第一話
オレの名前は木下佐輔。今年で二十一歳になる。
職業は?と訊かれたら「無職です」と答えるのが定番となっている。いわゆる、働かないニートだ。
汚部屋に引きこもり、ネットやゲームなどをやってると思われがちだが、部屋は綺麗で日頃はテレビを観ている。昼夜逆転の生活はしておらず、有り難いことに、毎日三食頂いている。軽いランニングやちょっとした筋トレにも励み、いつかは働いて人の役に立ちたいと思っていた。
「ある日突然――」その前に、オレがこれまで歩んできた人生を振り返るとするか――。
今から二十年程前、木下大輔、木下佐和子、この二人の間に誕生した。
幼稚園を卒業するまでは、明るく幸せな家庭の中で育った。しかし、オレが小学校に上がると、それまで幸せだった家庭も嘘のように消えた。
突然、両親が離婚してしまったのだ。どうして離婚したのかは、未だに分からない。
それからは母と離れ、父と父方の祖母と、オレは暮らすようになる。
離婚後はたまに母と会ったりもした。
小学校四年生くらいまでは、母と一緒に写っている写真を見ると、毎晩のように泣いていた。母がオレに、今後はもう会えない、と告げてきたのが丁度この時期だ。
ただただ泣いていた日々を思い出すと、今でも悲しい。
五年生のある日、父からキャッチボールに誘われた。ボールを投げていると心が晴れ晴れとした。
キャッチボールを終えると父が近付いて来た。「どうだ、楽しかったか?学校のクラブに入りたいか?」
オレは「うん」と言ったのを今でも覚えている。
これを機に小学校の軟式野球チームに入団した。
運動会でリレーの選手に選ばれるほど足が速かった事もあり、僅か半年で、外野の要と呼ばれているセンターのレギュラーに定着した。打順も足の速さを買われ一番バッターだった。
チームメイトや友人からは、通っていた轟川小学校に因み、轟川のスピードスターと呼ばれていた。
今思うと少し恥ずかしいが、この頃はそう呼ばれると嬉しかった。
轟川小学校を卒業し、近くの轟川中学校へと入学した。
部活は野球部ではなく、陸上部を選んだ。きっかけは、六年生の時に同じクラスだった森高豪だ。
「頼むから一緒に入ってくれよ、木下。お願いだから、頼む」と執拗に誘ってきたので、やむを得ず入部した。
オレは持ち前の足の速さと、野球で鍛えられたそこそこの持久力を生かし、百メートル走と四百メートル走の選手になる。
森高は恵まれた体格と力を評価され、砲丸投げの選手になっていた。
三年生の夏には、二人とも市の大会で一位を獲得するレベルの選手に成長する。新聞でも、オレは轟川のスピードスター、森高は轟川の豪腕、と紹介された。
「森高、オレ達新聞に載ってるぞ。やったな」ついついオレの気分が舞い上がった。
「ああ、そうだな」こう言った彼はどこか不機嫌そうにも見えた。
中学卒業前の時期に、久しぶりに母と再会した。傍には幼い女の子もいた。
「あの時は本当にごめんなさい」母が涙ながらに謝罪した。
「いいよ別に。母さんにも母さんなりの苦悩や葛藤があったんでしょ?だからいいよ、謝らなくて」オレは涙をこらえて言った。
母は涙を拭うと色々聞かしてくれた。別の人と再婚していたが、数ヶ月前に離婚したらしい。苗字は旧姓の竹井に戻したそう。
母の後ろに隠れていた幼女はオレを指差し「このひとだぁれ?」と母に訊いていた。
「美羽ちゃんのね、お兄ちゃんだよ」母が言った。
「初めまして美羽ちゃん。オレは佐輔。よろしくね」
「よろしぃくぅ」
「何歳?」
「しゃんしゃい」誇らしげに指を三本立てて言った。
オレは中学卒業後、轟川高校に入学した。勿論、森高も一緒だ。
