第15話『道化師の愉悦』
揺れる方舟
——炎属性魔法、炎猿の怒号。
大気を灼く熱線が幾本も疾る。宙空を灼きながら消えゆく炎の塊を横目に、ペトラはケタケタと楽しげな笑いを絶やさない。神経を逆撫でしてくるその薄っぺらい表情に、ジェイルの苛立ちは更に燃え上がった。
「クソがッ!」
「あっぶな〜。今のは危なかったっすよ〜。あと少しで前髪焦げるとこでした〜」
振り撒かれた熱気の残滓を切り裂くように、雷を纏った小太刀を握ったペトラが駆ける。
「ハハッ、んじゃこっちの番っスよ!」
雷属性魔法、雷猫の鋭爪。
炎属性魔法、炎猿の鉄拳。
パリパリと空気を裂く音を出しながら迫る二刀の小太刀に、ジェイルは炎に包まれるアームメイルをぶつけて応じた。火炎と雷が正面からぶつかり、激しい爆発音と爆煙を辺りに撒き散らした。
「うおっとっと」
激突の衝撃で小太刀を取り落としたペトラだったが、それらを拾う素振りすら見せず、羽織ったローブの内側から新たな小太刀を取り出し、少年のような笑みを浮かべて斬り返す。
「くそっ……曲芸師かテメェッ」
「アハハッ、惜しいっすね! どっちかっていうと道化師っすよ!」
ペトラは、まるで重力を無視するような軽快な動きで飛び回りながら雷撃を放ってくる。
上下左右あらゆる方向から迫り来る斬撃の波を必死に捌きながら、ジェイルは懸命にペトラの動きに食い下がる。瞬き一つすれば見失う、そう錯覚させるほど俊敏かつ捉えどころのない動きだった。
(速い……だがギリギリついていけない動きじゃない……!)
視覚神経と全身の筋肉に法力を流し込み、《活性》の純度を高めていく。次々と繰り出される小太刀をアームメイルの拳撃で弾き落としながら、攻撃に転じる。
左の拳を陽動に、右手の魔具で炎を放つ。
そうして何本目か分からぬ小太刀を弾き飛ばした、その瞬間だった。
「あっ——」
——ペトラの上体が大きく揺れた。
無理のある体勢での連撃がたたったのか、僅かに崩れた姿勢が、一瞬の隙を作り出していた。
崩れた体勢が生み出した空隙に飛び込むように、ジェイルは一気に地を蹴った。
(ここだッ)
渾身の一撃を浴びせるべく、拳を大きく振りかぶる。
唸り声を上げるアームメイルから炎属性の法力が吹き荒れ、ここ一番の魔法へと昇華————
「今時テレフォンパンチとか、ないっすわぁ」
——雷属性魔法、アルゲースの戯れ。
ペトラの右手に握られた小太刀が激しく瞬いた次の瞬間、四方八方から鋭い雷撃がジェイルの体を貫いた。
「なっ……」
全方位から灼けるような痛みが走り、全身がジェイルの意思とは無関係に脱力する。倒れそうになる体を叱るように、片膝をついた。
「何が……」
肩で息をしながら周囲を見渡すと、先ほど自分が弾き落としたペトラの小太刀がその柄から白色の煙と雷光を瞬かせているのが見えた。それも、一本や二本ではない。はたき落とした小太刀全てが同様の光を放っている。
「《魔法連鎖》か……クソがっ……」
魔具に少量でも法力が残存していれば、外部から少し刺激を加えるだけで魔法が再び発現する。ペトラの手から放たれた雷属性の法力が、地面に刺さる全ての小太刀に残留していた法力と反応し、網状の雷属性魔法へと昇華したのだ。
「ハハッ、いくら脳筋でも気づくの遅すぎじゃないっすか〜? てか、まさか自分の実力で僕の魔具を吹っ飛ばしてたとか勘違いしてた系っすか?」
見開かれた三白眼が、どろりとした嘲笑で歪む。ケタケタと響く楽しげな声は、まるで無垢な少年が羽虫を痛ぶっているような愉悦を感じさせた。そこにあるのは、戦いに対する純然たる狂喜だった。
全身を駆け抜けた雷撃の残滓が、筋肉を弛緩させている。節々に走る、意思とは無関係の痙攣が、受けたダメージの影響を如実に表していた。
