第四章‐2
アッシュは最初、レーナに先導してもらおうと思い、彼女の後ろについて飛ぼうとした。しかし、その位置だと彼女のミニスカートの中を覗いている気分になってしまい、慌てて彼女の隣に並ぶ。レーナは隣に並んだ彼を横目で見ると、右手を伸ばしてきた。アッシュも左手を伸ばし、その手を握る。二人は手を繋いで、海上を滑るように飛んだ。アッシュにとっては、初めての結界外での飛行だ。今まで出したことのないスピードで、夜の海の上を飛翔する。風を切る感覚が心地よかった。やがてレーナがスピードを緩め始めたので、アッシュも彼女に速度を合わせる。
「この辺よ」
レーナが言うが、海上にはなにも見えない。
「島なんかないぞ?」
「言ったでしょ? 島ごと不可視結界に包まれてるって。ここからは、ちょっと地道な作業。手分けして、この辺りをゆっくり飛び回って、結界壁にぶつかるまで探すのよ」
アッシュの問いに、彼女が答えた。
「……それは骨が折れそうだな」
「まぁね。でも、見えないんだから、仕方ないじゃない。さ、ぶつくさ言わずに探すわよ」
うんざりしたような彼の言葉に、レーナは軽く笑って指示を出す。二人は手分けをして、その辺りの海域を捜索し始めた。暫くして、アッシュの手の先が見えない壁にぶつかる。離れたところにいるレーナに念話で伝えた。
(見つけたぞ)
(ん。じゃあ、そっちへ行くわね)
すぐにレーナがやってきた。アッシュが尋ねる。
「で、どうするんだ? 結界を解除するのか?」
「そんなことしたら、侵入がバレちゃうじゃない。結界の構造式を解析するとこまでは一緒だけど、全部を解除するんじゃなくて、改変して小さな穴を開けるのよ」
レーナが言って、魔装機の操作端末を開いた。それをアッシュが止める。
「それ、俺にやらせてくれないか? 多分、レーナがやるより早い」
「なによ。わたしだって、今まで一人で何度もこういうことやってきたんだからね?」
「まぁまぁ、任せてみてくれよ」
唇を尖らせる彼女をなだめると、アッシュは自分の操作端末を開いた。右手の『魔人血晶』を結界壁に接触させ、結界の構造式を吸い出す。自動翻訳したそれを凄まじい速さで読み解き始めた。数分後、改変した構造式を流し込むと、結界に人一人通れるほどの小さな穴が開く。
「こんな感じでいいのか?」
「ん……」
彼が自分で言ったように、本当に早かった。レーナは舌を巻く。彼を選んだ自分の目に狂いはなかった、と思う。
順番にその穴を通り抜けると、突然、目の前に島が現れた。彼女が説明したように、全長は二百メートルもないだろう。幅はその四分の一程度。細長い小島だった。その中央付近に四角い建物があり、入り口と思しき辺りに二人の人影が見える。おそらく歩哨の兵だろう。結界内に侵入したアッシュたちからの距離は八十メートルほど。夜闇のおかげもあってか、まだ発見されていない。
(アッシュ、ここから、あの二人を拘束魔法で狙える?)
レーナが念話で問い掛けてきた。歩哨との距離はあるが、万が一にも声を聞かれない為の用心だろう。アッシュが答える。
(ああ。いけると思う)
(じゃあ、合図したらお願い。わたしが飛んでいってスタンさせるわ)
(OK)
念話で打ち合わせを済ませた。レーナはいったん息を整える。
(やって!)
合図と共に飛び出した。後ろからアッシュのコマンドが聞こえる。
「『茨の冠』、二連!」
歩哨二人の身体の周りに、それぞれ影色の輪が三つずつ出現し、一拍後に締まって二人を拘束した。
「『刀剣』!」
レーナのコマンドで、その手の中に白い光剣が現れる。横殴りの一撃で、歩哨の一人を気絶させた。振り向きざまにもう一人に切りつける。なんとか、声を上げられる前に片を付けられたようだ。ほっと一息ついて光剣を消すと、レーナは拘束されているせいで立ったまま失神している歩哨の身体を調べ始める。隣に飛んできて着地したアッシュが、念話で尋ねてきた。
(……なにやってんだ?)
