確かに存在する選択肢
リーナも上手くなったなあ。
かつて自宅の居間で母さんたちの手拍子と共に踊った彼女と、絢爛な明かりの下で上質の音楽に合わせて踊る。
時に踊りとその姿を褒めながら、最大限彼女が楽しめるように、ただ踊る。
色々と話さなければならないこともあるが、ただこの時を楽しもうとしている彼女の邪魔をする無粋こそ許されない。
そう、彼女は俺があれほど不義理を見せたとしても、ただダンスを楽しみにしていてくれていた。
長い付き合いだから、わかるのだ、わかってしまうのだ。
純粋に俺のことを好いてくれていて、そのうえで俺の行動を認めているということを。
十三の少女にそれだけのことを強いてしまっていると、どうしても認識させられる。
だけど、そんな罪悪感を表に出してやれない。
今でこそ彼女は俺の眼をじっと見るのだから。
それから少し困ったように笑うのだから。
「レイお兄ちゃん、ありがとうね」
「それはこっちの台詞だよ。リーナ、ありがとう」
音楽が止まって、周囲に一礼をした後に彼女は言う。
感謝されるべきはこんな俺と嫌な顔もせず踊ってくれる彼女ではないか。
「それから……ご」
「謝らないで」
彼女はやはり怒るでもなく、子どもへ言い聞かせるように、微笑みながら言った。
「レイお兄ちゃんは何も悪くないんだよ」
だがその微笑みが見せるのは喜びではなく、大きな寛容と、少しの悲しみと、確かな意志だ。
動く唇が今から何を言おうとするのか直感的に理解できた。
「だって、私が好きなだけなんだもん。レイお兄ちゃんはちゃんと優しいよ」
その言葉の意味することこそ、彼女が最近の俺の行動に納得し、認めている理由だろう。
否定の言葉が口に出そうになって、ここで嘘をつくことが正解なのかと迷い、何も言えなかった。
沈黙は肯定と、彼女は受け取る。
リーナの言葉が意味するのは、リーナが俺のことを好きだというだけでない。
俺がしてきた曖昧な態度の立場を明確にさせ、彼女自身に深く突き刺さるような事実の提示がされている。
それを、俺は否定できていないのだ。
俺はその事実に基づいて動いてきたのだから。
否定しなければきっと彼女は傷つく。
けれど、否定すればそれこそ、最悪なのだろう。
上手く嘘をついても、彼女は見抜いてしまうから。
そして俺より上手く、嘘をつけてしまうから。
「だからローラさんも、何も悪くないんだよ。みんな一緒なんだもん」
「……」
天を仰ぎたい気分になる。
それでも最低限、彼女の眼を見たままでいた。
いつから、だろうか。
リーナはいつから気付いていたのだろうか。
俺の言っていた好きが彼女の送ってくれるものとは違うことに。
だからここに来てからは、わざと言わなくなっていたことに。
「だから、行ってあげてね」
手を離されたのはローラが母さんやシャーロット達と話している場所で、さらに言えばナディアのすぐ近くだった。
「……ナディア」
「! はい」
横合いから彼女に声をかけると肩が跳ねた。
「よろしければ踊っていただけませんか?」
「ええ、ええ!」
リーナへの罪悪感は募るばかりだ。
それでも、ナディアが俺の手を握り喜んでいることをうれしく思う自分もいる。
……どうすればいいのかね。
しばらくずっと音楽は続く。
俺はどれだけの手を取ることになるのだろう。
そして自分の態度がはっきりしない限り、音楽は止んでも頭を悩ませ続けるのだ。
誰かを愛してあげることができるのならば、それが一番なのだろうけれど……
浮かんだ横顔には、目を瞑った。
****
「衣装も用立てましたのに、ずいぶんと後回しにされてしまいましたわ」
「……大変申し訳ありません」
ナディアから始まって、クラスメイトのジュリア、授業で何度か声をかけられた女子生徒、リーナの知り合いだという後輩、トーナメントをずっと見ていたらしい先輩なんかと誘い誘われ踊り続けた。
本当にどこかで刺されてもおかしくないなと思っていると、ジェシカから助け船が入って、彼女やマーガレット、アリスとも踊った。
貴族様と踊るというのにむしろ気楽だったというのは、俺が学園の生活に慣れたからではあるまい。
その最後に、ようやくシャーロットが誘いに乗ってくれて踊ったのだけど、詰られるのは不本意極まりない。
彼女はずっとだれかと話していて、誘っても他の誰かを提案され、乗らなかったというのに。
それでも反論するだけきっと面倒なのだろうと思ってしまい、素直に謝った。
なぜか楽しそうだ。
「ねえ、レイ、私には貸しがございませんこと?」
なるほどね、なるほどなるほど。
いや、もちろん小さくないとは思う。
ローラのドレスを見繕うのをそれとなく彼女に頼んでいたし、そもそも俺の礼服だって送られたものだ。
それだけで貴族様なら平民に命令する理由として十分なはずだ。
さらにその上で俺を詰って貸しを増やそうとするとなると、うん、なるほど。
……何を企んでいる?
