第2話『異変への亀裂』
炎属性魔法・断焔。
背丈ほどもある分厚い大剣の刀身が赤く煌き、炎に包まれる。大気を、殺意を、炎の名の下に焦がしていく。
炎を帯びた刀剣が《タイラント・ワーム》の大きく発達した眼球を捉える。緑色の体液と共に激痛の絶叫が戦場に轟いた。
苦痛の叫びを意に介さず深々と突き刺した大剣を引き抜くと同時に、刀身から放たれた炎が芋虫の全身を覆い尽くした。
断末魔の悲鳴を上げる紫芋虫を足蹴にし、レイラは更に獰猛に地を蹴る。
「体液ぶちまけて死にさらせッ!」
その勇猛さを見て、エレンの心にも火が灯った。
自信に向けて迫ってくる紫芋虫に標的を定め、駆け出した。
「ゴオオオォォ……――――」
地鳴りのような声を響かせながら地を這う法獣が、胴体とほとんど変わらない大きさの口を開け、なかに乱立する細かい歯を覗かせる。
歯牙の奥で蠢く消化器官が、人間を捕食し、己の養分とせんと蠢いている。
その醜悪さに鳥肌を立たせながらも、エレンは迷わず直進する。むしろ、加速しながら。
芋虫との距離が目前に迫った段階で、エレンは魔具を纏った足に力を込めた。
2種類の、周期の異なる法力を同時に両足に流し込む。
風属性魔法、空歩。
風属性魔法、空撃剣・烈。
法晶石と法力が反応し、魔法に昇華するギリギリの臨界状態を保つ。暗闇で針の穴に糸を通すような、限りなく不可能に近い芸当だった。
目の前に、芋虫の口蓋が迫る。飛び散る唾液が、服に穴を開けた。
――――接触の瞬間、一つ目の魔法が発動した。エレンが跳躍すると同時に発動したそれは、エレンの体をふわりと持ち上げ、速度を激減させた。
《空歩》と名付けられたその魔法は、エレンの体を宙に停滞させ、落下速度を小さく抑えた。
体の真下を《タイラント・ワーム》の巨体が駆け抜ける。
「オオォォ……」
芋虫は、自身の頭を飛び越え、視界から消えたエレンを確認するために急制動をかけた。
エレンは、その隙を見逃さない。
弧を描く形で落下していたエレンは、逆さの視界で芋虫の姿を捉えると、すぐさま第二の魔法を発動する。
《空歩》を保った状態のまま放たれた《空撃剣・烈》は、以前使った《刺突乱舞》とは比べ物にならないほど巨大な衝撃波となって魔具から飛び出した。
肉を引き裂く耳障りな音と共に、芋虫の体が背から2つに割れる。
「オオオォォォォォォォ………………!」
そこから成虫となって空に羽ばたく――――などということはなく、そこから血と内臓をぶちまけながら、紫色の法獣は断末魔の叫びを響かせた。
「まずは一体」
《空歩》を解き、再び地を踏んだエレンは、自身に向かって殺到してくる複数体の法獣に意識を移した。
並走してくるトカゲ男が、ほぼ同時にその両腕を振るう。大気が、唸り声を上げた。
その一撃を後ろに飛んでやり過ごし、法晶石の状態を目でちらりと確認してから、新たな法力を送り込む。
風属性魔法、空撃剣・刺突二閃。
右足を持ち上げ、二度空を蹴る。
翡翠色に輝く法力が魔法へと昇華し、肉厚の剣となって飛び出した。放たれた二発の〝風〟は、狙い違わず二頭の《ブラッド・リザード》の胸に穴を穿った。
「ガ……」
「ギィィ……」
膝から崩れ落ちながらも、その眼には捕食対象たるエレンが鮮明に映っていた。殺意が、くぐもった声となって表れる。
《刺突二閃》に手応えを感じながらも、とどめを刺そうと再度法力を捻出。濃い緑色の法力が右足を覆った。
風属性魔法、空撃剣。
派生系の源流の魔法を右足一本に収束させながら、眼前のトカゲ男目がけて跳躍した。
エレンの一連の行動を好機と捉えたのか、胸から夥しい量の血を流しながらも、トカゲ男の表情は狂喜に支配されていた。
エレンを捕らえようと腕を振るう。
が、その動きは彼らの意識とは無関係に、愚鈍で愚直だった。
腕が体に届くよりも早く、空中で体を回転させる。
足に2度、肉を引き裂く感触が伝わる。
袈裟掛けに体を切り裂かれた二体のトカゲ男は、双眸に殺意を漲らせたまま、静かに地に沈んでいった。
「三体」
まだ張り巡らせた緊張の糸は解かない。
次なる狙いは、三頭のトリ。大きな下半身を揺らしながら、空高く飛び上がった《グリュプス》は、エレンの姿を見るや、揃って金切り声を発した。
キィキィと耳障りな声を上げながら高速で飛行するトリ達は、エレンの姿を認めているにもかかわらず何もしかけてこない。むしろこちらを挑発するように空中で旋回を続けていた。