(そこの入り口の鍵を探してるのよ)
彼女の答えに、アッシュは建物の方を見た。秘密施設、と聞いて、特撮ヒーローものの悪の組織の秘密基地みたいなものを想像していたのだが、ずいぶんと普通で、こじんまりとした建物だった。学校の体育館の半分ほどの大きさだろうか。コンクリート打ち放しの建物で、二階建てのようだった。その二階の窓からは灯りが漏れており、人がいるらしかったが、幸いなことに、まだ気付かれてはいないらしい。入り口は、真ん中から左右にスライドさせて開く鉄製の大扉だった。その扉の脇の壁に、電子ロックの解錠装置が取り付けられている。カードキーで開くタイプのようだ。
(この前は見張りはいなかったんだけど、そのチェ・シェ・エールの解錠に手間取っちゃってね。ようやく開けて中に入ったら、二階から降りてきた警備兵とご対面しちゃったってわけ)
(チェ・シェ・エール?)
(電子魔力複合錠よ)
単純な電子ロックではなく、魔力との複合ロックだったらしい。念話で喋りながらも、ごそごそと歩哨の身体を探り続けるレーナ。手伝ったほうがいいだろうと判断して、アッシュはもう一人のほうを調べ始めた。調べながら聞いてみる。
(鍵開けの魔法とかないのか?)
(そんなのがあったら、わたしの仕事はもっと楽になるわねー)
レーナが青い長い髪をかきあげながら答えた。ロールプレイングゲームなどではわりと定番の魔法だが、現実は違うようだ。
(まぁ、悪用されやすそうだしな……。というか、悪用以外の使い道が思い付かねぇ。今まさに、悪用しようとして聞いたわけだし)
などと考えていると、ようやくレーナがカードキーを見付けたらしい。立ち上がって扉の脇に歩み寄り、電子魔力ロックを解錠した。
(さ、扉を開けるわよ。出来るだけ音がしないように、そうっとね?)
(ああ)
レーナの念話に、アッシュは彼女と反対の扉に取り付いた。二人して少しずつ扉を引き、人一人通れるほどの隙間を開ける。レーナがその隙間に身体を滑り込ませた。アッシュも彼女に続く。中は暗闇だった。ふと、その暗闇の中でキラリとなにかが光る。
「侵入者アリ。侵入者アリ」
電子音声と共に警報が鳴り響いた。アッシュは咄嗟にレーナの前に出て、『黒鉄の城砦』の防御魔法陣を展開する。タタタッと軽い音がして、影色の防御魔法陣の表面で光弾が跳ねた。
「侵入者アリ。侵入者アリ」
「侵入者アリ。侵入者アリ」
「侵入者アリ。侵入者アリ」
暗闇の中に次々と光が灯り、電子音声と警報がうるさいほどに鳴り響く。
「なんだ、こいつらは!?」
「ドル・パ・リーソよ! ここじゃ狭いわ。アッシュ、いったん外に出るわよ!」
「お、おう! ……で、ドル・パ・リーソってなんだ?」
「警備用の自動戦闘機械!」
レーナの指示で、二人は外へ脱出した。その後に続いて、ドラム缶の上にビデオカメラを乗せたような形をした自動戦闘機械が次々と外へ出てくる。この数に一斉に撃たれたら、『黒鉄の城砦』の防御魔法陣ではレーナを庇いきれない、と判断したアッシュは、もっと強力な防御魔法を使用することにした。
「『魔神の掌』!」
直径二メートルほどの影色の防御魔法陣が出現し、自動戦闘機械の乱射する光弾をことごとく弾き返す。その間にも、扉の隙間からは続々と自動戦闘機械が溢れ出してきていた。レーナが『弾丸』の魔法で反撃するが、意外と硬いのか、その金属の胴体に多少のへこみが出来るだけで、自動戦闘機械は止まる様子もなく、光弾を乱射している。
「まいったわね。こんなやつらがいるとは、予想外だったわ」
「どうするんだ? 俺が攻撃するか?」
アッシュのほうが魔力値が高い。射撃魔法の威力も高いはずだ。そう思い、提案する。
「ううん、あなたは防御魔法に専念して。わたしが近接攻撃で――」
「それじゃあ、レーナが危険だろ!?」
