謝罪
名乗っただけであったが、少し心に余裕が生まれた。
だけどそれで、何かを突き付けられている気もした。
「ご用件は?」
「あ、ああ……」
いやはや、自分でも傲岸不遜極まりない態度であることは心得ている。
王様は慣れていないようで受け止めようにも困惑しているし、後ろに控える団長は顔には出さずとも苦々しく思っているのは確かだろう。
俺だって自分でやってて笑えてくるさ。
この国に生き、王立学園に通う生徒でもあるというのに、まるで王に対して対等であるかのようにふるまうなど言語道断の所業である。
けれど、そうした方がきっと、色々と収まりが良さそうなのだから仕方がない。
「どうしても、謝罪をさせてほしかった」
彼が頭を下げようとしているのは分かっていた。
だから頭を本当に下げても驚かなかった。
それは決して行われるはずのない行為であり、露見すればこの国の尊厳すら傷つける。
けれどどうやら、目の前の彼はそれでも厭わないニンゲンであったらしい。
「受け取りましょう。頭を上げてください」
「ああ……ああ。ありがとう」
ゆっくりと頭を上げこちらを向いた彼の顔をしばらく見つめてみる。
眉間のしわは政務の間に刻まれたものだろうか。
目の下にうっすらと見える隈は疲労によるものだろうか。
目じりのしわは笑った時に刻まれるものだろうか。
この国に生きていて今の王の評判はあまり聞くことが無い。
良い評判も、悪い評判もだ。
凡庸な王なのだろう。
領土欲に駆られることもなければ、必要以上の贅を尽くすわけでもないのだろう。
俺がこの人に向ける怒りは持ち合わせていなかった。
「召喚が先王の主導であり、当時の情勢がそうさせたこと。魔術師の煽惑があったこと……それから陛下が行動なさったことを、私も知らぬまま生きてきたわけではありません」
「それでも、この国の行いである」
「はい。ですので、受け取りました」
二十年ほど前の大陸西方は不安定な情勢の中にあった。
フランクールで帝政が終焉し、民主政権が生まれた以降の話だ。
周辺の小国は分裂と吸収を繰り返すありさまで、フランクールが割譲を許した今となってはそれ以前から変わらない国境線を持つのはこの王国ぐらいである。
だけれど、この国に領土欲が無かったわけではない。
むしろどこよりも国力を保っていた王国、エグラントは最も意欲的な一手を打とうとした。
それが異世界からの戦力の召喚だった。
「手段があれば星にすら手を伸ばすものでしょう。この世界にそうして根付いてきたのがニンゲンでしょうから」
それが遠い世界の「ニンゲン」を連れてくる魔法であっても、唯一の力をもたらすのであれば求めてしまう。
世界を跨いでもどうしようもない、普遍的な人の性だ。
ましてや、かの魔術師が先王や当時の上層部に対してあらゆる論を並べて唆したという。不確かでもあるけれど、精神操作も用いて。
当時まだ一介の隊長格だったフランク団長が、先代から伝えられたという話を俺にも教えてくれた。
魔術師の論はある一点を除けば完璧だったと思うし、その一点もうまく隠していたのだと思う。
そんなこんなで実際に儀式が行われたわけだが、結局は上手くいかなかった。
異世界人は一人を除いて居なくなったし、さらには混乱の中で若く有望な騎士たちも失い、時の英雄も贖罪の旅に去った。
見過ごせなかったのが、目の前の国王陛下である。
当時の王太子は、先王の施策に不信を感じ始めていた騎士団を掌握し、実質的なクーデーターを引き起こした。
先王は病を患って退位したとされているが、実際のところは守る者も居ないまま拘束されて、そのまま軟禁先で死亡したらしい。
もっとも、俺にはどうでもいい話であるが。
デイヴィッド王となった彼はそれから約十五年、再び充実させた騎士の力をもってして、削られることも伸びることもなかった国境線の中で安定した統治を行っているというわけだ。
「……それでも、君は我々に怒りを抱くのが道理だろう」
「いえ、まったく」
拍子抜けという顔をされたのは、あれか。
「アイリ・トウドウには散々でしたか?」