「空中戦ってわけか。いい度胸だね」
風を操るエレンにとって、戦う場がどこになろうが大差はなかった。
足に法力を――恐らくこの魔法で法晶石が砕けると意識下で感じながら――込め、わずかな助走で宙に跳んだ。
同時に魔法を発動。
風属性魔法、空歩。
さきほどは落下速度減退に使用した魔法を、今度は出力を高め、垂直方向への推進力として使う。
右足が宙を蹴り、左足がその先を踏む。
一瞬にして空を駆け上がるエレンは、その刹那、三頭の内の一頭に狙いを定めた。
「ガァ」
カラスのような間抜けな声で喚き散らすトリとの間合いを数秒で詰め、トリが回避行動に転じようとする前にその首を右手で掴んだ。
グェ、と苦しげな嗚咽を漏らすの尻目に、右手を支柱にして体を回し、背に飛び乗る。
飛び乗られた側の法獣は、エレンを振り落とそうと必死で暴れた。
「くっ……」
右へ、左へ、上へ下へ。
三次元軸を踊り狂う《グリュプス》だったが、エレンはその手を頑として離そうとはしなかった。
動きがわずかに遅くなった瞬間、エレンは反撃に転じる。
左手を素早く腰元に回し、一本のナイフを引き抜いた。
ティクグが鍛えた、特注のナイフだ。魔具ではないので魔法は使えないが、その切れ味は法獣の強固な細胞結合を切り裂くのに充分だ。
逆手に持ち替えたナイフを、渾身の力を込めて振り下ろす。再度、肉を貫く感触。
「ギィィィィ!」
首元から鮮血を大量に噴き零しながら、エレンを背に乗せた《グリュプス》は力を失い、落下を始めた。
しがみついていた手を離し、背を蹴って宙に飛び出す。
残る2体も仕留めようと意識を移し、足に力を込め――――。
(っ!)
自由落下を続けるエレンの体は、いくら法力を流しても止まることはなかった。当然だ。魔具に挿入してあった法晶石は黒煙を上げ、もう輝かない。耐久限度を超えてしまっていた。
せめて地面に叩きつけられないよう体勢を立て直すものの、頭上からはこれを好機と捉えた2体のトリが猛スピードで降下してきている。
腰のポーチに入れてある法晶石に手を伸ばし、同時に魔具のシリンダーを即座に開放する。
だが、エレンが法晶石の再装填を終えるよりも早く、背後から飛来した複数発の火球が2体の《グリュプス》に直撃した。
炎属性魔法、焔玉。
次々と飛来する火球は、吸い込まれるように被弾していく。トリ達は、悲鳴を上げることもなく体を紅蓮の炎に焦がされていった。
法獣の最期を見届けたエレンは受け身を取って着地し、すぐに立ち上がった。後ろを振り返り、叫ぶ。
「ナイス、リイシャン!」
視線の先には、強張った顔つきで細杖を握る少女の姿があった。手にしっかりと握られた魔具からは、白煙がゆらめいていた。
「やった……! 初めて、倒せた……!」
今にも泣きそうなリイシャンを見届けると、エレンは脚甲に法晶石を装填し、再度駆け出した。
残るのは一体、《ブラッド・リザード》だ。
こちらに対して恐怖を抱くことなく猛進してくる獣など、エレンの敵ではなかった。
風属性魔法、空撃剣であっさりと仕留め、周りを見渡す。
辺りは、法獣の血で染め上がっていた。そこに転がる死体は、13。確認された法獣の数と一致する。エレンは、ひとまず、安堵の息を漏らした。
「とりあえず、ここは一段落ですね」
「あぁ、そのようだな。皆、よくやった」
自身の魔具についた血糊を拭いながら、ルイが言った。
「ぐだぐだ言ってる暇あったらさっさと終わらせようぜ。第二陣も、ここからそう遠くねぇんだろ?」
「え、えぇ。さっき確認した距離が変わっていないのであれば、大体二〇〇メートルですね。勾配がきつい上に木が繁茂しているせいでこちらから姿を確認することはできませんけど」
大剣を鞘に収めようとしないレイラをなだめるように頬を緩めたエレンだったが、彼女の鬼気迫る形相を見ると、表情が強張ってしまう。
「皆さんすごいですね。さすが、本部のメンバーは違いますね」
「ヤドルフ、それだと俺達がショボいみたいな言い方じゃねぇか」
「いや、さすがにそこまでは言いませんけど、私も支部長も、彼らほど討伐していませんし」
「俺らは後衛だから一人平均二体でいいんだよ。逆にエレンが倒し過ぎなんだよ。一人で4体も倒しちまうから、こっちに数が回ってこねぇんだ」
口を尖らせるレイドットに、ヤドルフがくすっと笑い声を上げた。
「人のせいにするのはよくないですよ、支部長」
