街に出よう
「ふう。もう私に教えられることはないな」
火精が炉の周りにしか見つけられないような冬の盛り、一年半もの間、雨が降らない限りほぼ毎日剣の稽古を付けてくれていたじいちゃんが俺を見つめてそう言った。
「そっか……」
じいちゃんとの稽古はとても楽しかった。
自分が成長していることが手に取るように分かり、じいちゃんとも今まで以上に距離が縮まった。
じいちゃんは俺がじいちゃんと呼んでいるせいで老けていると思われるかもしれないが、まだ四十五歳である。
元々鍛えていたのか、毎日剣を振っても体を壊したりはしなかった。
今年に入ってから打ち合いは一層激しくなり、二人で青あざをたくさん作って、寸止めでできないもんかいとじいちゃんだけがばあちゃんに詰られている。
俺が痛みにも慣れたいから頼んだ、ということをじいちゃんは口にしなかった。
「レイ。私の目から見て、お前は天才だ」
この体に、剣の才能があるということは俺が一番分かっていると思う。
けれど頷きはせず、話をするじいちゃんをただ見つめる。
指導されたことを飲み込む早さは自分でも恐ろしいほどで、さらには一度指摘されたことを忘れない記憶力もレイにはある。細やかな体の動きでさえも、覚えている。
凡人であった叶斗の時代には無かったものだ。自分で比較すればその才能というものははっきり浮かび上がる。それから一応、叶斗時代から培ってきた学び方という部分も七歳のレイは持っている。
「センスだけの話ではない。今日まで一日と欠かさず素振りをしてきた、その姿勢も」
俺はそれを聞いて思わず苦笑いをしてしまう。
それはある種の強迫観念のせいだった。狩りを知り、木刀を持ったころから、夜に眠っても同じ時間にレイが叶斗の死を体験する同じ夢を見て目が覚める。
一年半、毎日それを振り払うべく剣を振り、魔力を抜いた。
日本で叶斗は大切すぎるものを手放さざるを得なくなってからこちらに来て、こちらの世界でもまた家族に大切にしてもらっている。あんな思いは、もうしたくない。
まだまだ強くなりたい。
けど、教えてくれる人が居なくなってしまえば、その速度は遅くなる。
立ち止まりたくない。
「そんな顔をするな、レイ。これからのことを話そう。もちろんお前次第ではあるがな」
厳しい顔になった俺に、じいちゃんがそこから一つの提案をした。
そして、俺はそれをいくつかの質問の後に受け入れた。
****
じいちゃんと一緒に素振りをして人を待つ。
火精の見当たらない世界では風精が運ぶ寒さだけが肌を打ち、体を巡る魔力が浮かび上がるように感じる。
循環する魔力を少しずつ速くしていく。
正午の鐘がなって少しした後、待ち人が来た。
「えーっと、ギルドで依頼を受けて来たんすけど、あれ、女の子だったのか」
俺がいるのは町外れの広場みたいなところだ。
そこにやってきた、名も知らぬ若い冒険者が俺の顔を見て表情を緩めていた。
「レイと言います。よろしくお願いします」
「あ、ああ。よろしく。え、おっさん、本当にこの子?」
「そうだ。よろしく頼む」
「えー……」
ここから伝説になれるかは、俺次第だ。
****
「これはリーンが学園で知り合った人物の話だそうだ」
冒険者ギルドに剣を教えてくれと依頼を出すとじいちゃんは言った。
これは最近の俺を見た母さんからの提案だったそうだ。
曰く、その知り合いの少年時代は俺と似たような境遇にあったらしく、剣を覚えたくても教えてくれる人は居なかったそうだ。
少し違うのは、父も母もおらず、血の繋がらないお爺さんに育ててもらったことだそう。
その少年はあるきっかけから強くなりたいと願った。
でも元々武術とは縁遠い生活をしていたお爺さんには、魔力がとても少ない彼に強さを与えることが難しかった。
しかし、そこである時お爺さんは思いついた。