オレ達は中学から引き続き、高校でも陸上部に所属する。お互い一年時から県大会まで進み、それなりに活躍していた。
オレは百メートル走で、森高は高校から始めたハンマー投げで、共に入賞した。
「悔しいなあ……森高、来年は絶対メダル目指そうな」
「フッ」森高は鼻で笑う。「そうだな。来年もあの舞台まで行けたら、の話だけどな、木下」
一年生の冬に不幸な事が立て続けに起きた。
先ず、父が飲酒運転の車に跳ねられ亡くなった。その二月後には、祖母が病により跡を追うように亡くなってしまう。
悲しみに暮れるオレを救ってくれたのは母だった。
「これからは私達三人が家族よ」
それからオレは、母と異父妹と暮らし始める。
しかし、悲劇は遂にオレ自身へ起きてしまう。
二年生になったある日、学校の帰りに書店に立ち寄った。
前々から気になっていたアイドル『春山百音』のファースト写真集を購入するためだ。
(百音ちゃんの写真集、置いてっかな……)内心不安に思いながら探していた。
「イテッ」オレは誰かとぶつかった気がし、辺りを見回すが、誰一人居なかった。
オレが探し始めて十分くらいでようやく見つけた。
「おっ、あった。ラッキー」オレは喜びでつい声が出てしまう。
(表紙が……セクシー過ぎるぜ)恥ずかしさのあまり、オレの頬っぺたがリンゴみたいに赤面していた。
オレはレジで支払いを済まし、店から出ようとしたら、出入口の防犯センサーが反応した。ブザー音に対して、万引きはしてないから誤作動かな、と思い店を出たら、店員に呼び止められた。
「鞄の中身見せてもらってもいいかな?」
「ああ、いいですよ。けど何も盗ってませんよ」オレはそう言って鞄を下に置きチャックを開けた。中を店員に覗かせる。
店員が一冊の本を取り出すと、防犯センサーにそれを通した。ブザー音が店内に響き渡る。
「ちょっと、違いますよ!もういいですか」オレは本を取り返した。
『ゴキブリウォーカー ~ゴキブリのおさんぽ~』
「……」タイトルを見て、一瞬頭が真っ白になった。
「何だよこれ……こ、こんなの知らない。これは僕の本じゃありません!何かの間違いです!信じてください」オレは慌てながら言った。
「分かったから。取り敢えず中に入って――」店員に店の奥へと連れて行かれた。
かなり動揺していたオレは、この後の内容をあんまり覚えていない。唯一思い出せるとしたら、警察の人が来た事くらいだ。
その日のうちに家へ帰ることが出来、翌朝を迎える。
「おはよう」オレは母と美羽に朝の挨拶をした。
「佐輔兄ちゃんおはよう」美羽は保育園に行く支度をしている。
母も「おはよう」と返してくれると、昨日の事を説明してくれた。
「佐輔、あなたは終始放心状態だったから覚えて無いと思うけど、警察の方が防犯カメラの映像を調べてくれたの。でも佐輔が店内に居た十分間だけ、カメラが止まってたのよ」
「止まってた?オレが居た時にカメラが?」
「ええ、そうよ。何が原因か判らないし、佐輔も盗ってないって言ってたから、昨日はお店の店長さんも許してくれたの。母さんも必死に謝ったんだから」
(ありがとう、母さん)オレは泣きそうになり、心の中でしか感謝を伝えれなかった。
その日学校に行くと、校長から停学処分を言い渡された。昨日の一件を警察から聞いたそうだ。だがオレは、やってもいない罪で、母や書店に迷惑をかけた罪悪感から、自主退学を高校に申し出た。
一週間後、オレの意思を尊重してくれた轟川高校は、退学を容認する。
こうして、当時十六歳だったオレの高校生活は、ゴールデンウィークの終わりを告げると同時に、幕を閉じた――。