「うるせ。次の群れは今の倍は仕留めてやる。それならいいだろ、第一支部副支部長様」
「なんで私に当たるんですか」
くすくすと笑いながら、ヤドルフは自身の魔具――――錫杖を眺めていた。リイシャンのものよりやや太く、長さは倍以上ある。ちょうど彼の足から胸くらいの長さだ。当然出力できる法力量は多く、制御が難しい。
先程の戦闘では彼の魔法を拝むことができなかったエレンだが、彼の体から漂う法力の残滓は、雷属性のそれだった。
(この人、相当なやり手だな)
レイドットを軽くあしらっている姿からはあまり想像できないが、彼の魔法は恐らくこの中の誰よりも速いだろう。雷属性とは、そういう特性を持っている。
からかわれているレイドットにしても、相当な使い手のはずだ。戦闘中轟いた銃声は少なかったものの、その全てが法獣の急所を一撃で射抜いていた。動き回る法獣相手では、そんな芸当は誰にでもできるものではない。レイドットとこうして任務に赴くのは何度目かだが、いつ見ても流麗な銃さばきである。
今回のメンバーはルイが選抜したのだが、その観察眼に狂いはなかったようだ。レイラが危惧していた、リイシャンに対する危険はほとんど拭えているといっていいだろう。
魔具の具合を確かめてから、エレンは歩き出した。まだ、狩りは終わっていない。
「先を急ぎましょう。今はそれが第一です」
「賛成だな。今度はきっちり見せ場作ってやるよ」
「あまり無茶はしないでくださいね、支部長」
「ヤドルフの言う通りだ。レイドット、あまり調子に乗るなよ」
「目離すとすぐ調子に乗るもんな、お前は」
「なっ……レイラにだけは言われたくねーよ」
レイドットは口を尖らせ、不満そうに愚痴を零す。
そんなレイドットをなだめようと、エレンは苦笑と共に両手を上げた。
「まぁまぁ。そういうことも、全部終わってからにしましょうよ」
エレンがそう言うと、レイドットは言い返す言葉が見つからなかったのか、むぅと黙り込んだ。
急勾配の坂を抜け、一行は木立に入った。
この先に、先程の倍近くの法獣が群生しているはずだ。そう考えると背筋に冷たいものが走り、指先が震える。
(久しぶりだな、こういう感覚……)
気持ちが高ぶり、名状し難い高揚感が胸中を満たしていく。狩りに対して僅かばかりの余裕が生まれていることに対する安堵なのかもしれない。一〇〇パーセントはあり得ないが、このメンバーなら失敗はまずないだろう。敵の数が倍に増えたところで、かかる負担が増えるだけだ。
頭の中で、依頼内容の書かれた羊皮紙を広げた。対象となる法獣の数は約三〇体。種類は、確か六種類前後だったはずだ。先程 《タイラント・ワーム》《ブラッド・リザード》《グリュプス》の三種を討伐し、恐らく残るのは三種だろう。同種の法獣達は群れを形成することが多く、この先に別の群れを形成しているとは考えにくい。故に、《タイラント・ワーム》らが残り二〇体近くの群れにいることはないだろう。
《グレイ・スライム》《ブラッド・ウルフ》《オルトロス》の三種が、依頼書に記された残りの法獣達だ。
灰色のゼリー質の体を持ちながら、非常に素早く、かつ獰猛に人間を捕食する《グレイ・スライム》。
全身の皮膚に体毛はなく、代わりに絶えず体から溢れる赤黒い体液が体表を防護、及び強い酸性を示すその液体で対象を溶かし、屠る《ブラッド・ウルフ》。
二つの頭を持ち、紫と黄色から成る粘液質の皮膚を光らせながら地を這いずり回る《オルトロス》。
どれもこれも人間の本能的な嫌悪を誘発させる法獣ばかりだ。もっとも、その醜悪さほどの危険性はないはずだが。
木立が終わりに差し掛かり、エレンは生唾を飲み込んだ。辺りにも、沈黙と緊迫感が広がっていく。
再度、自身の脚甲の具合を確かめながら、頭の中で任務成功の幻像を浮かべる。それは、限りなくリアルだった。
湧きあがる高揚感を何とか理性で抑えつけ、思考を冷やしていく。
「がんばろうね、エレン君」
「うん。また、後衛よろしく」
――――木立を抜け、最初に声を発したのは、レイドットだった。
「な……んだよ、こりゃ…………」
その光景に、エレンを含む全員が息を呑んだ。心の中で、何かが弾けた。
「一体、何が……」
かろうじてルイがそれだけを零し、あとには完全な沈黙が漂う。皆、失った言葉を取り戻せないでいた。
そこにいるはずの法獣、二十三体。
その全てが、既に絶命していた。
動揺、焦燥。
事態、急変。




