稽古
家に帰った後、じいちゃんが畑に出るために一番最初に起きてきた。
「おはよう、レイ、早いな」
「おはよう。ちょっとね」
俺が立て掛けてあった木刀を見やると、じいちゃんは口元を綻ばせた。
「そうか。じゃあ今日は朝ご飯を食べたら早速稽古をしようか」
「うん! 今日は畑も手伝うよ」
「ありがとう」
じいちゃんは俺の髪を大きな手でくしゃりと撫でた。
その後、畑の野菜にじわじわと魔力をやりながら朝食べる野菜の収穫と草抜きを手伝った。
魔力で雑草も元気に育ってしまうため、こまめな手入れが必要になってくる。
早起きして空かしたお腹が鳴ったので、許可をもらい旬になったニンジンを一本齧る。
日本では意味も無く野菜嫌いをしていたから、こういうことはしたことが無かった。
ちなみに異世界の人参はオレンジでなくて黄色だ。
この世界の野菜は色と名前だけ違う物が多いが、味も食感も日本のものと大差ない。
葉っぱは同じ緑なので、色が変わるのは紫のキュウリに緑のナスとかだ。
逆だろうとツッコミたくなったが、慣れてしまえば問題は無い。
家族での朝食を終えて、俺とじいちゃんは木刀を持って外に出た。
遅れて、母さんとばあちゃんも外に出てきた。
どうやら息子と旦那の稽古を見守るようだ。
「じゃあ一回振ってみせてくれ」
小太刀の木刀を持った俺は、じいちゃんの言葉に神妙に頷いて一つ息を吐いた。
いいところは見せすぎない!
力んだ一振りに風を切る音なんて聞こえない。
「ははっ、力が入りすぎだし、それに手と足が逆だ」
知ってる、なんて言葉は言わない。
実のところ、何をしてもセンスのいいうえに、全ての感覚を覚えるこの体は、朝の反復素振りで何かを掴んでいた。
素振りをしているだけで楽しかったのはその辺りからだ。
「手本を見せる、よく見ておけ」
普段からそう口数の多くないじいちゃんは、構えを矯正したりするのではなく、見せて教えるタイプらしい。
想像以上に力強く木刀が振られた。ビュッという風を切る音が気持ちいい。
「おお~」
俺は木刀を脇に挟んで拍手をする。
じいちゃんの表情は少しだけ得意気だ。
実際にじいちゃんからは剣を振ることに慣れた、出来る風格と言うべきものが漂っていた。
「じいちゃん、すごい」
「レイもやってみなさい」
それから暫く、段々と悪い所を少なくしていってはお手本を見てを繰り返した。じいちゃんの動きを覚える。そして
フッ
ビュッという力強い風切り音は普通、初めて剣を握る六歳児の身体能力では鳴らすことが出来ない。それは早朝もそうだった。身体強化をしても、コツを掴むまで難しかった。
「やっぱりレイは筋がいい」
「ほんと?」
「ああ、きっと私よりずっとすごい剣士になる」
そう言ってじいちゃんに頭を撫でられる。
今の言葉はお世辞かもしれないが、じいちゃんは元々戦闘職でなく城の従者だったのだから、戦闘職を目指す俺としては流石にそれより強くなりたい。
しかし、この世界の従者は強くないとできない世界なのかもしれないし……それは小説の中だけかな?