しかし確かにあるものを否定もできない。
「ええ、心得ております」
「でしたら少しお付き合いくださいませ」
踊り終わると一度、元の場所へと連れていかれる。
「あら、お話合いは済みましたの?」
「はい」
ローラとリーナは言っていた話既に終わらせていて、ナディアも内容を把握したのだろう。
なんだか微妙な雰囲気が流れていた。
まあ、何が一番問題かというのは、そのお話合いのすべてを自分の母親が聞いていて、多分、意見も述べたのだろう雰囲気があることだ。
そしてその内容、三人には複雑だけどもしかしたら納得してしまうような考えではなかろうな。
険悪な雰囲気はなく、リーナはこれまでのままだし、ローラは少し顔を赤くしているし、ナディアは何か考え込んでいる。
俺が二人三人の手を取ってもそれを否定しないとか、そんな感じじゃないかと推理する。
……嘘でしょ。
いや、法的にも制度的にも不可能ではないのだけど、一般的ではない。
貴族に必要だから、平民にもできるとなっているだけだ。
だから俺も悩んでいたのだけど、他でもないあなたが肯定しますか、母さん。
戸籍上妻を二人持つ男を父とし、相当な苦労をして育った母さんがそれを認めるとは思っていなかった。
ええい、こっちを見るなローラ、考えが纏まらん。
そりゃあ選択肢の一つとしてはずっと存在し続けていて、俺中心に考えればむしろそうするのが一番なのかもしれないとも考えていたけれど、女性として心情的に納得できるものではないだろう。
だというのに他でもないこの場でそれを受け入れるような反応をするのかと驚愕する。
……分からん。
女心というものが分からない。
いやしかし、ここでその道を示されてもそれが正解というわけでは無かろう。
リーナの、ローラの、ナディアの、本心はわからない。
悩み続けることには変わりない。
「というわけで、受け取っていただけますか? レイ」
俺の思考が吹っ飛んでいたところで、シャーロットから提案された。
耳には入っていた情報を整理する。
何々、思い出話を母さんやリーナから聞いていて?
服のサイズも分かってしまっているから作らせていて?
せっかくよく似合うものになったから俺に着てほしくて?
既に準備はできている?
特に表面上怪しい言葉は見当たらない。
「……ええ」
「まあうれしい!」
いや、みんなのリアクションでわかった。
これダメなやつだ。
母さんとリーナが俺から目を逸らしたし、ローラとナディア、それからセシリー様やソフィアは申し訳ないけれど興味があるという顔をしている。
「内容を聞かせていただいても?」
すっげえにっこり微笑まれたんだけど。
「やあシャーロット、交渉はうまくいったのかい?」
「今取り付けましたわ」
突然カイルが現れたのだが、彼はまだまだ踊る相手がいるはずだ。
カイルが俺を見て笑った。
「それは楽しみだ。ウィルもそう思わないかい?」
「……そうだナ」
カイルはわかりにくいが。ウィルフレッドでダウトだろう。
お前ら二人とも仕込まれてるな?
