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対に立つ

「……」


 無音、静寂。


 被害の拡大という一点で回避は下策。

 だから俺は動かない。


 目の前の導師を睨む。

 見てくれはぼんやりと立っているだけの老人だ。

 視界を塗りつぶさんばかりの黒はもうその心の内にだけに押し込められていて、時折魔眼に映る程度。


 それでも、さっきよりよっぽど怖い。


 ……気を抜けば死ぬなぁ。


 前に戦った時とは明らかに違う。

 言葉通りの必殺たる魔法が幾重も放たれていた。


 死角から。

 意識の外から。

 正面から。


 それこそが彼の研鑽の全てだった。

 全てを闇に飲み込む、闇の魔法。


 便利だとか有用だとか、そんなんじゃない。

 ありとあらゆる手段を持って、人を無力にし、倒れさせ、ただ挫けさす。

 そんな魔法だ。


 ……ああ、そうか。


 だから導師も教えなかったのだと思う。


「好きじゃないです、こういうの」

「ふん」

「ええ。だから……もういいですか?」


 どうせ、俺はこの魔法を否定する。

 端から教える意味などない。


 ただ誰かを殺し、自分だけが進むためだけの魔法など、俺はそんなもの要らない。


 導師が嘲けるように笑った。

 そして、こんな言葉を言い放つ。


「ならばさっさと殺してみよ」

「……」



 導師が半ばヤケになっているのは分かっていた。


 正直に言おう。

 彼の襲撃はあまりにも愚策だ。

 なんたって、勝ち筋が無い。

 正面から俺を打ち破ろうとしても、それは無理だ。

 だから奇襲を仕掛けようとしたんだろうけど、残念ながらそれも失敗した。

 安牌を置くのであれば、その時点で彼は諦めるべきだ。


 ただただ、歴然とした力の差がある。


 確かに殺気を向けられるのは怖いし、気を抜けば死ぬのは怖いなんてもんじゃない。

 それでも殺気を向けられても死ぬわけじゃないし、気を抜かないだけで殺されることは無い。


 魔力の消耗こそ度外視するが、ただ立ち尽くしているだけで幾重の魔法を受けても無力化できるし、導師を追い詰めることだってできる。


 いつか打ち合った時の俺のままだと思うのなら、勘違いも甚だしい。

 まあきっと、叡智を秘める彼なら分かっているだろうが。


 じゃあ、導師がここにいるのは俺に殺されるためか。


 それは理由の一つかもしれない。

 それでもいいと彼は思うだろう。


 一世一代の復讐劇をなそうとした彼の舞台を壊して否定したのも、彼の許すことのできない仇敵を助けたのも俺だ。

 導師は生きる意味を見失っている。


 しかし、きっと、それはあくまで理由の一つだ。


 なぜだか、分かる。

 これでも一応は師弟だからだろうか。


 右腕を上げ、導師に向けた。


「俺、謝りませんから」

「そうか」


 その手を開き、魔力を収束させる。


 魔法というにはあまりにも雑な構築。

 身から溢れる全属性の魔力を力ずくで混ぜ合わせただけの魔力弾。


「おやすみなさい、導師」


 それを放出した。


 眩く輝く魔力の閃光は"常闇"アルノーという技を極めた男の対極にあるような暴力であり────

 俺が導師を打つには相応しいものであったと思う。



 ****



「言ったでしょう、好きじゃないって」


 結局傷一つ増えなかった拠点の中で、椅子に腰掛けながら宣ってみる。

 足を組み、机に肩肘をついて、語りかける様はきっとムカついてくれるだろう。


「ねえ、導師。てか、あなた分かってましたよね?」

「……ふん。本当につまらんのう」

「ひどいですねぇ」


 少し離れたところの壁に彼はむっつりともたれていた。


「今回でよく分かりました。俺は、俺の目の前で誰も死なせたくないんですよ」

「ここでわしが死ぬと言うたら?」

「まずさせませんし、何かしたら全力を尽くしますよ」


