助け、と言っても今日のようなことばかりだったらラスもラスで自分の身を危険に晒していることになる。
いつ怪我するかも分からないだろうし、実際失敗しそうなこともあったんじゃないだろうか。
「……」
「……」
優しく友人の心配をしていたら、なぜかラスもロイさんも目で何か訴えかけてくる。
何が言いたいんだろうか。
俺は無茶なんかしてないし……ってそういうことか。
「無茶し過ぎるなよ」
「……おう」
なんだかむず痒くなってしまった。
けれど、俺の背筋は伸びた。
俺より頭一つ半は背が高く、声も低くなってよく響き、顔は引き締まっているけど優しく笑えて、誰かを守るために迷うことなく駆けだせるこの幼馴染が、あの日から変わらずじっとこちらを見たままなのだ。
彼のためにもあまり無様は晒せない。
「こっからの予定は? レイ」
「特に。さっきまでも散歩してただけだし」
「ならギルド来いよ! 酒はー……ダメかもしんないけど」
騎士見習いをやってはいるけど、一応冒険者見習の資格は持ったままだし、ギルドに入るのをはばかる理由もないだろう。
騎士と冒険者は基本的にあまり仲が良くないけれど、まあ、なんとかなるはずだ。
「そうだな、日没までには戻らなきゃだからあんまり時間ないけど、お邪魔するよ」
「おっ、レイも来るのか! 飲むぞ!」
「おおう!」
「話聞いてました?」
「はっはっは」
観光はまた今度でいいだろう。
一度来てしまった王都だから、インターンの期間が終わっても俺ならいつでも来られる。
今は友人との再会を楽しむことにしよう。
****
さて、帰り道は走って帰らなければならなかったのは日暮れのぎりぎりまで話し込んでしまったからである。
ラスにはまた帰るまでにギルドへ顔を出すと約束した。
ラスはもう数カ月仕事の集まる王都周りで活動をしてから、成人を迎える年明けまでにトルナ村へ帰るらしい。
人の少なくなった街をさっさと駆け抜け、騎士寮に辿り着く。
「ああ、お帰り」
「ありがとうございます」
遅くなったと思ったけれど、寮の守衛には何も言われず、むしろ彼は感心したようににこやかだった。
どうしてか分からなかったけれど、すぐに得心がいった。
俺の後ろからも馬車や生徒たちの急ぐ足音が聞こえてきたからだ。
優等生とは言わずとも、見過ごせる程度だったらしい。
耳をすませばさらに遠くでもまだ足音がある。
その辺りが寮へ着く頃には日が沈みきっているんじゃなかろうかと心配しながら、俺にできることは何もなく、ただ自室へ向かった。
****
ドアを開けるとルームメイトは二つのベッドが左右に置かれた部屋の奥で、自分の机に向かいながら読書をしていた。
こちらに気が付くと、彼は本を閉じて机に置き、ひじ掛けに腕を置いて振り向く。
「ずいぶんと遅かったね」
「思いもよらず知り合いに会いまして」
「へえ。顔なじみの冒険者とか?」
「ええ。リーナの兄で、まだ見習いですが」
「ああ、君たちがよく話をしてる。王都まで来てたんだ」
日が暮れてからの読書とは。さすがは貴族、なかなかの贅沢である。
読書灯に使っているのは自前の魔法具でそれなりに値が張る代物だし、そもそも本だって市井に広く行きわたるほど安いものではない。
村の暮らしの中では共有物として子ども向けの本が何冊か教会から渡されていたのと、じいちゃんやばあちゃんも何冊か持っていたけれど、すべて貴重品扱いだった。
わざわざインターン先の部屋に持ち込んでいるから、どこかで買ってきたとかなのだろう。
「会ってみたいね」
「……紹介しますか?」
「いつか会うんじゃないかな。君のお義兄さんになるんだろう?」
「それは……ええっと」
「ふうん。披露宴の準備なら手を貸すよ。どこでも、それなりにコネは繋げるられるから」
やっぱり俺とリーナの結婚はもう傍目から見ても既定路線なのだなと考えつつ、強く否定する理由も無くて話を流す。
この世界の結婚の仕方はやっぱり風習が違って、役場に適当に届けるだけでは終わらない。
やることはシンプルだが、一週間以上を使ってようやく完了するものだ。
……どうしようかね。
今のままだとまともな就職は無理だなあ、と、インターンに来ながら考えてしまう。
いやだって、結婚のために二週間も三週間も休んでいられないだろう。