私には無理だが、金ならたくさん持っている。それを彼のために使えるなら、と。
そうしてお爺さんは近くの街のギルドにこんな依頼を出した。
"十歳の少年に剣を教えてくれ(Fランク)"
その時の報酬はFランクの中でもほんの少しだけ高いもので、簡単な依頼だと思いすぐさま依頼を受ける冒険者が現れた。
最底辺のFランク冒険者への依頼など、日本における何でも屋とそう変わらないので、変わり種の依頼ではあったが怪しまれもしなかった。
そして、少年は冒険者たちに剣を教えてもらい、次第にその剣の才能を開花させていき、すぐにギルドで手解きを受けた程度のFランクでは彼に剣を教えることができなくなっていった。
一か月後にその依頼はEランクへ、その半年後にがDランク。報酬はそのままにランクだけがアップしていった。
依頼が出された一年半の間、その依頼を受ける冒険者は一日として絶えず、力をつけた彼は、お爺さんとの最後の約束をして、十二の春で”学園”の騎士科に入学したそうだ。
何故Fランク依頼に毛が生えた程度の報酬のままで一日も応募者が尽きなかったのか。
それは冒険者のプライドに起因する。
同じランクの冒険者に劣っていると思われたくない、勝っていると思われたい。そういうプライドが冒険者に共通して存在する。
だから、もし子供に剣を教えるなんて簡単なはずの依頼に誰かが失敗すれば冒険者ギルドの中で噂にもなるし、それを聞いた他の冒険者は自分ならその依頼をきちんと達成出来ると息を巻く。
そして、下級の冒険者が達成できなかった依頼が自分たちのランクに上がってくれば「やれやれ、うちの若いのはこんなものも出来ないのか」と次のランクの冒険者は威厳を見せつけるべく依頼を受けた。
子供に剣を教えるなんて依頼で死ぬこともないし、報酬も一晩の酒代くらいにはなるからバランスも良かった。
そうして自尊心をくすぐり続けた依頼が一人前の冒険者とされるDランク依頼にまでなり、時には熟練とされるCランクなどにも選ばれる依頼になった、ということらしい。
****
その話を聞いた俺はまずじいちゃんに聞いた。
「お金は大丈夫なの?」と。
じいちゃんは笑った。
「気にすることはない。千回でも問題なく依頼を出せる」と。
薄々感づいてはいたがこの家は……というか多分、母さんはとてもお金持ちだ。
王城での稼ぎは悪くなかっただろうが、それでも疑問が残るレベルで。
洗礼式の衣装もナイフもとんでもなく高価だったけれど、それをばあちゃんたちが咎める様子はない。
その後じいちゃんは言った、それにお前にはその眼があるだろう、と。
ここで重要になってくる薬草。
普通の民間用の薬草ではなく、魔力を蓄えて、魔法薬の材料となる薬草だ。
質のいい薬草は魔力が豊富なところで育つが、魔法薬を作れるレベルの薬草でも普通の薬草や雑草と見分けがつかない。しかし、魔眼があればその限りではなく、含有する魔力量ですぐに分かる。
そしてそんな薬草は辺鄙な場所にしか生えていない。
魔力が豊富な辺鄙な場所といえば、この村を取り囲む森の、中深層だ。
街の近くにはもう一つ二ついい採取場があるそうなので冒険者もわざわざやってこない。
「中深層へ一人で行くぐらい、今のお前なら余裕なのだろう?」
その言葉に俺は頷く。
ギブさんと共に行った森の中深層で俺がはぐれの牙狼を一人で狩ったのは、秋の終わりも近づいた時のことだ。
自分だけで狩りをし始めた俺は母さんに貰ったミスリルナイフで、俺ほどの大きさのある魔物を一人で狩ったのだ。
ギブさんと離れたところで狩りをしていたので魔物とは知らずただのデカい獲物だと思って突っ込んでくる牙狼の脚を断ち、最後は首に突き刺した。
猪や野犬などの狂暴な獣にも慣れていたし、牙や爪はあったが見切れていたから怖くはなかった。
ミスリルナイフの切れ味は恐ろしいもので、ゴワゴワした毛に守られた牙狼の身体を切り刻んでいった。ナイフには魔力を通していたが子どものもので、身体強化は一切使っていなかった。