レーナが近接攻撃を仕掛けるには、アッシュの強固な防御魔法陣の庇護の内から出なくてはならない。当然、彼は反対するが、彼女は首を振った。
「でも、他に手がないもの」
アッシュは少し思案して、聞いてみる。
「魔法を二つ、同時に使用することって出来ないのか?」
「多重処理ね。あなたほどの魔力があれば、上手く魔力リソースを割り振ることが出来れば可能だけど」
レーナの返事に、アッシュは即座に頷いた。
「よし、じゃあ、それをやってみる」
「……難しいわよ?」
「試すだけ試してみるさ。あ、念の為、このシールドが消えちまったときのことを考えて、自分のシールドはすぐ展開出来るようにしといてくれな」
確認するように言ってくるレーナに、そう言葉を返す。彼女は少しの間、考えていたが、結局、頷いた。
「わかったわ。任せてみる。――頭の半分でこの防御魔法を維持することを意識しながら、もう半分で射撃魔法を起動するの。射撃魔法なら撃ちっぱなしで制御が要らないから、難易度はそれほど高くないはずよ」
「要するに、同時に二つのことを考えるのか……」
自信があるとは言い難かったが、そんな弱気なところは見せられない。
「OK。いくぞ。『凶弾の狩人』、三発、シュート!」
覚悟を決めると、『魔神の掌』を維持することを意識しながら、コマンドを唱えた。拳大の影色の光弾が三つ出現し、迫り来る自動戦闘機械の群に向かって飛んでいく。そして、影色の防御魔法陣も消えてはいなかった。相変わらず頼もしく、乱射される自動戦闘機械の光弾を弾き返している。ガガガンッと金属を貫く音がして、先頭の自動戦闘機械が動きを止めた。
「出来た!」
アッシュは笑顔で、肩越しにレーナを見る。レーナは驚きと苦笑を混ぜたような、複雑な表情をしていた。
「あれだけの説明で、よく……」
「よっし。どんどんいくぜ。『凶弾の狩人』、三発、シュート!」
アッシュの影色の光弾が、次々と自動戦闘機械を停止させていく。
「……ごめん。なんだか、わたしのほうが足手まといね」
「気にすんな。分業だろ。レーナは盗みのほうの目利きをする。戦闘は、魔力値の高い俺の役目だ。その代わり、本業では頼りにしてるぜ。俺じゃ、なにを頂いたらいいのか、さっぱりだからな」
気弱に言うレーナに、アッシュはそう言ってやった。背後の彼女が、今どんな顔をしているのかはわからない。だが、気を散らすわけにはいかなかった。
最終的に二十体ほども破壊しただろうか。ようやく自動戦闘機械は扉から出てこなくなっていた。後退しながら戦っていたので、二人はまた海上に出ている。アッシュは『魔神の掌』を消して、大きく息を吐いた。防御魔法を維持しながら射撃魔法を連続使用していたので、さすがに息が上がっている。
「嘗められたもんだぜ。こんなドラム缶ごときで、俺たちを止めようなんてな」
だが、敢えてそんな軽口を叩いた。背後のレーナが、ぷっと吹き出す。
「まったく、調子いいんだから」
振り返ると、レーナは笑顔だった。それを見て、アッシュは安心する。レーナが、彼の鼻先に指を突き付けるようにして言った。
「油断しないの。今の戦闘で、警備兵には完全に気付かれてるわよ」
「あー、それはそうだよな。これで気付かれてなかったら、かえってびっくりだ」
アッシュはおどけたように言って、頬を掻きながら頷く。
「慎重に近付きましょ。きっと熱烈な歓迎が待ってるわよ」
「おう。じゃあ、俺が前に出るな」
すぐに防御出来るように、ということだろう。レーナの言葉に、アッシュがそう言った。彼女が承諾する。
「ん。お願いするわ」
「任せろ」
そして二人は、アッシュを前にして大回りするように建物のほうへ向かった。案の定、建物に近付くと、一階の扉の隙間と二階の窓から光弾が雨あられと飛んでくる。
「『魔神の掌』!」
