初めての魔法⋯⋯?
「ありがとう、リーナ」
人の小走り程度の速度で走る二頭引きの荷馬車から飛び降りて、リーナに声をかける。
馬車からの飛び降りは、初めこそじいちゃんに怒られていたが、今はもう止められもしない。馬を怒らせない静かさで下りてしまえばいいし、この程度で怪我するほど阿呆ではなかった。
「レイお兄ちゃん、お疲れ様!」
リーナも俺の胸元に飛び込んでくる。
一つ年下のリーナだけれど俺とあまり身長が変わらないから、最大限に背筋を伸ばしてから、優しく受け止めた。お隣さん兄妹は二人とも背が高いのだ。
「今日はすごい痛そう、大丈夫?」
俺の頬の傷を至近距離で覗き込んでリーナが尋ねる。
大丈夫だよと答えてから、リーナの差し出してきた左手を握り家路を歩く。
後ろの大人たちから生暖かさを持った視線が向けられているが今さら気恥ずかしさもない。
リーナとの触れ合いが最近の、質の悪いDランク冒険者との試合で荒んだ心の、数少ない癒しだ。
俺がこの夏で九歳になったから、リーナはこの冬で八歳を迎える。
俺が母さんの生き写しなら、リーナは彼女の母親であるシェルファさんの生き写しだ。
クリっとした目に鼻筋の通った整った顔立ち、どちらかと言えば派手な美人顔である。
美少女もとい美幼女としてスクスク成長中である。
去年の末、ラスのお下がり……ではなくて俺のお下がりを冬用に仕立て直し、丈を伸ばした衣装を着た彼女は、きっと街に行っても一番綺麗だったと思う。まあ、魔力量が街で二番目ぐらいに多かったという話だけで、結婚話が上がったなんて聞かなかったんだけどさ。
「今日も勝った?」
「うん、一本は取られちゃったけどね」
「流石! 相手、大人の人なんでしょ!?」
「まあね」
肩を隠す、緩やかなウェーブがかかった髪を揺らして、リーナが俺に尊敬の目を向けてくれる。
リーナは本当に懐いてくれており、俺が街から帰って来るのを見計らって、いつもああして村の入り口のところで待っていてくれる。
子どもの純粋な好意を向けられると、どれだけ心が荒んでも自然と笑顔になれるものだ。
「将来はね、リーナが強くなったお兄ちゃんを支えるの!」
リーナがそんなことを言い出したのは半年ほど前のことだった。
それからのリーナは以前に増してスキンシップが増えて、最近では「レイお兄ちゃんのお嫁さんになる!」が口癖になっている。
洗礼式を終えた頃から、リーナはシェルファさんと一緒に俺の家によく遊びに来ているそうだ。
なんでも、リーナはうちの母さんが憧れの人らしい。
母さんのようになって欲しい、と母さんの名であるリーンから取って名付けられたリーナはシェルファさんの思い通りに育っているようだ。
お嫁さんになると初めて言ったのも春頃からのことだから、きっと母さんかシェルファさん、それかばあちゃんあたりの差し金だろう。
今も「今日はお兄ちゃんの好きなシチューを一緒に作ったんだよ」なんて言っている。
胃袋から掴もうとするのは、遠く世界を隔てても変わらないようだ。
俺に幼女趣味もしくは少女趣味といったものはないが、俺自身もリーナのことはちゃんと好きである。
今は妹や姪への好意ぐらいの感情だけど、それはきっとこれから五年や十年で変わってくるだろう。
俺は累計で二十五年生きてきたが、大人には一度もなっていないから、分からないけれど。
……彼女が成長した後でも俺のことを好きでいてくれたら、俺が彼女を好きでいさせられたら、そういう関係になっても全く構わないと思っているし、寧ろそうありたいと思っている。
村では一緒に育った幼馴染が結婚するなんて話は掃いて捨てるほど存在しているから、周りもそうなって行くんだろうという目で俺たちを見ている。
リーナは子供心に思っているだけかもしれないから、あまり無理に押し付けたりはしないように気をつけておくだけしておこう。
リーナの家の前で、暖かくなった彼女の手を離してから家に入るまでを見届ける。
北風が冷たい。早く家に帰ってシチューを食べよう。
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次の日の朝もいつも通りに朝に起きて木刀を振った。
最近の朝の素振りは小太刀ではなくて、目の高さまである大太刀だ。本来は身の丈まである大太刀を村の職人さんに削ってもらって、俺に合わせた大きさにしたものを使っている。それでも長いが、九歳児が大人相手にやり合うにはこれを使いこなせないとお話にならなかった。
