第一話
魔法界にある一軒家に二人の男女が住んでいた。男の名前はアーチボルド、女の名前はシャンテルだ。二人は恐怖大帝ヴァルダミンゴを崇拝する『聖天の実』という宗教団体の元信者だ。聖天の実は残酷な儀式や、無神論者に対する容赦の無いやり方に反発し、脱走している身分である。しかし、脱走から十年が経過した今、二人は警戒を解いてシャンパンを飲んでいる。
十年間もの間、地方を転々とし、不安から眠れない日々もあった。二人は大の酒好きであったが、今の今まで酒を一口でも飲もうとする余裕が無かった。それでも十年という歳月が二人の警戒を解いてしまったのだ。
「久しぶりね」
シャンテルが、アーチボルドのコップにシャンパンを注いだ。近所のコンビニで買ってきた安酒であるが、最初に高価なシャンパンを飲めば罰が当たるのではないかと考慮した上だった。よって、今の二人の口には安酒が丁度良いと思っているらしい。
「なにがだ?」
はにかみ気味のアーチボルド。ヴァルダミンゴから逃げ回っていた日々を、この瞬間だけ忘れている様だった。
「もう、分かってるくせに」
シャンテルが微笑む。
「ハハハ、そうだな」
ここでアーチボルドが、なみなみ注がれたコップを手に取る。
「二人でこうやって向かい合って酒を飲むのは確か」
頭の中で記憶を流転させる。
「ヴァルダミンゴの信者時代以来か」
アーチボルドは即座に言葉を発した。
「そうね。あの時は高価なお酒を随分と飲んだわね」
「ヴァルダミンゴの趣向だったな」
「高貴な者は高価な酒を飲むが当たり前」
お返しにと、シャンテルのグラスにシャンパンを注ぐアーチボルド。
「卑下なる者は鼠の肉でも喰らってろ」
二人は同時に、シャンパンに口を触れた。久しい酒の味が口の中に広がっていく。
「美味しい」
思わず称賛を呟くシャンテル。
「ああ、実に美味しい」
あまりの美味しさに口角を上げるアーチボルド。
「十年前に飲んだ酒よりも格段と美味しいわね」
シャンテルは昔の話をする。
「まさしく。十年前の酒はやたら高価な酒だったが、まさか……コンビニで買った安酒にさえ劣るとは」
「普通はノスタルジーな気分になって懐古に浸るのに」
「それさえもないとはな。全く、ヴァルダミンゴに掛けられた魔法の様だ」
「彼の魔法で味覚を変えられていたと?」
「ああ。例えだがな」
今度はテーブルの上に置いてあるステーキに手を伸ばした。黒コショウで風味づけされているが、無論、安い肉である。アーチボルドは、ナイフで肉を一口大に切り裂き、フォークで肉を突き刺して、口の中に入れた。
「とても美味だ」
口の中で肉汁が踊っている。
「フフ、ありがとう」
感謝の意を述べたシャンテルも、ステーキを口に運ぶ。
「君が作ってくれた料理は最高だ。並の料理人では決して真似できない味」
「本当に、貴方は褒めるのが上手ね」
「だろう?」
窓から光が差し始めた。二人が食事をしている時間帯はかなりの早朝である。
「私達は逃亡中の身だし、贅沢なんてしていられないけど、それでも美味しい料理を作ることは出来るわ。たとえ安い食材でも腕と愛さえあれば、好きな人に美味しい物を食べさせられる」
「君には感謝しっぱなしだ。逃亡の際も、君の魔法が無ければ失敗していただろう」
「そうね」
「しかし、魅惑の魔法なんて何時覚えたんだ? 記憶違いでなければ、あれは最上級魔法に属していたと思うが?」
「ヴァルダミンゴに教わった魔法が、ヴァルダミンゴから逃げる時に役立ったのよ」
「成程。それは愉快だ」
納得した表情で二杯目を飲むアーチボルドだった。