第一章‐2
篤志は徒歩通学だ。上履きを外履きのローファーに履き替えて校舎を出ると、帰宅部の生徒たちに混じって校門を抜ける。ほとんどの生徒たちは駅へと向かうが、彼は途中からその人波から別れて住宅地のほうへ向かった。十分ほど歩き、登下校時にいつもショートカットに使っている、車一台通るのがやっと、という細い路地に入る。そこで、彼は困ったものを発見してしまった。
女性が、倒れている。
最初に思ったことは、正直に言うと、面倒事には関わりたくないなぁ、というものだった。だが、辺りを見回しても他に人影はなく、無視して通り過ぎるのもさすがに罪悪感を感じる。仕方なく、声を掛けてみることにした。
「おーい、ちょっと、大丈夫ですかー?」
返事はない。ただの屍のようだ、という常套句を頭から追い出し、近付いてみた。
「……うわ」
かなりの美人だった。歳の頃は、彼より二つ三つ歳上だろうか。明らかに、この国の人間ではない顔立ちと白い肌。染めているのか、鮮やかな青い色をした長いストレートの髪が、扇状に広がっていた。すらりとした身体を丸めるようにして、路上に横たわっている。そして、どこからどう見ても普段着ではなさそうな、異国風というか、いっそ異世界風とでも表現した方がよさそうな、ひらひらとしたシースルーの素材を何段にも重ねた、髪と同系色を基調としたセパレートのミニスカートの衣装を身にまとっていた。細い腕や長い足どころか、脇腹まで見えている。その頭の脇には、やはり髪と同系色の、大きなベレー帽のような丸い帽子が転がっていた。
(外国人のコスプレイヤーさん……?)
意識はないようだったが、整った顔が今は苦痛にしかめられている。よく見ると、剥き出しの手足には擦過傷が目立った。身体の下になったほうの脇腹を押さえているようなので、そこが痛むのかもしれない。だが、血溜まりなどは出来ていないので、どうやら大きな外傷はなさそうだ。彼女の顔の前にしゃがみ込み、そっと手を伸ばし唇の前にかざして、次に首筋に触れてみる。確認したところ、呼吸は荒く脈も早いが、残念なことに人工呼吸や心臓マッサージの必要はなさそうだった。
(いやいや! 幸いなことに、だ。そんな専門知識ないし!)
多少、気が動転しているらしい。篤志は首を振りながら立ち上がった。どうやら轢き逃げにでも遭ったのだろう、と見当を付ける。
「さて……」
(これで、この女の子を家に連れ帰って看病してやると、目を覚ました彼女が、自分は異世界から来たプリンセスで、貴方の助けが必要です、とか言い出して、そこから波乱万丈の冒険の旅が始まったりする、ってのが、ありがちな展開なんだけど……)
篤志は、好んで読んでいるようなファンタジーもののマンガやラノベの導入部のテンプレートを思い浮かべた。その発想に、我ながら苦笑せざるを得ない。
「まぁ、現実的には、ありえないよなぁ」
そう呟くと、携帯電話を取り出し、彼は生まれて初めての一一九番通報をした。
電話の向こうの救急隊員の質問に応じて、場所と、怪我人の状態、意識や呼吸、脈拍の有無等を答える。おそらく轢き逃げに遭ったのではないか、と付け加えた。素人所見だったが、言わないよりは言っておいたほうがいいだろう。頭を打っているかもしれないから揺らさないように、という救急隊員の言葉を最後に電話が切れる。念の為、細い路地から出たところで待つこと数分、救急車がサイレンを鳴らしてやってきた。すぐに彼女が担架に乗せられ、救急車に運び込まれる。救急隊員に、一緒に乗っていくか?と聞かれたが、
「通報したのは僕ですけど、ただの通りすがりなので」
と断った。さすがに、見ず知らずの女の子の検査、治療を病院でじっと待ち続ける、というのは、どう考えても時間の無駄としか思えない。慌しくバタンと後部扉が閉じられて、救急車がドップラー効果でサイレン音を変化させながら走り去る。それを見送って、篤志は少し残念に思っている自分に気付いた。
(フラグ、へし折ったかなぁ……。でも、これが現実的な対応ってやつだよな)
ともあれ、もうここに佇んでいる必要はない。さっさと帰ろう、と再び細い路地に踏み込むと、彼女が倒れていた辺りでなにかが光るのが目に止まった。近寄って拾い上げる。それは、直径二センチほどの球形の紅い石が収められた、透明なプラスチックのケースだった。十中八九、彼女が落としたものだろう。
(宝石……? にしては、ケースが安っぽいな……)
まぁ、別にガラス玉でもなんでも構わない。きっと、あのコスプレに必要なアクセサリーかなにかなのだろう、と納得する。
「フラグ、ゲット……、かな」
呟いて、そのケースを学生服のズボンのポケットに仕舞った。明日にでも搬送先の病院を調べて、お見舞いがてら渡しに行ってみよう。花でも持っていけば、さらに好感度がアップするかもしれない。
「あぁ、言葉通じるのかなぁ? 喋れるといいな」
彼はプログラムコードは得意でも、英語は苦手なのだった。