ただ、木刀も丈夫ではあるのだが、本気で打ち合い続けていれば結構折れるものではあるので、もうそろそろ六本目になる。作りの悪さもあるだろうが、相手の容赦のなさがよく分かるだろうか。
この木刀も木刀で取り替えるのにはそれなりのお金が必要なのだが……実はこれ、自分で稼いでいる。
さて、改めて最近の生活を整理しよう。
街に向かうのは朝市に合わせて朝七時頃。
それから素振りしながら冒険者を待って、九時半ごろから手合わせ。
これも休憩や雑談含めて一時間足らずで終わるからその後はお店の売り子や撤収を手伝って、帰ってくるのが十三時頃だ。
朝八時の鐘と同時に市場やギルドが開くから、それに合わせた行動である。
忙しい時期だけ親を手伝うような同年代の村の子供に比べれば忙しさは圧倒的に違うが、日本の小学生の方が授業や習い事に忙しいのではないだろうか。
俺の生活は午後が丸々暇になるのだ。
そんな時に何をしてるのかというと、大抵は一人で森に入っている。
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身体強化と運動神経の訓練も兼ねて好きなように森の中を進んでいく。
木の枝に片手一本でぶら下がってから次の枝に飛んだり、幹と幹の間を三角飛びで移動したりと、人目につかないのをいいことにやりたい放題だ。
枝が目を潰したりしない限りは魔力治癒ですぐに回復させられるから、怪我を恐れる必要も無い。
そんな人目のつかない、猟師のギブさんやレヴィさんたちも来ないようなポイントに俺の目当ての場所はある。
……よしよし、育ってる育ってる。
じいちゃんに言われたことに従って森の中深層で薬草採取していたのは一年と少し前。それから俺の採った薬草はそこそこの値段で売れた。
そして今いるのはその中深層と言われるあたりの、ほとんど深層に近いところだ。
小川で隔てられた深層に踏み込めばそこは魔物の領域なので俺もまだ中深層までしか入らない。死ぬことは無いと思うけれど、武器があるとするならナイフだけ。事故死を避けるためにももう少し自衛の手段を学びたい。
それでもここに十分質のいい薬草が沢山生えている。
もう少し説明をするなら質のいいという部分の前に「俺の育てた」という言葉が入るのではあるが。
薬草の栽培を思いついたのは採取を始めてすぐのことだった。
魔眼で探すのだけれど、その魔力が特別なものではないのは見ればわかる。だから上手く魔力を流せば質が高く、高値で売れる薬草にできるのではないかと思ってのことだ。
ただ、薬草の栽培はなかなかに大変だった。
まず初めに俺は、できる限りの魔力を移植した薬草に与えてみた。
するとどうだろう。大量の魔力を得て成長速度も速めた薬草はとても高品質に出来上がった。……とても売りには出せないほど高品質な薬草が。
全属性の魔力を存分に帯びた薬草は見事な花を咲かせ、薄闇では淡い光を放つ。
これがあまりに森の中で目立ちすぎたうえに、薬師が持つ魔法薬の調合法など知るわけもなくて使い道も無いので、勿体ないが種だけとって廃棄した。誰かに見つかると拙過ぎる。とはいえいつでも作れるから問題ないだろう。
その種を魔力で促成栽培した後にぶつかった大きな壁が、薬草に含まれる属性の割合問題だ。
自然に生える良質な薬草は土壌由来らしい土や水の魔力が八割、その他空気中や光合成からの際に受け取っているらしい風や光、闇が二割といった程度で魔力を取り込んでいた。
「少しいいもの」を目指そうとすると、同じ方法でその割合通りに魔力を与えなければならず、これが本当に大変だった。魔力を分離精製してから土壌の魔力の波長に馴染ませ、次は適量を見極めて空中に散布する。
ただ、それだけばら撒いているとすかさず彼らがやってくる。そう、精霊である。
特に空中に撒いた魔力には目ざとく風精霊と光精霊がやってきて、ほとんどを奪っていってしまう。彼らの妨害が無ければ土に馴染ませる分の二割で済むはずの魔力は、おおよそ二十倍が必要であった。
そんなことを大規模にやり続ければまた魔物を引き寄せることとなる。観念した俺の薬草畑は、当初の想定よりずっとこじんまりした大きさになった。
何度も種からやり直し、最初のひと月で上手く行ったのは全体の一割にも満たない程度。