「では、レイ、あちらへ」
「いや、あの、あまり高価なものは」
「気にしませんわ! 私の趣味ですもの!」
完全に初手失敗して勢いに飲み込まれた。
……逃げられるか?
気配を消そうとしたらウィルフレッドに肩を抑えられていた。
「やめておけ」
「断った方が面倒だよ」
……俺にだって大事なものはある!
尊厳とか、尊厳とか、尊厳とか。
騎士に囲まれた最後のゴブリンのような状況だが、まだ逃げ場はあるはずだと周囲を見回す。
師匠!
丁度見つけた。
彼ならきっとシャーロットでも諫めてくれるはずだ。
「ジョゼフ様!」
と思っていたら、ようやく職務を終えたのだろう"神速"クラリス・ランバート副団長が、その二つ名のごとく彼に駆け寄って手を取っていった。
後から部下を見送ったフランク団長がこちらに意味ありげな笑みを見せる。
ええ……
完全に仕組まれたタイミングだった。
シャーロットがしたり顔をしたんだもの。
「では、行きましょうか」
「どちらへ?」
「更衣室がございますの」
手を引かれても、足は止まる。
微笑む。
微笑み返される。
「リーン、きっとレイによく似合うのでしょう?」
「はい、きっと」
「ローラ、見たくはありませんか?」
「……見たくないと言えば嘘になります」
「ナディアも、ねえ?」
「ええ、それは」
………………。
「リーナも楽しみにしていましたものね」
「……」
頷かれた。
そうしてシャーロットにずるずると引っ張られていった先には確かに俺に着せたらよく似合ってしまうのだろう衣装があった。
更衣室に押し込まれて、無表情な従者たちに着替えを手伝ってもらう。
うわ、すげえ良い素材使ってる。
うわ、すげえ肩ばっちり出してる。
うわ、すげえ自分に似合っちゃってる。
……まともじゃやってられねえ。
八年前ほど前と似たような心境に至ってしまった。
洗礼式の話をしたのは、リーナか、母さんか……
もういいや、やってやらあ。
正直去年も同じような役回りはやっている。
声を調節して、話し方もか細くしていく。
こんな時の為に変装の技術を習ったのだ。
絶対違うけど。
「準備ができました、シャーロット様」
「まあ!!!」
手を合わせてシャーロットが喜ぶ。
ああそうだろうよ、ここまで似合えばだれも文句は言うまい。
「それじゃあ行きましょう。ローラにも準備をさせませんと」
「ええ!」
スカートの裾を気にしながら、こうなったら自分も面白がるしかないと諦める。
「わあ……」
「え? 今のって?」
「待って!? え!?」
皆の前に出ていくと注目を一身に浴びた。
化粧もして装身具もして肘までの手袋もして、黒と紫を基調にした華やかなドレスも着ているけれど、顔も体型も一切変わっていないのだからそりゃあ目に付くだろう。
十二分に似合いすぎているのがさらに違和感と納得を入り混じらせる。
「カイル様! 踊っていただけませんか?」
「っは、ははははは、何それ」
「笑うなんてひどいです!」
「嘘みたいに似合うんだね、君」
「太い声の方がお好みでしたでしょうか」
「それは、待って、おなかが痛くなりそうだ」
どうせお前は俺の相手役に呼ばれていたのだから存分に相手してもらうぞこら。
後でウィルフレッドも巻き込んでやれ。
それから、完璧に女役をこなした俺はカイルから始まり、ウィルフレッドやグレン、手あたり次第見つけたクラスメイト、あとはトーナメントで戦った相手や三年生の上位者と踊りまくって、性別不詳疑惑を再加熱させた。
これで女心が分かればよかったが、そんなわけはない。
……またちゃんと考えないとなあ。
持って帰らされたドレスを片付けながら、情けないなと呟いた。
ありがとうございました。
レイを女装させるのはごめんなさい作者の手癖です。
一応これで二年生編で書き切ることは書き切れたと思います。
実に長かったですね(リアル時間の方で特に)
ご意見ご感想、お待ちしております―
描写不足とか、描写の齟齬とか、確認が行き届いておりませんので、分からないとこありましたらお気軽に。