「許されなくて、当然だ」
それはそうか。
彼らは順風満帆な生活をあちらで送っていて、それがいきなり一変したのだ。
やり場のない感情が生まれるのもよくわかる。
「ですが、私は、こうですから」
少し腕を広げて、レイの身体を見せるようにする。
背丈はかつてよりまだずいぶんと低く未だに少女とも見紛う容貌だが、輝くプラチナブロンドの髪色。
魔力が多く、記憶力が良くて勉強もできれば、剣の才能もある。
それら全て、生まれ変わったからこそ手に入れたものばかりだ。
もしもっとハンデがあれば境遇を呪うこともあったかもしれないけれど、この身体は誰にも文句がつけられないぐらいに恵まれていることを自覚させられる。
「私は転生者です。転移者ではありません。新しい生を受けられたこと、感謝することも多いのですよ」
俺が笑って頭を垂れてみせると、デイヴィット王は安堵したらしく肩の力を抜き、その後ろに控えていた団長は、何とも言い難い表情をしていた。
****
それから数十分後、王都の下町を一人歩いていた。
どうにも気疲れしてしまったから、一人になれる時間が欲しかったのである。
……きれいな街だな。
もし地球にこの街があったなら、日本人も多くが憧れる立派な観光地になっていたと思う。
そんな益体もないことを考えていたかったのだ。
あの後、俺たちがいた部屋の戸がノックされて、俺は師匠の屋敷に退散した。
俺の謁見は超極秘裏に行われていたらしく、あの部屋の外では人払いすらされていなかったらしい。
王の執務室の扉にノックもしない無作法者はいないが、緊急であればそのまま誰かが入ってきてもおかしくなかったようだった。
俺が屋敷へ再び顔を出すと、師匠はこれから門限までの予定を尋ねてくれて、下町を見に行きたいと言うと快く送迎の手配をしてくれた。
一度騎士寮に戻ってからさっきとは逆側に出ていくと、静かだった貴族区域とは違う、活気のある休日の午後が広がっていた。
その隙間を縫うように、今俺は歩いている。
とはいっても面倒だから隠形を発動することすらしていない。
特に着飾ることもしていないが、ちらちらとこちらをうかがってくる視線はある。
だがまあ、これにも慣れていた。
もっと不躾な視線を送られることもしばしばだし。やっぱり都会の人たちは美男美女も見慣れているのだろう。
……さて、と。
行きたい場所は何となく決まっていた。
街の中心に近いここからずいぶん歩くことになるが、かつて街の外と中を区切った壁が残る、南東の方。
サムライが大立ち回りを見せたという史跡がある場所だ。
彼についても、もう少し知りたかった。いや、感じたかったと言うべきかもしれない。
****
この世界の街並みは区画によって結構違いが生まれてくる。
貴族区域は土魔法で作られながら繊細な意匠が施されている大きな屋敷、下町は下町でも貴族区域に近く、富裕層が店を構えるよう中央は魔法造りのシンプルな建物が建ち、そして、今歩いているような本当に昔ながらの下町は魔法が使われておらず、地球で言えばヨーロッパ的な石造りの家がひしめくように建っている。もっと日陰の方へ行くと木の家も。
この世界で魔力は普遍的に存在しているけれど、全員がそれを持つわけでもない。
だから魔法を誰かに頼むのはどうしても高く付く。
そもそも家一軒を建てられるような魔法使いたちは限られてくるし、そんな彼らはギルドを組んで値段を管理をしている。
修繕なんかに魔法を使うことは咎められないらしいけど、建築となると在野の魔法使いでは角が立つらしい。
だから、どうしても幾何学的で均質になりやすい中央と違って、下町の景色はよりごちゃごちゃとしている。
石造りでも部分的には木が使われることが多いし、何より屋根には木が使われる。
王都は流れ込む二本の河川から、木材も石材も入手しやすい土地であった。
そんなわけだから、中央の方では滅多にないことも起こり得たりする。
『レイ、煙が』
「火事だね」
見つからないようにだけ言って自由に散歩させていたヒスイが立ち上る黒煙を見つけていた。