仕上がりを確認するたびに自分の魔力操作の下手くそさに唇をかんだし、毎度とんでもない量の魔力を持って行った精霊を恨みかけた。「ありがとー!」と言わんばかりの乱舞が可愛らしいから、ため息を吐くだけに留めたけれど。
しかし、冬の到来によって俺は薬草栽培から引き離された。薬草は冬の寒さに弱かった。
リベンジを誓った俺はその冬の間ずっと、余裕があれば常に放出した魔力を操り続け、中深層まで行って土に空気にばらまいて、分離、操作、散布の迅速さなんかを向上させていった。
そして春。野良の薬草を採取して行った最初のチャレンジで八割程度の成功に至った。今では九割くらいだ。
そのような試行錯誤の上でこれまでに稼いだ金額はそろそろ大銀貨十枚……金貨一枚になろうかというところだ。
良質な木刀一本が銀貨十五枚ほどの世界で、銀貨百枚分。当然、九歳にはありえない稼ぎであり、実際に取引をしているじいちゃんは村のみんなには内緒にしてくれている。
****
いつもと同じく薬草に魔力を与えていると、北風が吹いて体が震えた。
冬の近さを感じさせる冷たい風だ。
「ああ、もう、風吹くなよ」
一人でいるのをいいことに誰にも届かない悪態をつく。
動きやすさを重視して薄い服を着てきた俺の失態ではあるのだけど。
自然のものはどうしようもないから、震える体で薬草への魔力供給を続けているといつの間にか風は止んでいた。
正しく表現すると、俺の周りだけいつの間にか風は止んでいた。周りの木々はざわめいている。
森の中で魔物や他の生き物の気配を知るのに風が重要な役割を果たすことを学んだ俺には、強い違和感があった。
規定の供給量を与えきって魔力供給を切る。
そうすると辺りに風が戻ってきた。
「⋯⋯なんだこれ?」
魔法みたいだな、と推測するがそれはない。
魔力を放出するだけで魔法として成り立つわけではないのだ。
俺は状況を整理して原因を推測する。
魔力供給をしていると風が止んで、魔力供給を止めれば風が吹く。魔力、風……
一つの事象に思い当たって右の眼を開く。
もう一度魔力を、次は原因となったそれに向かって放出しながら、言う。
「風よ止め」
なるほど、そういうことか。
ある意味俺は今日、初めて魔法を使ったことになるらしい。
「だいぶ損したな……」
ただ飯を食らわせていたことに気付いた俺がそう言うと、羽虫とは違ったやや大きめの、綿毛のような精霊が「何を!?」とでも言いたげなリアクションをする。
確かに魔力を与え続けていたことで精霊との簡易な意思疎通ができるようになってきた今日この頃だ。
俺は各属性の魔力を放出していき、精霊たちにお願いをしていった。
「暖かくして」「水を出して」「明かりを灯して」「暗くして」「風を吹かせて」「⋯⋯石にして」
土精への微妙なお願いも含めて全て成功している。
昼間だが薄暗い森の中は日中でも闇精も存在している。
気温が調節できる火精、風を起こす風精、光源を作れる光精へのお願いはなかなかに便利だ。
ただ……
「⋯⋯必要な魔力が多すぎないか?」
やや息切れをしながら独りごちる。
俺の、というか叶斗の持っていた精霊魔法のイメージと違う。
精霊魔法の特徴といえば精霊の力を借りて短い詠唱に少ない魔力で最大効率といったものだろう。
ただ、今のは確実に違う。
こいつらは確実にこう言っている。
「風吹かせだって、魔力ちょうだい!」
「温めろって?魔力、魔力!」
「「「「「「魔力ちょうだい!!!」」」」」」
……欲しがり過ぎじゃなかろうか?
これを受けて俺は、今使っているこれを精霊魔法と認めないことにした。
いや、きっとそうだ。これは精霊魔法ではない。ただ精霊がお願いを聞いてくれているだけだ。そうに違いない。
ほら、精霊魔法っていうと何かしらの契約もいるだろうし。俺、契約方法も知らないし。
なんて言ったって。
「こんなんで初めての魔法って言ったってなあ」
今日までのおおよそ九年間、休まずに高め続けてきた魔力でこんなにちっぽけな魔法しか使えないはずがない!
傲慢な考えかもしれないが、この世界の魔法はもっと凄いはずだ。全く見たことないけど。
これは精霊がお願いを聞いてくれるだけであって、魔法ではない。
一旦魔力を枯渇させた後のダルい体でそう結論付けて、今日の作業を全て終える。
しかしこれでまた人に言えないことがまた一つ増えたわけだ。
それも今更のことではあるが。
「でも、便利だな」
気温上昇と風よけを精霊達にお願いをしながら、俺は家に帰ったのだった。
ありがとうございました