それで免許皆伝を受けた俺はもう一人で中深層へ行くのも余裕である。
ここら一帯は俺が農作物には最低限の魔力しか与えないようになってからは誰も立ち入らない深層まで行かないとはぐれた牙狼以上の魔物は中深層にも現れないし、群れを成すこともない。
「最初は普通に報酬を出す。もし報酬が値上がりするのなら、私が薬草を売ってやるから足しにしなさい」
じいちゃんは七歳にして魔物殺しを達成した俺を随分と評価してくれているようだ。
まあ、そろそろ普通の子じゃないなと思われていても、仕方がない頃ではある。
そしてじいちゃんは最後にニヤリと笑ってこう言った。
「もう一つ。報酬が満額を支払われるのは、お前が学びを得た時。……私はEランクぐらいになら負けんぞ」
Fランクぐらい叩きのめせ。そう聴こえた。
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"うちの子に剣を教えてください(Fランク)"
この依頼はFランク依頼の相場通りの値段でスタートした。
この依頼にも洗礼式から変わらない母さんのイタズラ心がこもっている。子どもと言うだけで息子や少年とは一切言わないのだ。
しかしこれはこれで噂になったため、俺もまだ正体を明かしていない。
Fランク依頼に可愛い女の子に剣を教えられる依頼があるらしい、そんな噂が広まって、優しいお兄さんたちが依頼を受けに来てくれるのだ。
ちなみに毎回じいちゃんがついて来てくれているので不逞の輩は現れていない。
その後、少女としてではなくFランクを叩きのめす子どもとして噂になったらしい俺の依頼は、初依頼から半年が経った俺が八歳になった夏にはEランク依頼へ、そしてその次の春にはDランクまで依頼のレベルは上がっていった。
今は九歳の秋。街から出ないFランクや魔物と戦わないEランクとは違う、Dランクとの戦闘にもだいぶ慣れてきたところだ。
ただ戦ってみれば、Dランクは玉石混交という言葉が良く似合うランクだった。全員新人のFランクやそれに毛が生えたほどのEランクと、Dランクには明らかな差異があるけれど、強い人は強いし弱い人は弱い。
その一番とも言えるのがCランクに上がれず冒険者人生を終えるだろう連中の存在だ。
依頼の後に聞いた話だが、DとCの間には隔絶した壁があるそうだ。
後から分かった話になるが、それは冒険者のランクによって得られる権限に起因するものらしい。
例えばF、Eランクは冒険者に登録したギルド、"ホームギルド"と呼ばれるギルドからそのギルドのある街付近の依頼しか受けられない。新人冒険者の安全面を考慮してのルールだ。
これがDランクになるとホームギルドのある領内のギルドで。Cランクになると国内のギルド全てで。Bランクになるとこの国と協定を結ぶ他国のギルドで依頼を受けられるようになるそうだ。つまり、仕事のために他の街へ出入りすることができるようになる。
さて、権限が変わってくるということはもちろんそれを得るためのハードルも上がるというわけだ。
他領へ渡ることができるようになるCランクに上がるためにはギルドの定める条件をクリアする必要があって、それがなかなかに難しい。
クエストの達成数と達成率、そして素行などが主な条件になるのだが、ランクが上がればもちろんクエストの難易度も上がり、どちらの数字も上がりにくくなる。
だからDランクには、Cランクに上がれずこのまま終わるだろうベテランと言われる部類も少なからず存在するし、すぐにもっと上のランクへ上がるだろう新進気鋭、あとは平々凡々ないつかはCランクに上がるだろう中堅どころなども存在する。
よって玉石混交。
