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灰かぶりのアッシュ  作者: 神楽坂煌
第一章
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第一章‐3

 それから、なんの変哲もない民家が立ち並ぶ住宅地を二、三分も歩くと、白いタイル張りの外観の、そこそこ小綺麗な築浅の四階建て軽量鉄骨造りのアパートに到着する。ここの三階の一室が、篤志の現在の住まいだ。階段を上り、通路を歩いて、一番奥のドアの鍵を開け、中に入った。

 彼は事情があって、この春から一人暮らしをしている。中学を卒業するより前、自由登校になった二月から暮らし始めたのだが、最初の一ヶ月で、仕送りが家賃、光熱費、食費で消えてしまうことがわかった。下手をすると、食費で足が出かねない。それ故に、自分の自由になる金銭を得る為のアルバイトは必須なのだった。

 篤志は玄関で靴を脱いで、狭いワンルームの部屋に入る。部屋の中に置いてある家具は、パソコンデスクに愛用のパソコン、デスクの前の椅子、テレビにゲーム機、ベッドに小さなローテーブル、それにマンガやラノベ、ゲームソフトと、真新しい教科書が詰まった本棚くらいのものだ。彼はデスクの脇に鞄を置き、詰襟の学ランを脱いで壁のハンガーに掛けた。とりあえず、換気の為に窓を少し開ける。この季節ならエアコンは必要なかった。電気代が掛からなくてありがたい。

 パソコンデスクの前に座り、なにはさておき、まずは愛用のパソコンの電源を入れる。起動までの少々の待ち時間に、鞄からノートブックを取り出した。立ち上がったパソコンにノートブックから、先ほど紫子に中断させられた書きかけのスクリプトファイルをコピーする。しかし、珍しいことに、エディターでそれを開いて続きをコーディングしよう、という気になれない。救急車を呼ぶ、などという人生初の体験をしてしまったせいか、少し疲れているようだった。

「……へっ、俺らしくもねぇ。偽善者みたいな真似をしちまったぜ」

 などと悪ぶった台詞を吐いてみるが、勿論、誰も聞いていない。一人暮らしをすると独り言が多くなるって本当だなぁ、と思う。ともあれ、善いことをしたのには違いない。その上、異国の美少女とお近付きになれるかもしれないのだ。そのことにひとまず満足して、自分に気合を入れた。

 エディターで書きかけのスクリプトファイルを開く。今日中に、依頼された一連の処理を行うプログラムを仕上げなければならない。明日は土曜日。半日の退屈な授業をやり過ごせば、一日半の自由時間が約束されている。やりかけのゲームもあるし、溜まっているラノベも読みたい。だが、その為に授業中までプログラミングを行うというのは、やはりやり過ぎかもしれなかった。今日の紫子のお説教が思い出される。

(バレてるかなぁ……? 呼び出しとか食らうのかな……。まぁ、そうなったらそのときはそのときか。なるようになるなる……)

 頭の半分でぼんやり考えながら、カシャカシャと音を立ててキーボードを叩いていた。そのうちに、徐々に視界が狭くなり、打鍵速度が上がっていく。

(やっぱり、キーボードは機械式に限るよなぁ。この打鍵音がしないと、キーを叩いてる気がしない)

 そんなことを考えていたのも束の間、次第にコーディングという、プログラムコードを組み上げていく、彼の大好きな作業に没頭していった。

 必要な処理を記述した一連のスクリプトファイルを仕上げる。簡便なスクリプト言語は、実行時に機械が実行出来る形式に翻訳されるインタプリタとして実装されるので、コンパイルという機械が実行する為の形式のオブジェクトファイルを作成する作業は必要ない。コードの記述ミス等の誤りを修正するデバッグ作業と退屈な動作確認の為のテストまで終えた頃には、外は真っ暗になっていた。開発物一式をまとめて圧縮し、依頼主の企業に納品のメールを送り付けながら、ディスプレイの時計を確認する。二十三時四十七分。もう日付が変わろうとしていた。ということは、帰宅してから七時間以上も休みなしに作業をしていたことになる。篤志は眼鏡を外してデスクに置くと、両手を挙げて伸びをした。さすがに肩が凝っている。眼もチカチカした。