アッシュが再び、鉄壁の守りを誇る影色の防御魔法陣を展開した。光弾は一発たりとも二人の下へは届かない。だが、こちらからは扉や窓が邪魔になって、弾幕を張っている警備兵たちを狙い撃つことが出来なかった。レーナが思案顔で言う。
「どうしようかしらね。向こうからは撃ち放題なのに、こっちからは攻撃出来そうにないわ」
しかし、アッシュはあっさりと言ってのけた。
「そうか? ああ固まってちゃ、いい的だぜ?」
「え?」
「『鋼の顎』!」
アッシュがコマンドを唱えると、一階の扉を中心に直径五メートルほどの影色の魔法陣が上下に現れ、バクンッと閉じる。扉の隙間からの射撃が止んだ。
「もう一丁、『鋼の顎』!」
再びアッシュが唱えると、今度は二階の窓辺を中心に影色の魔法陣が上下に現れ、またバクンッと閉じる。二階の窓からの射撃も止んだ。
「さっきのマルチタスクを応用すれば、簡単だろ?」
さすがに、強固な防御魔法を維持しながら魔力消費の大きい範囲指定型の魔法を使うのは、アッシュにとってもギリギリだった。だが、努めて軽く彼女に同意を求めてそう言い、『魔神の掌』を消す。拍子抜けするほど呆気なく、戦闘が終了していた。レーナは言葉もない。確かに、密集していた警備兵たちも迂闊だっただろう。だが普通は、あれほどの弾幕を全て防ぐ防御魔法を維持しつつ、範囲指定型の魔法を使うなどという真似は出来ない。防御と拘束に特化した、とんでもない魔法使いがいたことが、兵士たちの不運だった。
一足先にアッシュは扉の前に移動している。後についてこないレーナを不思議そうな顔で振り返って呼び掛けた。
「どうした、レーナ? もう大丈夫みたいだぞ」
「……ん、今行くわ」
レーナは返事をして、アッシュの隣に歩み寄る。順に扉の中へと滑り込んだ。中は暗闇だ。
「もう、こそこそする必要ないよな? 灯りのスイッチを探そうぜ」
「ん、そうね。多分、扉の脇辺りにあるんじゃないかしら」
と、二人で左右に分かれて照明のスイッチを探す。すぐに見つかった。照明が灯ると、扉の両脇に二人ずつ、計四人の兵士が拘束されて転がっているのが目に入る。拘束を解除されないうちに、と二人で魔力剣を使って止めのスタンダメージを入れて回った。
「それじゃ、俺は二階のやつらに止め刺してくるな」
「ん、お願い。わたしは、ここで目的のものを盗ってるわね」
一階は、天井の高い、だだっ広い倉庫のような部屋になっていた。所狭しと置いてあるダンボールや木箱を避けて、アッシュは奥の階段から二階へ上がる。そこは、兵士の詰め所になっていた。テーブルの上にはトランプのようなカードが散らばっており、部屋の隅ではテレビも点けっぱなしだ。酒でも飲んでいたのか、倒れたビンやグラスも散乱している。
「だらけてんなぁ……」
まぁ、おかげで楽に勝てたけど、などとアッシュは思いながら窓辺に向かった。そこには計六人の兵士が拘束されて転がっている。なにか喚いているが、自動翻訳アプリを使っていないので、なにを言っているのかはさっぱりわからない。
「悪いな。ご苦労さん」
彼は言いながら、拘束された兵士たちに魔力剣で止めのスタンダメージを入れた。一応、兵士たちの宿舎らしい二階の全ての部屋を回って、逃れた兵士が残っていないか確認する。どうやら、もう誰もいないようだった。一階に下りる。すると階段の脇にある奇妙な機械の前で、レーナがなにやら作業をしていた。その機械は、ちょうど人一人が入れるくらいの大きさの卵型をしたカプセルで、その前面は扉で開閉出来るようになっている。その前には操作卓らしきものが立っており、レーナはそれをいじっているようだった。
「レーナ、なんだそれ?」
「これは、『転移門』よ」
尋ねるアッシュに、彼女は作業の手を止めずに答える。さらに聞き返した。
「ワープポータル? って、ことは――」