「クソッ……!」
——だが、ここで伏すわけにはいかない。
自分は王家直属四大ギルド、《荊の守り人》の一員だ。紋様に冠すは王への《変わらぬ愛》。心に宿すは眷属たる誇り。地に伏すことは、それらに唾することに等しかった。
「王の眷属を……舐めるなよ……」
全身を法力が躍る。痛む細胞が唸り声を上げて活性化する。
魔具が赤銅色に瞬き、魔法となって——
——雷属性魔法、アルゲースの一閃。
刹那の風切り音とともに、胸元に温かな刺痛が走る。ジワリ、と生暖かな感触が広がった直後、意識を刈り取らんとする激烈な雷撃が全身を貫いた。瞬間、ジェイルの視野がぐらりと揺れる。
「な……に……」
歪む視界の端で、投擲姿勢のペトラが見えた。その口角には、先ほどよりも残酷な笑みが刻まれていた。
「気合いでパワーアップとか、絆とか、そういうクサいのはヨソでやって欲しいんすよ、まじで」
ローブから新たな小太刀を抜き、法力を込めながらこちらに近づいてくる。大気が、魔具から漏れ出した雷属性の法力で震え始める。
「サムいんすよ、そういうの」
その法力量は、先ほどまでの比ではない。途絶えそうになる意識の中でも、それははっきりと感じることができた。
空気を裂く鮮やかな橙色の法力の量と濃度が、先ほどまでの戦闘が彼にとっては児戯だったのだとはっきりと気づかせる。
(こいつ……手ェ抜いてやがったのか……)
目の前に立つ男の底知れぬ力を目の当たりにして、ジェイルは自らの死をゆっくりと、だが確実に認識した。
小太刀から流れ出すねっとりとした粘度を孕んだ殺意が、ジェイルの喉元に絡みついて離れない。背筋を這う、蛇の舌先に似た怖気が全身を硬直させる。雷撃で飛びかけた意識は、氷水で冷やされたように覚醒していた。
「アハハッ、いい表情するじゃないですか。嫌いじゃないっすよ、そういうの」
ケラケラと下卑た笑い声が響き、足音が一歩、また一歩と近づいてくる。
——だが、その最期の瞬間は、突如飛来した氷の群撃によって中断された。
二人の間に割って入った氷属性の魔法は、ジェイルには安堵を、ペトラには苛立ちを齎した。
魔法に数瞬遅れて、馴染み深い声音がジェイルの肩を優しく撫でた。ジェイルは、その影に向けて消え入りそうな声で軽口を叩いた。
「すまん、罠の解除に手間取って遅くなった」
「おせぇよ……ディア……」
「助けに来たんだ、文句を言うな」
肉厚の両手剣を携えた猫目の仲間——ディアは、静かな怒りを双眸に湛え、ペトラを一瞥する。
「ウチの脳筋が随分世話になったようだな」
「……誰っすか。他人の狩りの邪魔するっていい度胸してますね。それともアレっすか、援軍がプチブーム的な?? どっちにしてもサムいっすよ」
ペトラは、先刻までの愉悦とは打って変わり、あからさまな苛立ちと怒りを浮かべていた。自身の戦闘を中断されたことがよほど癪に障っているようだ。足を小刻みに揺らしながら、薄っぺらい笑みを怒りで震わせている。
「口は悪いが大事な部下でな。死なれると困る」
「へぇ。あんた、そのお猿さんの上司なんすか」
「あぁ。《荊の守り人》第二幹部のディア・イブラだ」
ディアは、ペトラの苛立ちに対して淡々とした口調で応じ、右手に握られた両手剣を肩に担ぎ上げる。
苛立ちに覆われていたペトラの顔が、ディアの素性を耳にした途端どろりとした笑みに変わった。わざとらしく口笛を鳴らし、手にした魔具を手技で弄ぶ。
「《白狼》と殺り合えるなんて、しかもこんな可愛いなんて、めちゃめちゃラッキーっすね」
「……その減らず口、今すぐ叩けなくしてやる」
「すぐにヒーヒー啼かせてあげますよ」
両手剣が、白色の瞬きを放つ。
氷属性魔法、フェンリルの牙突。
荊を守護する白銀の兵士