「でも、じいちゃんも凄いよね、なんで?」
疑問があればシンプルな言葉で質問をする。それが異世界転生で上手く生きる方法だ。
「私はお城で従者をしていた訳だが、剣やある程度の護身術は学園で習ったよ。リーンもエレナもある程度は護身の心得がある。それに、私は元々剣を振るのに憧れていたから」
なるほど、学校で習えたのか。
前世で高校生をしていた俺に、"学園"というワードは気になったので心の中にメモを貼り付けておく。きっとレイなら忘れない。
それから暫く素振りを続けた後ちゃんばらごっこをして、昼ご飯の前に今日の稽古は終了した。
午後は子どもの遊びから離れた場所で魔力の特訓に費やす。
洗礼式を終えたとはいえ、街に行けるようになったというだけで街は遠いし、馬車に乗る付き添いがいないと森の深くにも行けない。
そのため遊ぶ時に年上のロンも居るように、行動範囲はそこまで変わらないのだ。
だから俺もこれまで通り、村なら木陰で、森なら俺の他にはラスとリーナしか知らない茂みの中で魔力を操作するだけなのだ。
分離操作の基礎だけ反復した後はひたすらに魔力を圧縮して魔力の質を上げるか、魔力循環を早めて基礎回復速度を上げるか。枯渇は一日の最後の方だ。
今日は魔力の圧縮を行っていこうと思っている。
魔力の質……輝きという点において、俺の魔力は神殿の神官に劣っていた。
掛けた時間の差なのだろうが、俺としてはほぼ毎日続けて自信もあったから悔しかった。
質を高めるための圧縮は、ひたすらにダルいだけの枯渇とは違って、酷く車に酔った時のような気持ち悪さがあるのであまり気が進まず、これまで一番疎かにしていたのも確かだけれど。
木刀を振りながらとも考えたが、圧縮の最中は気分が悪すぎて体ぐらいは休めていないととてもじゃないが耐えられない。
循環の方は集中するのが一番大変ではあるが、特にそういうデメリットがないから素振りをしながらでいいかもしれない。
血液全部を意識するくらいのことが求められる循環に必要な集中量は断トツに高いため、確実に難しいだろうが、そこら辺は叶斗から引き継いだジャパニーズ・ゼン・スピリットで何とかしてやろうと思う。そんなものを持っていたかと言われれば、木刀を買った京都の修学旅行で体験をしたことがあるだけだ。何回も叩かれた。
ああ、そうだ。木刀のプレゼントのおかげですっかり意識の外だったが、狩りも教えてもらわなければ。
じいちゃんは猟師のギブさんやレヴィさんと同年代で仲がいいから頼んでみてもらおう。
森から帰った後の夕食の場で猟師体験について頼んでみると、じいちゃんは二つ返事で答えてくれた。
きっと俺と稽古ができることが嬉しかったのだろう。
明日の稽古後にでも頼みに行ってみようということだった。
その日の夜はいつもより早く寝た。初めて剣を振ったこの体はひどい筋肉痛に見舞われたが、魔力治癒は筋肉痛にも効果を示す。
痛みが無くなったところですぐに深い眠りにつき、朝はまた、日が昇るずっと前に目が覚めてしまった。
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「おーい、ギブ、いるか?」
「誰だあ?」
昨日と同じように素振り、畑の手伝い、朝食、稽古を済ませた俺はじいちゃんに連れられ、猟師のギブさんのところにやって来た。
ちなみにこの世界、猟師とハンターが存在する。二つは同義ではなく、猟師は魔物でない一般の獣の狩りを専門にする人、ハンターは魔物狩りを専門とする冒険者の総称だ。魔物と距離が近い村では常駐することがあるらしい。
「うちのレイが狩りに興味があるらしくってな」
「おお、嬢ちゃん! そりゃいいな」
「ギブさん、その呼び方はやめてって言ってるよね?」
「はっはっは、悪い悪い」
ギブさんとじいちゃんは村で共に育った幼馴染というやつだ。
食い気味で好反応を示してくれたことは有難いが、ギブさんは、というかこの村のじいちゃんぐらいの年回りの人は、大体が俺のことを嬢ちゃんと呼んでくる。
彼らも俺が男だということはちゃんと分かっているから、ほとんどがおふざけだ。
「んで、いつから教えればいいんだ?」
「レイ、いつから大丈夫だ?」
話が早くて助かる。狩りはいつも森の中層で午後から夕暮れにかけて行われている。だからじいちゃんもこの時間に連れてきたのだろう。
「今日からでも大丈夫」
「そうか、じゃあそうしよう。いいか? モルド」
「俺もついて行って構わんのだろ?」
「そりゃあもちろん、孫の成長が気になるか」
ギブさんはじいちゃんの図星を突いてニシシと笑った。
という訳で今日の昼間の魔力操作は一旦お休みだ。サボるのはダメなので寝る前にちょっとだけやることにしよう。
森に行くメンバーは俺とギブさんとじいちゃん、それから途中までは猟師仲間のレヴィさんも一緒らしい。
帰りにラスの家に寄って、今日は遊びに行けないことを伝えておいた。