(また、集中し過ぎたかな……)

 部屋は夜の暗闇に沈み、ディスプレイの微かな明かりだけが薄っすらとデスク周りを照らしている。とりあえず照明を点けよう、と椅子から立ち上がった。すると、ズボンのポケットになにか硬い感触があることに気付く。ポケットに手を突っ込むと、紅い石を収めたプラスチックケースが出てきた。

「あぁ、これか……」

 ケースをくるりと回して、中の紅い石を眺める。拾ったこのケースのことなど、すっかり忘れていた。そういえば、まだ学生服から着替えてもいない。勿論、夕食も食べていなかった。それに気が付いてしまうと、急に空腹を覚える。

「晩飯は、今日もコンビニかなぁ」

 照明のスイッチがある部屋の入り口のほうへ振り向きながら、プラスチックケースをデスクの上に置こうとした。ところが、薄暗闇と眼鏡を外したぼやけた視界のせいで目測が狂う。置いたつもりのケースが、デスクの端から転げ落ちた。床に当たってパカンとケースが開いてしまう。ケースから紅い石が転がり出た。

「っと……」

 石を拾おうと身を屈める。

 その瞬間、紅い石が彼の眉間を目掛けて、弾丸のように飛んできた。

「……っ!」

 咄嗟に右手で石を受け止められたのは、幸運以外の何物でもなかっただろう。

「なん――っ!!」

 だが、呟きかけたそのとき、メリメリッと音を立てて紅い石が右掌にめり込み始めていた。掌に焼き鏝を押し付けられたかのような痛み。

()ぁぁっ!?」

 しかも、それだけでは終わらなかった。掌に半ばほどまでめり込んだ紅い石から管のようなものが何本も這い出し、右手の内側に根を張り始める。右手の内部で、何本もの歯の治療用の細いドリルが肉を削っていくような激痛が襲った。

「ぐ、あ、あ、あああぁぁぁーっ!!」

 経験したこともない激痛に、篤志は絶叫する。

 無意識のうちに、左手できつく右手首を握り締めていた。まるで、そうすることによって、痛覚を伝える神経を走る電気信号(パルス)を止められる、とでもいうかのように。そのまま身体を折って、床の上にうずくまる。

(止まれ! 止まれ! 止まれ止まれ! 止まれ止まれ止まれ! 止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ――!!)

 いつしか、必死でそう念じていた。

 数分後か、それとも数秒しか経っていないのかわからなかったが、ともあれ、祈りが通じたのか、ようやく痛みが止まる。篤志はうずくまったまま荒い息を吐いた。

「なん……だってんだ……、これは……?」

 右掌に埋まった紅い石を見る。もう痛みはないが、異物が埋め込まれているという違和感があった。左手で石を摘まみ引っ張ってみるが、勿論、その程度で外れたりはしない。とにかくまずは灯りを点けよう、と現実逃避気味に考えて立ち上がる。

 突然、カラカラと窓が開く音がして、強い風が吹き込んできた。反射的に振り向くと、窓枠の上に片膝をついて、うずくまるようにして誰かがしゃがみ込んでいる。風に煽られ、大きな丸い帽子の下の長い髪がはためいた。月の光が逆光になって、俯いたその人影の顔は陰になって見えない。

(え? ここ、三階だぞ……?)

 篤志は、ごく常識的なことを思った。だが、その人影は柔らかな声音で、とても非常識なことを彼に告げる。

「セレストラル星系連邦公安局一級監査官……、レーナ=アンヴィル……です」

 俯いたままで、つぅっと右手を持ち上げると、その手の甲の上に、身分証と思しき立体映像(ホログラフィー)が表示された。

「あなたの持ち去った『ヴィシュトダ・グラーニャ』は……、大変、危険な物……です……。ただちに……返却を――」

 荒い息を吐きながらそこまで言ったところで、彼女はぐらりと前のめりに倒れ込む。篤志はわけがわからないながらも、彼女が床に激突する前に危ういところで抱きとめた。意識を失ってしまったらしい彼女の顔を覗き込む。それは夕方、病院に搬送されたはずの、青い髪の少女だった。

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