 蘇生魔法の存在は確認できていないが、今の技術なら即死以外は恐らくなんとかなる気がしている。

 まだ試したこともないから分からないけれど。


「こっちの人の感覚はよく分からないですけどね。それでも、死が怖いのは同じだと思ってました。違いますかね」

「……甘いのう」

「優しいって意味で?」

「違うわい」


 まあ、知っている。

 俺は甘い。

 優しさとかそんなんじゃなく、物事を分かっていない甘さだ。


「生きていれば、大抵どうにでもなりません?」

「わしらのことなど、お前さんには分からんだろうな」

「けど、導師も俺のことだって分かんないじゃないですか」


 年長者だから正しいだとか、そんなことは無いと思う。

 もちろん導師が俺より色々な経験をしてきているのは確かだろうし、俺の想像を絶する何かがある可能性だってある。


 けれどやっぱり、長生きしてても、死んだことは無い。


「誰かに死なれるのはいいですけど、自分が死ぬことの辛さなんかみんな分かんないじゃないですか」


「俺は、だから殺せないし、殺さないんですよ」


「死んだら終わり、後悔なんかしないと思ってるからみんな死ねるんですよ。ああ、ああ。それが確かなことなんて保証はどこにもないのに。誰も知らないのに」


「精霊様の元で未来へ繋がる? 魂の器が溶けて世界に巡る? そうかもしれませんね。そうなるだけならよっぽど幸せですね」


「……『天国とか地獄とか』分かりやすいどこかに行けるのなら、死後に自分がどうするか想像だってできる」


「どこかへ。そう、もう戻りはしないどこかへ行けたのなら」


「『じゃあ、これはなんなんですか、ねえ』」




『レイ、だめよ』


 唇に心地よい冷たさを感じた。


『あなた、最後の方が伝わってないわよ?』


 耳元を柔らかな風がくすぐる。


 熱くなっていた頭がすっと醒めていった。


「……あー、まあ、はい。そういうことです」


 導師に導師の考えがあるように、俺には俺の思いがある。


「俺は誰も殺したくありません。誰も。……なのに、導師を殺せるわけないじゃないですか」

「溜め込んでおるのう」

「うるさいです」


 ああ、恥ずかしい。

 今更感情の制御ができないなんて。


 赤くなる顔を両手で仰ぐ。

 ルリとヒスイが微笑むのではなく、からかうような微妙な笑い方で手助けしてくるのがさらにちょっと恥ずかしい。


「まあ、そういうことです。殺されたくても殺してあげません。死にたかったら……俺を倒してからにしてください」

「そうしようと思っておったんじゃがのう。お前さん、手を回しておったじゃろう?」

「そりゃあもちろん。やっぱりバレてたんですね」

「手札をベラベラと語ってくれたからのう」

「隠す間柄じゃないですし」


 屋敷の防衛作戦を決める過程なんかで俺の使える手札は全部晒してしまっている。

 とっくに転生のこともルリのことも言ってしまっているのだから、今更である。


「はあ……レイ、お前さんは本当につまらんのう」

「ひどいですねぇ」


 互いに目を逸らし、くつくつと笑う。


「飲むか?」

「いりませんよ」

「つまらん」


 それでも導師は酒瓶を片手に笑っている。

 導師はそれぐらいでいいのだ。

 つまらない話題にも笑い、自分から面白くするように茶々を入れて、呆れさせてくれるような感じでいい。


 俺と会った時には復讐心を隠して生きていたんだろうけど、それでも笑っている導師が一番やっぱり楽しそうだ。


「じゃがのう、レイ。お前は甘いが、世界は甘くはない。見せたじゃろう」

「ええ、はい」

「全てどうにかするつもりか?」

「それは手に余りますね」


 世界平和なんて、俺の身に余る。

 もしかしたら余らないかもしれないけれど、今はこの世界の平和にかまけている余裕もあまり無い。

 友人を、師を、目に入ってしまった誰かを助けるのでももうずいぶんと疲れた。


「どうする?」

「目を瞑ります。今まで通りです」


 この世界に戦争があることは知っていた。

 自分が旅した街で殺人事件が起こったこともあった。


