第1話『闇夜より響く軍靴の音色』
深淵から覗く眼。
<2020年5月21日追記>
小説家になろう運営様より本小説がガイドラインの一部に抵触している旨の通達がありました。
全話を遡って描写を確認したところ、該当箇所として思い当たる話が本話であると推測できたため、冒頭のシーンを改変しております。
その後の展開との齟齬をきたさない範囲内での改変となっているためストーリーの大筋には一切影響ありませんが、これまでとは描写が異なるため、読んでくださる方には申し訳ありません。
「それじゃ、あとは私の部屋でゆっくり話しましょうか」
「そうね」
目の前の女は酒に酔ったのか頬を赤くし、にっこりと柔らかな笑みを浮かべた。
腰に手を回すと女はそれを受け入れ、薄暗いバーを出る。
街灯に照らされた夜道を歩いている最中、時折女が何か甘い言葉を口にしていた。男の耳にとっては煩わしいそれを適当な言葉で返すと、女は気を良くしたのかうっとりとした目をした。
「がっ……!」
宿の部屋に入った瞬間、腰に隠し持っていた短剣を引き抜き、後ろから一気に首元を掻き切った。
力が抜けていく身体をなんとか捩った女の顔には、何が起こったのかわからないといった動転と、頸動脈を掻き切られた苦悶による歪みを半々に混ぜたような表情が浮かび上がっていた。
勢いよく吹き出した鮮血が辺り一面を赤黒く染め上げ、崩れ落ちた女の死化粧として鮮やかに輝いている。
女はそれから数瞬の間何かを言いたげに呼気を漏らしていたが、それも言霊になることはなく、やがてその拍動と共に静かに消えていった。
男は足元を見た。
薄橙色の絨毯にじわじわと浸潤していく女の鮮血の量が、彼女の死を明確に告げていた。
男は女が死んだことを手短に確認すると、返り血で濡れた上着を脱ぎ捨て、シャワー室に入った。蛇口を捻ると、程よい冷水が全身を叩く。殺人の刹那の興奮で微かに火照った体と、一仕事終えた脳がクールダウンしていく。
足元を見た。女の返り血が水に溶け、排水口に吸い込まれていく。
自身の体の汚れをひとしきり落とし終え、男は静かに息を吐いた。仕事人から私人に変わっていく感覚が、男を包んでいった。これで、この仕事は終わりなのだ。
備え付きのタオルで体を拭き、下着とズボンだけ履いて部屋に戻ると、女の死骸とは別の人影がいるのを見とめた。その人影は、床の上で既に生き絶え、冷たくなり始めている女の髪を撫でていた。だがその表情は反して氷のように冷たい。
「ちょっとガルさん、まだ僕一応仕事中っすよ。仕事中の接触は避けてくださいってずっと言ってるじゃないっすか」
机にだらしなく腰掛ける人影に声をかけると、その男はスッと立ち上がり、「まぁまぁ」と宥めるような声をあげた。
「今日仕事終わらせるってマスターから連絡受けたから迎えに来てやったんだ。大目に見ろよ、ペトラ」
「この部屋から出るまではまだ僕の仕事の範疇っすよ。それに、終わったらこっちから連絡するつもりでしたし」
「どうだかな。お前手柄独占したがるだろ」
「ちょっ、心外っすねガルさん。やっとの思いで情報ゲットした後輩に労いの言葉とかないんすか」
「元々このネタをお前に任せたのは俺だろうが。まぁいい、お疲れ」
男——ガルはぶっきらぼうにそう言うと、ペトラの体と女の遺骸とを交互に見比べ、小さなため息をこぼした。
「相変わらず趣味悪いなぁお前。わざわざこうして連れ込む必要あんのか。情報仕入れたきゃ適当に拉致って拷問すりゃすぐ吐くだろ」
「わかってないっすねぇ、ガルさんは。拷問しようが連れ込もうが、どっちみち死ぬなら最期くらいいい気持ちに酔わせた方が本望でしょうよ。優しさっすよ優しさ」
「何が優しさだ、くだらねぇ」
ガルは短くそう吐き捨てると、ペトラの着ていた衣服をこちらに投げた。それを片手で受け取り、身につけたところで、ガルが声音を変えて口を開いた。
「で、情報は手に入ったんだろうな」
「そりゃもう、バッチリっすよ。僕を誰だと思ってんすか」
床に乱雑に散らばった女の私物をかき分け、その中から古ぼけた紙束を取り出した。それを数枚めくり、目当てのページを見つけると目の前で訝しむ表情を浮かべるガルに差し出した。
「ほらここ、《永霊石》に関する記述があります。古代文字で読めないでしょうけど」
「バカにしてんのか。つかお前は読めんのかよこれ」
「役作りの一環っすから一通り勉強しましたよ。ってか読めないとこの女に見向きもされてませんって」
この考古学者の女を見つけ、近づくためにどれだけの労力を払ったと思っているのだ。考古学と歴史学に関する見識を身につけ、古代文字に精通し、ある程度の知識は蓄えた。
「この図の中心にある丸いやつがそうなのか」
「はい。マスターが求めてる本丸ですね。丸いやつだけに」
自身のギャグにククっと笑いを堪えていると、ガルはまた小さなため息を吐いた。今度のそれは、呆れを含んでいた。
「まぁいい。これでピースは揃った。ご苦労さん、マスターに頼んで報酬は弾んでおいてやるよ」
「えっまさかガルさん、これ1人で行くって言うんじゃないでしょうね!? そりゃずるいっすよ!」
ペトラが声高に反論すると、ガルはバツの悪そうな顔で軽く舌を鳴らした。
「……ついて来んのか」
「当たり前っすよ! こんだけ苦労してゲットした情報なんですから、僕にだってその権利あるはずでしょ! ってかガルさんじゃ《遺跡》の中入っても迷子になるじゃないっすか」
「苦労したのはお前がまだるっこしいことしてるからだろうが……」
明後日の方向を見ながら明らかな嫌悪感を浮かべる。が、一瞬の逡巡の後、諦めたような表情でペトラに向き直った。
「足引っ張ったら即殺すからな」
「やったー! 物分かりいいガルさんまじ大好きっす!」
「……今殺してやろうか?」
ガルが言うと冗談に聞こえないっすよ、という軽口を喉元で抑え、ペトラは手にした紙束を自身の鞄に押し込む。
「ここの後始末はどうすんだ。このままにしといたらすぐ十字師団が嗅ぎつけるぞ」
「そこんとこは部下が抜かりなくやるんでご心配なく。さっ、行きましょ」
手早く身支度を整える。髪にまだ濡れた感触があるが、構わず鞄を肩にかけ、ガルを催促する。
「あぁ——《古代遺跡》か。面白そうじゃねぇか」
「じゃあ行きましょっ。まずは《水霊都市アルトミネ》っす。楽しみっすねぇ」
二人の男は部屋を後にする。
深淵の底から這い出した二体の死神の足音が、やけに大きく響いた。