一瞬だけだがラスが俺も行きたいという顔をしたので、ギブさんたちに話はしておくからシェルファさんかテッドさんに話しておけと言っておいた。
今日一日で終わるつもりはないから、今度はラスも一緒に行けばいい。特大の魔力を持つラスが木こり以外の道を探すのは当然だとテッドさんも思っているようだし。
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森の中で俺たちを制止すると、しばらくしてギブさんが弓を引いた。
狙いはあの野ウサギか。俺は構えられた先に視力強化をしてようやく見つけられるぐらいに遠かった。
ひゅっと矢が放たれると、とすっという音がして、野ウサギが地に伏している。
お見事としか言いようのない達人芸だ。
「すげ……」
「だろぉ?」
「相変わらずだな」
「いやいや、今がベストよ」
ギブさんは軽い調子だが、とんでもない技量
動かなくなった小ぶり、なのかどうか判断が難しい野ウサギにギブさんは近づいていき、突き刺さった矢を引き抜く。
赤い血が滴る矢じりを拭ってまた使えるようにしていた。
「そうだ嬢ちゃん、血抜きしてみるか?」
ギブさんの申し出に、俺は神妙な面持ちで頷いた。
生き物を切るという作業をしたことは、叶斗から考えても一度として無かった。
母親に立たされたキッチンで魚を捌いたぐらいか。
まだ体温の残る動物を切ることなんて、もってのほかであった。
一瞬だけ目が合ってしまって野ウサギの亡骸に心の中で合掌してから、今日も腰に下げている母さんから貰ったミスリルナイフ、ではなくてじいちゃんの持ってきた普通のナイフを抜く。
初めからいい装備を使っていてはそれがない時に困るだろうとじいちゃんに言われたし、確かにそうだと納得している。自分で魔物を狩れるようになった時に使おうと思う。
「まずはここを横に……」
ギブさんの指示に従いながら一つ一つ丁寧に作業を進める。生々しい感触が手に残るけど、生きるため、食べるためだと思うとそう気にならない。
野ウサギのメニューは美味しいものだなんて考えながら作業する。
「……最後にこうして、完成だ。坊主、筋がいいな」
一羽の野ウサギの尊い犠牲によって、俺は嬢ちゃんから坊主に昇格した。
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その後もギブさんはサクサクと狩りを進めた。曰く、精霊様のお導きで大漁とのことだ。
俺は先程血抜きした野ウサギをかついだまま、その後ろをついて行くのが基本だった。
ギブさんは狩る前と狩る後、それぞれに注意点を教えてくれたし、それ以外も見て盗めることは多かった。
ただ、ギブさんもじいちゃんもスイスイと森の茂みの中も進んでいくので、遅れはしないものの、六歳の身体ではなかなかに大変だった。
「坊主、そのウサギはやるよ。お前んちなら美味い料理にしてくれるだろうさ」
日没が近づき、村に帰ってきた時に、俺が担いでいた野ウサギを渡そうとしたらそう言われた。有り難く頂いておこう。
「ありがとうございます」
「今日教えたことを忘れるなよ? じゃあまた明後日だな。今度はテッドんとこの倅も連れてこい」
「はい、ありがとうございました」
森の中でじいちゃんも含めて話をして、ラスを連れてくることや、毎週二回火の日と水の日に狩りに連れて行ってもらうことが決まった。
叶斗時代の六歳、小学一年生頃を思い出せば、無理やり習字教室に押し込まれていた記憶が蘇るが、こちらでは習うことや教えられることを嬉しく思える。あれもあれで役に立ったと思うから今となれば感謝の念は尽きないけれど。
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家に帰って、野ウサギを食べて、魔力の特訓をして、眠って、剣を振って、畑に行って、稽古して、狩りをして、雨が降ったら家に遊びに来るリーナと遊んで⋯⋯
そこからの毎日は同じような日々がずっと続いていった。
稽古は途中から素振りだけでなく、実践的な方向にも進んでいき、基本的な防御や受け流しや足捌きと心構えを教えてもらった後は向かい合った打ち合いも始めた。
狩りも山の中での心構え、魔物と出会わないための方法をラスと共に教えてもらった後は、ギブさんが用意してくれた俺たち用の弓を使ったり、ナイフを使ったりして、本当の狩りがスタートした。
順調。でも悪く言えば単調な日々だったのだと思う。ただ、毎日の一つ一つが自分を成長させてくれると思うと全く気にもならなかった。
冬になる前にナイフで野ウサギを狩り、冬の間にじいちゃんと打ち合い稽古を始め、春に弓でシカを狩り、夏にはナイフでイノシシや野犬を、弓で野鳥を狩り、秋にはぐれの魔物を狩ったところでギブさんから免許皆伝を受けた。
そして稽古を初めて一年と少し。冬の真ん中にあたる十一月の今日、じいちゃんから稽古も終わりを告げられた。
ありがとうございました。