 だけど、何もしなかったことはある。

 悲しくはなったし、辛くもなった。

 けれど見なかったから、知らなかったから、どうしようもなかった。


「わしもそうすれば良かったかのう」

「ははははは。……監視付けましょうか?」

「いらんわ」


 俺も何が悲しくて老爺を一日中気にかけねばならんのか。


「そうしたら、最後じゃ。目に見えたのに手に負えんかったら?」

「それは……」


 答えを考えたことはある。


 目の前で助けられなかった誰かは確かにいた。

 村で死んでしまった子供が居たし、不治の病に侵された人を知ったこともある。


 高尚なことを言っても、俺は聖者ではない。

 誰もは助けられない。


 ──ならば、誰かを殺さなくてはならなくなったら。


「まあ、お前さんにはお前さんの理由があるんじゃろう?」

「……」


 それはあまりにも身勝手で、天秤にかけるべくも無いはずで。


「じゃがやはり、そのいつかはお前さんの元に必ず来るぞ。レイ」

「……はい」

「答えを出せとは言わん。負けてしもうたからの」


 突き放すように導師が言う。

 それは仕方がない。

 否定した本人に、一緒に考えて欲しいなんて言えない。


 俺が答えに窮していると、導師はもう気にしなくなったように酒瓶に口を付けていた。


 これ以上は自分で考えていくだけだ。


「導師は、こっからどうするんですか?」

「そうじゃのう。少なくとも夏の間は屋敷にしばらく留まろうかとは思っとる」

「それは、よかったです」


 ユーゴーの屋敷は彼の楔になってくれるだろう。

 導師は恩人の息子の前で自決するような男ではない。


「なら、今だけでも従者を鍛えてやってください」

「誰かに教えるのも久々じゃのう」

「はい、カミーユとか、なかなかやりますし」


 俺が向かった時にはバッチリ被弾していたが、周囲の弾痕から推測すると数発の弾丸を避けきっている。

 撃たれたのは倒したと思った男が予想外の手練で死に体の不意打ちを放ってきたせいだと思われる。

 彼の魔力量でそこまでできるのは相当だ。


「お嬢様だけでなく、レイはあれにもずいぶん気にかけておるのう」

「彼に死なれると、ちょっと」

「ほう」

「歳、一緒ぐらいだったんですよね。世界が違っても、なんか、分からんでもないなって」


 カミーユは今年で十七になっており、いつかの俺と同い年だ。

 それで長年一緒にいる誰かさんに愛だの恋だのよく分からない重い感情を持ち合わせているのに自分は従者だからと何も言わないのを見ていると、死んでくれるとたまったものじゃない。


「なるほどのう。ところでお嬢様はどうなんじゃ」

「友達です」

「ほっほっほ、そうかそうか」

「なんですかそれ」

「二人のことを応援するのか?」

「まあ、一応は……」

「ほっほっほ」


 変な笑い方だなぁ。


 彼の視線の先が気になる。

 俺の手元を見ているのは分かるのだが。


「何見てるんですか?」

「さての」


 導師は誤魔化すように酒瓶の中身を飲み干し、背中を壁から離した。


「まあ、まだしばらくはのんびりしておる。負けてしまったわけじゃしのう」

「俺に復讐とかしないでくださいよ?」

「どうなることやら」


 こちらを振り返ることはなく、拠点の外へと出ていく。


 導師が居れば、俺がこの国を離れても屋敷の安全は確保されるだろう。

 俺がファイの姿でソフィーさんと交わした約束はこれで全て守られるはずだ。

 それは自分の目標の達成も意味する。

 この国の外交関係も内政も、大きく荒れる予定は無い。


『これで一件落着、かな』

『ふふ、お疲れ様』


 俺の夏の二週間を捧げたミッションがようやく終わった。


 ……ほんとに疲れた。

一応フランクール首都編は終わりです。

閑話的な諸々の構想や設定はあるんですが、一旦カットで。


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