「ん。多分、ご想像の通りね。あなたが以前、使いたがってた転移魔法を体験できる装置よ。もっとも、これは、登録してある『転移門』同士の間しか行き来出来ないけどね」
レーナの説明に、ふーん、と頷くアッシュ。さらに尋ねる。
「それで、レーナはなにやってんだ?」
「あぁ、これは、この『転移門』の管理ログを盗ってるのよ。いつなにがどこからどこへ通ったか、っていう記録をね。この星の軌道上にやってきている第七艦隊旗艦ドラスネイルから、ここへ頻繁に荷物が運ばれてた、って記録が欲しいの。それと、この倉庫の詳細な映像記録でも撮って、そこに『魔人血晶』が映っていれば、ボルジモワ提督が危険な禁制品の兵器を大量に保管してた、って証拠になるわ」
「なるほどな」
アッシュは頷くが、完全に理解したわけではない。彼女がそう言うのだから情報としての価値はそれで十分なのだろう、という程度の認識だ。とりあえず彼女の作業の邪魔をしないようにその場を離れ、倉庫内を調べて回ることにした。手近の木箱を開けてみる。そこには、魔装機らしい様々な色をした石が嵌め込まれた、アサルトライフルのような銃器が何丁も収められていた。
「魔装銃ってやつか……」
少し移動して、また別の木箱を開けてみる。ロケット砲のようなものが入っていた。これにも、やはり魔装機が嵌め込まれている。
「魔装砲とでも言うのか?」
アッシュは少し呆れた。なんにでも魔装機を付ければいいというものでもないだろう、と思う。だが、視線を移して目に入ったものに、今度こそ本当に呆れた。
「なんだ、あれ? 魔装……ガトリング砲?」
こんなもの、いったいどんな魔法使いが使うのだろう。というか、一人では運用すら出来ない。ふぅっと溜め息を吐いて、また別の木箱の蓋を引き剥がす。
「お、こっちは近接武器か。魔装剣に魔装槍に魔装斧……?」
この辺は、まだ理解出来る。なんというか、格好いい。彼は魔装剣を一本取り出して、鞘から抜いてかざしてみた。と、そこで、遊んでいる場合ではないな、と反省して剣を元に戻す。
そうして、大扉側――『転移門』から見れば奥のほうに、大量に積み上がっているダンボールを開けてみた。
「これ……は――」
ダンボールの中には、紅い石が収められた、見覚えのあるプラスチックケースが、ぎっしりと詰まっている。
「こんなに、たくさん……。しかも、何箱あるんだよ……」
「ん。これだけあるともう、騒乱準備罪どころの話じゃないわ。クーデターでも計画してるのかって数よね」
いつの間にか、『転移門』のログを盗る作業を終えたらしいレーナが、彼の後ろに立っていた。魔装機をこちらに向けている。そういえば映像記録を撮るとか言っていたな、と思ってから、アッシュは気が付いた。
「ちょっと、レーナさん。それじゃあ、俺の姿まで映っちまってませんか?」
「あなたがいろんな箱を開けてくれるから、ちょうどよかったのよ。大丈夫。ちゃんと目線は入れてあげるから」
レーナが笑う。反射的にアッシュは突っ込んでいた。
「目線だけかよ!?」
「冗談よ。この映像を売るときは、ちゃんとあなただってわからないレベルまでモザイクを掛けるわ」
なんだかあまり変わらない気もしたが、目線だけよりは全然マシか、と思い直す。
「さ、それじゃ、盗るもの盗ったし、帰りましょ。長居は無用よ」
レーナはくすくす笑いながらそう言って、扉の隙間から外へ出た。アッシュは、結局金目のものはなかったな、と思いながら扉のほうへ移動する。一度振り返って、魔装剣の一本くらいもらっていこうか、などと考えた。
「アッシュー、置いてくわよー?」
レーナはもう島の端のほうまで移動している。アッシュは急いで後を追おうとして、ふと思い出した。
「なぁ、レーナ。そういや、試験の結果はどうなんだ?」
「試験? ……あぁ、忘れてたわ」
