第5話『あの日の記憶②ー守りたい者ー』
それは、希望をくれた者の名。
——途中、幾つもの死体を見た。身にまとう装束は様々だったが、皆一様に絶望と苦悶、苦痛を顔に貼り付けたまま息絶えていた。辺りの建物は魔法による攻撃で破壊され、崩れた瓦礫が重なり合い、エレンの行く手を遮っている。
「ひどい……」
生まれてこのかた、見たことのない惨状だった。今までに幾つかの任務には同行したことがあったが、この状況と比べるとどれほどマシに見えることだろう。
ここがこの世の地獄だと、わずか十三歳のエレンは静かに悟った。
第一シェルターが地獄の中に巻き込まれていないことを切に祈りながら、エレンは歩を強めた。
ーー王都中心部郊外地区。
視界の向こうで、炸裂する魔法と怒声の応酬が見えた。非戦闘員を収容する非常用地下シェルターがあるはずの付近だ。
嫌な胸騒ぎがした。思考の中に、どろりとした感覚が流れ込んでくる。最悪の事態が、脳裏をよぎった。
(くそっ……)
自身の大切な人の姿がまぶたの裏に浮かぶ。恩人の最悪な状態など、見たくもなかった。
『空に手は届かないけど、手を伸ばすことはできる』
彼女のその言葉があったから、エレンは救われた。兄たちと比較され、両親に見放されてもなおどん底の淵にしがみつき続けることができたのは、彼女のその言葉があったからだ。
彼女にしてみればエレンは、ただの親の商売相手先の子供だろう。ただそれでも、自分が燻っていた時に、出生の秘密を知って苦しんでいた時に、唯一温かい声をかけ続けてくれたかけがえのない人だ。
(絶対に助ける。たった一人の、希望なんだ)
——エレンの姿を捉えて攻撃を仕掛けてきた敵兵をあしらい、太刀の一撃で右足を吹き飛ばす。視界の端で転げる敵兵を尻目に、エレンは駆けた。
シェルターの入り口付近では、まさに一進一退の攻防が繰り広げられていた。カーキ色のジャケットを身にまとった英霊十字師団の兵がシェルター入り口を取り囲むように立ちはだかり、ある者は防御魔法を、またある者は迫る敵めがけて攻撃魔法を乱発している。
それに向かって突っ込んでいく敵兵の装束は統一されてはいなかった。ある者は十字師団の正装であるカーキ色のジャケットを羽織っていたし、別の者は先ほど会敵したガルと同様の黒ずくめの服を身にまとっていた。それとは全く別の衣装を身につけた者の姿も多くあった。
幸い、現場に駆けつけるエレンに対して敵兵は背を向けていた。気づかれることのないよう、声を上げず静かに太刀を構え、法力を込める。
薄青色の光を放った直後、太刀の刀身から冷気が立ち上る。そのまま太刀を腰にあてがい、横薙ぎに一閃。氷の礫が波となって放たれた。
氷属性魔法、冷蝶・牙突。
蝶の形状を模した氷の群勢が一斉に殺到し、敵兵の背後から奇襲の一撃を浴びせかける。その一撃で、敵兵の何人かがその場で沈黙した。不意の出来事に、どよめきが走った。
「何だッ!?」
「後ろだ!! 奴らの援軍が来てる!」
「……一人か!? 舐めた真似をッ!」
冷蝶・牙突で意識を刈り取られなかった者が振り返り、それぞれが魔具に法力を込める。
エレンは走りながら切っ先を進行方向へと向けた。右手は柄を握り、左手は柄頭に添える。
「邪魔だッッ!! どけぇぇ!!!」
風属性魔法、シルフの咆哮。
切っ先が轟々と唸り声を上げ、太刀を中心に巨大な旋風を巻き起こす。旋風は嵐の如き一塊の烈風となり、エレンの体ごと包み込んでいく。
エレンを包み込んだ竜巻は、大地を抉りながら猛進する。
敵兵が放った魔法を弾き飛ばし、さながら戦場を疾る弾丸と化したエレンは、勢いそのままに敵兵を吹き飛ばし、薙ぎ払った。
——シェルターの入り口が見えた。
入り口を守る十字師団兵が、手傷を負いながらもその侵入を何とか阻もうと必死の応戦をしている。
あと少しで彼らの元へ辿り着く——その刹那だった。
——周囲を、影が覆った。
次の瞬間、エレンの視界を埋め尽くすほどの炎の塊が天から降り注ぎ、シェルター入り口周辺を焼き払った。堅牢なシェルター入り口の門扉が一瞬にして吹き飛ぶ。十字師団兵と敵兵に業火が見境なく降り注ぎ、断末魔の叫びが上がる。
「なっ——!?」
反射的に天を仰ぎ見たエレンは、言葉を失った。
そこに広がっていたのは、我が目を疑う光景だった。
角から尾の先まで全てが純白に覆われた、龍。
焉龍・白凰種。
法獣の頂点と名高い焉龍の突然変異種にして、焉龍種内の覇王。
絶望の権化とされる白衣の龍が、目算だけでも十体以上、天にその翼を広げている。そしてその背には、白銀に輝く鎧を身に纏った兵士が直立している。その背には、一本の剣と二輪の菊の花の紋様。
「入り口は焼き払った!! 中で震える仔羊どもを撃滅しろ!!」
白銀の鎧の一人が剣を掲げると、それ以外の鎧兵が龍の背から一斉に飛び降り、シェルターに殺到する。一瞬の出来事だった。
「ま、待てッ!!」
突然のことに呆気を取られたエレンは、新たに現れた戦力が誰かもわからないままではあったが事態は飲み込めた。第一シェルターが、破られたのだ。脳裏に、最悪の光景の幻視が蘇る。
——それだけは、絶対にさせない。させてたまるものか。
エレンの手に、足に、全身に怒りが迸った。
「リリアッ!!」
守らなければならない幼馴染の名が、戦場にこだました。
声にならない怒りを携え、
守る者の名を抱え、
一人、無明の底へ。