それゆえに精神的な余裕を持って面白半分に腕試しを受けに来るやつもいれば、評価のために必死になって受けに来るやつ、日頃のストレスを発散せんといやらしい笑みを浮かべて依頼を受けるやつ、様々だ。
ああ、腕試しというのはいつの間にか冒険者の要望によって変化した俺の依頼のことである。
"少年剣士との十本勝負 (Dランク)"
もはや俺からの依頼という形ではなくなってしまった。
若手冒険者の励みになるだろうと過去に依頼を受けた冒険者とギルド職員が提案し、じいちゃんと俺が合意したことによってこの形となった。
結構早い時点、まだ依頼がDランクにもなっていない時点でのことだ。
習うなら実戦で。じいちゃんはその機会を与えてくれた。
****
口に溜まった血を吐き出してもう一度剣を構え直す。
避け切れず食らった唇の裏が結構深く切れているようだ。
「六本目、お願いします」
ここまで俺が四本取っている。
この十本勝負は年の差、体格差のハンデとして冒険者が六本取らなければクエスト成功とはならない。
目の前の冒険者が何かを喚いているが、聞いたところで意味は無い。
これで最後だ。
俺が一歩踏み出すと、相手も動き出し、上段から打ち下ろしてくる。
しかし……大振り過ぎるだろう。
魔物でもあるまい、もう少し考えてやって欲しいものだ。
最低限の動き、最小限の力、そして最高のタイミングで相手の木刀に打ち込み、相手の攻撃を逸らす。
肩スレスレを攻撃が掠めるのも気にせず間合いを詰める。
闇雲な蹴りが飛んでくるのは見えていたから折れない程度に脛を叩く。
致命打以外なら当てていいのは同意の上だ。俺もやられているから痛いのは知らん。
呻き声が聞こえてくるのも気にせず、俺は木刀の切っ先を鳩尾に突きつけた。
「六本目、レイ」
距離を置いてから構えを下ろす。こいつとは、これ以上やらなくていい。
「レイ、いいのか?」
「うん」
俺に負けた冒険者が去った後、審判をしていたじいちゃんがそう聞いて来る。
俺の為になると思った相手とは、決着が付いても十本全てやらせてもらうように頼んでいるが、今日の相手はもう十分だ。よくいるような相手だし、三本目くらいから完全に見切ってしまった。
俺が肯定をするとじいちゃんはそれ以上は何も言わなかった。
一本取られてからの五連取。最近の試合では一番多い試合の流れだ。
最初の一本は、俺が限界まで相手を見るせいで勝率は三割を下回っている。
様子見の間に何本も打ち込まれるため、力では絶対に劣るから、どこか痛打を受けてしまうのだ。
今日も同じだ。それに今日は、自分の剣を躱されると蹴りを多用してくるタイプだったから顔面に一発、もろに蹴りを受けている。
冒険者の剣術は何か型にはめられるものではない。
あらゆる場面でのあらゆる攻防を考えたのが冒険者の戦闘だ。だから、蹴られようが殴られようが文句を付けるつもりも俺にはない。
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村の農家組が日ごとに野菜を売りに来ている馬車の荷台で揺られながら、今日の試合を振り返る。特筆すべきことは特に何もなし。今日も対人戦の経験値が少し増えた。
今日くらいの相手からなら一本も取られないように動けなければ、依頼をCランクに上げることもないだろう。
村から街への行き来は、この街が特に治安が悪い街でもないけど良い街でもないので、見習いになる十二歳以下は保護者の同伴が必須と決められている。この街、たまに人さらいもあるそうだ。
村から街は馬車で二十分ほど、歩くと一時間程度であるから五キロといったところだ。
朝は体を温めるために馬車の横を走っている。子供とは思えない体力だなんて村の大人には舌を巻かれているが、Dランク冒険者にも勝っているのだから今更というものだ。
揺れの酷い馬車に乗って村まで辿り着くと、秋の末も近い寒空の下でリーナが俺を待っていた。
ありがとうございました