貴族様たちには今も側室を持つ者もいて、多分騎士団の中にも前例として何人かはいたはずだが、平民上がりの新人がいきなり、嫁を複数人取るので休ませてくださいとは言えない。
……冒険者なら個人の裁量だし、やっぱり団長の提案に乗るのが一番かもしれない。
そんなことを考えているとカイルが立ち上がり、ドアの方まで歩いてきた。
これだけで洗練された貴族の所作であると気づかされるものだ。
俺の横を通り過ぎながら、肩に触れて言う。
「まあそれに限らず、いつでも力になるさ」
「ありがとう、ございます……」
「というわけで行こうか」
「はい」
ドアを開けたカイルに対して分かったように返事をしてみたが、行き先は知らない。
この時間だと、談話室だろうか。
空腹だからあまり気は乗らないのだけど。
「本を読むのに集中しててさ、食事も忘れていたよ」
「そうですか」
カイルに対して適当な相槌を返すだけになった。
少し、驚いたのだ。
「何が食べられるかな。匂いは悪くないよね」
全くカイルは気にさせないように振る舞っているけれど、会話から分かった。
すっかり何も考えていなかったけれど、俺が一人で行動していれば目立つし、色々と声がかけられるかもしれない。
以前までの学園の中と同じだ。
大臣の息子という立場のカイルが居ればもちろんそれは和らぐし、退けられる。
もしかすると勘違いかもしれないけれど、それでも多分、カイルだから言ってしまっていいだろう。
「……いつもありがとうございます、カイル」
「なに、友人じゃないか」
笑顔で返されたが、少しだけ楽しげに見えた。
****
カイルが俺に対して気を遣ってくれているというのがさらによく分かったのは、それぞれ風呂や水浴びを済ませて部屋に戻った頃だった。
時計は無いけれど、消灯を促す午後九時の鐘が鳴ってそう経っていない。
「レイって安眠の魔法とか覚えてるよね?」
「ええ、一応、いくつか」
「なら、かけてくれない?」
「……いいのですか?」
怪訝な顔になってしまった。
それほどまでにカイルの言葉が意外だったのだ。
眠りの魔法は悪用も容易い。
日常生活の中では家族などの心底信頼できる相手や魔法医にしか頼まないものである。
「明日から本番だから、朝までしっかり眠りたくてね」
「お望みならばかけますが……」
「じゃあよろしく」
カイルが自分のベッドに腰掛けて、催促するように目を瞑った。
「明日の、起床の鐘がなる前には効果が途切れるはずです。それから、非常時には起きられるよう、浅めに」
「うん、それでいいよ」
二つ返事が返ってきたけれど、本当に俺がかけてしまっていいのかと戸惑いもあった?
「これも無詠唱?」
「いえ。◆◆……【安眠】」
「ありがとう、良い夜を」
「……おやすみなさい」
抵抗されることなくすんなりと魔法はかかり、カイルはすぐにベッドへ横になった。
とても、とても気を遣われているのが分かる。
明日の朝は確かに早い。
日が出ると共に目覚めの鐘は鳴るだろう。
それでもあと7時間ある。
7時間もある。
……良い夜を、か。
カイルがそう言ったのであれば、無碍にするのも忍びなかった。
着ていた寝間着を【空間収納】にしまい、新しい服を着る。
「ありがとうございます、カイル……」
そのまま音を立てないようにだけして、王都の外にまで転移した。
眠気とは言ってしまえばバットステータスであり、人はそれを振り切りたく思うことも多い。
地球ではそれが叶わなかったけれど、果たして魔力と魔法のあるこの世界では同様にはならない。
魔力があれば、できるのだ。
だから一般には夜の早いこの世界でも、貴族区域にはまだ明かりが着いているし、冒険者ギルドも同様だった。
世界に選ばれていれば睡眠時間さえ短く済むのがこの世界だ。
カイルほどの魔力量であれば、訓練も熟してない今日、二時間以上眠る必要は無いだろう。
……なんともまあ……
何か返せるものがあればいいのだけれど。
……ずいぶん甘やかされている気がする。
また長い夜の間に考えておくかと、いつもの秘密基地に来て、頭を搔いた。
ありがとうございました。
飛んでいったと思ったタスクがブーメランのように返ってきた時の悲しさってありますよね。




