第二話
「ヴァルダミンゴと言えば」
ステーキを食べ終わったシャンテルが、唐突に話を切り出した。
「ん? どうした」
アーチボルドはシャンパンを飲みながら、シャンテルに問いかける。
「最近、姿をめっきり見せていないらしいわよ」
シャンテルの表情が急に真剣になる。それは、アーチボルドが困惑する程の。彼女がこういう顔になると、決まって悪い話になると分かっていたからだ。
「誰から聞いた?」
「密偵よ」
シャンテルの友人に間諜を放つ者がいるというのだ。
「なんていうか……それは初耳だな」
アーチボルドは首を傾げながら言った。
「密偵だからね。貴方にも話したくなかったんだけど」
表情が曇っている。
「それで、その密偵の言う事は信用できるのか?」
「私とは、二十年来の付き合いよ。学生時代の時から一緒だったわ」
「そうか。それなら信用に値するな」
緊張した面持ちでシャンパンを口に入れるアーチボルド。まだ、彼女が何か不可解な事を言い出すのか疑いの目になっている。これは聖天の実から脱会した十年前から始まり、時には災害の予言をした事もある。
「病に倒れたか、事故にあったのか。それは分からないらしいけど」
シャンテルは顎に右手を当てて、考え込んでいる。
「それは良かった。これで、教典の内容はホラ話と証明されたな」
シグマサードと呼ばれる教典には、ヴァルダミンゴは神界から降臨した神様であり、不老不死だという記述がある。シャンテルの話が正しければ、不老不死は嘘と証明されるのだ。
「彼の死が近づいているの?」
「そうだといいな。これで、必要以上に怯える生活もなくなるってものだ」
「死ねばどうなるのかしら」
「知らねーな」
アーチボルドは知らないと言う。生命の循環はシグマザードに載っているというのに。彼は聖天の実から完全に脱しているようだった。
「人は死んだら、魂をフォイルムンクに幽閉されるのよ」
何故か、シャンテルの様子がおかしい。そのことは長年連れ添ってきたアーチボルドが良く分かっている。
「何を言っている」
「シグマザードの三項目に書かれているわ。忘れたの?」
シャンテルの表情は至って普通だ。しかし、口からは異常な言葉を発している。聖天の実から脱会した筈のシャンテルが、決して口には出さないであろう言葉を。
「忘れる物か。全てを読み込み、一文一句は頭の中に入っている。だが、シグマザードに書かれた事は二度と口にしないと、固く誓っただろう」
そう、脱出成功時にだ。
「約束は破るためにあるのよ」
シャンテルの様子が急変する。
「誰だ、お前は!」
不審に思ったアーチボルドが立ち上がった。
「私は私よ」
「違う、何かが違う」
「十年前の私と何も変わらない」
「十年……前?」
その時だ。部屋の扉が吹き飛び、黒いプレートアーマーを着た騎士達が部屋の中に侵入してきた。騎士達はテーブルを囲んで、二人の様子をうかがっている。
「お前達、暗黒騎士か!」
暗黒騎士とは恐怖大帝ヴァルダミンゴに使える闇の軍勢だ。
「お迎えに上がりました」
リーダー格と思しき暗黒騎士が声を発した。それはまさしく、闇の渦巻に吸い込まれるような声。
「そうか。もう、時間か。まるで、昨日のように感じるな」
暗黒騎士の声に応じたのはシャンテルだ。
「シャンテル、これは一体どういう事だ?」
「お前が見て感じた事を言ってみるがいい」
口調が変わっている。
「この俺を売ったのか?」
目の前の現状に、アーチボルドは激情していた。
「いいや。違う」
「だったら、こいつらは何者だ」
「此奴らでは無い。正しくは、此の女は何者かだ」
そう言ったシャンテルは己の顔を手で払うと、顔と背丈が変わり、恐怖大帝ヴァルダミンゴその者となった。ヴァルダミンゴは黒色の髪に、赤色の目をした高身長の男である。顔もある程度整っており、かなりの美青年だ。
「まさか……」
それ以上の言葉を失うアーチボルド。
「貴様の女を殺し、俺が成りすましていたのだ」
「い、何時からだ?」
「十年前からだ」
そう、十年間も共に過ごしていたというのだ。
「ありえない。十年なんて」
声を震わせ、目を泳がせて狼狽えるアーチボルド。
「不老不死の俺にとって、十年は一秒に感じるな」
恐怖大帝は、シャンパンの入ったグラスを握りつぶす。
「貴様!」
「お前との十年間は実に楽しませてもらった。だが、先程も言った通り迎えが来てしまったのだよ」
恐怖大帝も立ち上がり、百八十の身長を持つアーチボルドを見下ろした。
「シャンテル……」
「俺の名前はレウス・ヴァルダミンゴだ」
刹那、部屋で阿鼻叫喚の叫びが轟き、ヴァルダミンゴは一瞬にして、アーチボルドの体を骨と皮と血の三つに切り離した。
そして、ヴァルダミンゴの眼前には生気を失った骸骨が立っている。
「人間の命は、何故こうも脆いのか」
人差し指で骸骨に触れると骸骨は瞬時に砂と変わり、空いた窓から風が吹く。まもなく風は砂を運んで、消えて行った。