それが偶然、俺が見つけられるときでよかった気もする。
でもどうしようか。
森林実習の時のようにルリたちに雨雲を運んでもらおうと思うけど、不自然にならないぐらいには時間がほしい。
「……行くか」
それまでの間に被害が広がるのは後味が悪すぎる。
見つけてしまったものは仕方がない。
ルートを逸れることになるが、とりあえず駆けつけてみよう。
「わっ……何?」
「はやっ」
「おい、向こうで火事だってよ」
道行く人たちを追い抜いていき、現場へと近づく。
まだ見えないけれど、声は拾える。
「出せる奴は頼む! 水を!!!」
「礼はするから!」
「おい、俺だとどうにもなんねえって!」
「いや、でも!」
「二人でさっさと川行って汲んで来い!!」
辺りではどうにかして水を集めたり、その進行にしびれを切らして消防に連絡しようとしたり、それを止めようとしたり、ずいぶん騒がしくなっていた。
誰かが駆けていったのは消防の方ではなくて、近くにある冒険者ギルドの方か。
この街では消防局が組織されているけど、管轄は王城の魔術師だ。
彼らに頼めばあっという間に鎮火されるだろうが、ここでも問題は金だ。
だから人は善意や人情にすがる。
こうやって身内や近所で何とかしようとするし、何かと気前のいい存在……ほとんど自由業の冒険者に頼ったりする。
「おい! ちゃんと全員逃げられてるのか!!」
さらに近づくと、被害の状況が分かる。
「一番上に! 一人!!」
「他は!?」
「隣もみんな逃げてる!」
「なんでったってそいつだけ……!」
……!
燃えているのは五階建ての建物だ。
火元は一階か二階で、既に三階までは火が広がっている。
急いだ方が良さそうだ。
隣の建物を伝うか、もしくは空を跳ぶか。
どちらも、俺ならできる。
足に込めた魔力をもう一段階増やしたのと、火の手が上がる建物が目に入ったのは同時だった。
それから、曲がり角から駆け付けていたもう一人の影が目に入ったのも。
「うおっ!」
「飛んだ!?」
その影が直上に跳び上がる、ように見えてその実、光の壁を階段にして駆け上がった。
それでも一段ごとに一メートル近いジャンプをしているし、それを支える足場の展開も、脚力も、ずいぶんと魔力の扱いに慣れたものだと感心させられる。
建物が燃え盛っていることなど知ったことかと、その優秀な冒険者は開いていた窓から部屋へ飛び込んでいった。
いきなりの出来事に、足を止める野次馬たちはただ見上げるしかできない。
俺もその一人となっていた。
それから数十秒経つと、一人の女性を抱えて、立派な冒険者の彼が窓の枠に足をかけていた。
先ほどの階段の要領を使えば何とか降りてこられるとは思うけれど、それだと少し魔力も厳しそうか。
けれど冒険者はそのまま飛び降りる決心をすると、抱えられている彼女が声にならない悲鳴を上げて少年の首に回す腕に力を込め、目をつぶった。
……ずいぶんなヒロイックのようだが、手助けの魔法使いがご入用では?
「ラス!!! そのまま飛び降りろ!!!」
風に乗せて声を届けると、こちらの姿を認めてくれたらしい。
一瞬だけどうしてという顔をしたけれど、すぐに答えは返ってくる。
「ああ!」
「っひゃっ……!」
大きく飛び出し、火から遠く、人のいないところへ。
地面が近づいたから、魔法をかけた。
「【空緩衝】」
ただ発動するだけだと転びそうだから、包み込むようにして。
ラスは俺を信頼してくれていたようで、あまり力むことなく体勢を保ってそのまま地面に着地した。
抱きかかえられていた、俺たちより二つ三つ上ぐらいの女性はまだぎゅっと腕に力を込めてラスにしがみついていたけど、無事であることは確かだろう。
「そっちは任せた」
「……! ああ! 頼む!」
そんじゃあまあ、大した用事もなかったことだから、ボランティアでもやってしまおうか。
彼の後では目立つ目立たないもないから、ちょっとだけ派手にやっても許されるだろうよ。
いくつかの風と水の魔法を同時展開して、燃え盛る建物の中に俺は足を踏み入れていった。
ありがとうございました。