「あのなぁ……」
レーナの返事に脱力するアッシュ。こちらはテストだと思って張り切ってやっていたのに、と文句の一つも言いたくなった。
「で、結果は?」
もう一度問い掛けるアッシュに、レーナが振り向いて答える。
「それは、勿論――」
そのとき、ドンッと空間すら震わせて、直径五十メートルほどの円柱状の結界が彼女を取り囲んだ。円柱は遥か高く天まで届いて、天井が見えない。
「結界だと!? どこから!?」
慌ててアッシュが辺りを見回すが、周囲に人影はなかった。結界内のレーナは、呆然と空を見上げている。
「嘘……でしょ? たかが人間一人に、ここまでするなんて……」
歯の根が合わなかった。身体の震えが止まらない。
「レーナ! なんだ、この結界は!?」
アッシュが結界壁に取り付いて叫ぶ。レーナは、はっとして落ち着きを取り戻した。結界壁を挟んで、アッシュと向かい合う。その青い瞳の色は、これまで彼が見たこともないほど真剣だった。
「アッシュ、よく聞いて。もう一分もしないうちに、軌道上の戦艦ドラスネイルから対地艦砲射撃がくるわ。これは、そのイム・シュトルマリ・ノインの拡散防止用の誘導結界よ」
「イム・シュトルマリ・ノイン?」
聞き返してくるアッシュに、レーナは、こんなときまで自動翻訳に邪魔されるのね、と苦笑したくなった。そのおかげで、少し落ち着く。
「主魔力砲よ。戦艦の主砲」
アッシュは、彼女がなにを言っているのか、一瞬わからなかった。だが、その言葉が頭に染み込んでくると、今度は愕然とする。
「戦艦の主砲!? ばかなっ!?」
「本当よ。アッシュ、あなたは逃げなさい。わたしの次は、きっとあなたが狙われる。人の多いところへ行きなさい。さすがに、無関係な大勢の現地住民を巻き込んでまで砲撃するなんて無茶は出来ないわ」
レーナが冷静に諭す。それを聞いて、アッシュは激高した。
「おまえを置いて逃げられるか! 待ってろ、こんな結界、すぐに解析して――!」
「無理よ。戦艦の魔力炉が作った結界よ? プロテクトも固いし、規模が大き過ぎるわ。解析に時間が掛かり過ぎる」
「だったら破壊する!」
アッシュは右掌を結界壁に押し付けるようにして、なんの技術もなく、ただ渾身の魔力をエネルギーに変換して叩き込んだ。だが、結界壁には傷一つ付かない。
「それこそ無理よ。戦艦の主砲に耐える結界なのよ? いいから、早く逃げなさい」
この絶望的な状況に、レーナは既に自分の命を諦めていた。ただ、巻き込んでしまった本来は無関係なこの星の少年の命は助けたい、と思う。だが、アッシュは逃げなかった。
(なにか手があるはずだ! 考えろ! 考えろ! 考えろ!!)
アッシュの思考が加速する。
(俺の武器はなんだ? 『停滞』と『減衰』の魔力? ……それは今の状況の打開策にはならない! 右手の『魔人血晶』? ……彼女は、なんと言っていた? 人間を魔法兵器に造り変える……、魔力が低い人間が素体でも強力な魔法を使えるように、周囲のあらゆるものから魔力を――!!)
一瞬の閃き。反射的に叫んでいた。
「目を覚ませっ! 『魔人血晶』ッ!!」
ドクンッと右手の紅い石が脈打った。
「なにをする気、アッシュ!?」
レーナが叫ぶが、構っている暇はない。続けて叫ぶ。
「魔力が要る! 大量にだ!!」
アッシュの叫びに呼応して、『魔人血晶』が周囲の大気、大地、そこに生える草木、そこに棲む虫、海、海中の魚、ありとあらゆるものから魔力を吸収し始めた。右手を内側から食い荒らされるような痛みが走る。だが、アッシュはそれを無視して、『魔人血晶』が吸収した魔力を束ね、結界壁に叩き付けた。ピシリッと音がして、結界壁に亀裂が入る。レーナは信じられないものを見る目でそれを見つめた。なおもアッシュは叫ぶ。
「もっとだ!」
『魔人血晶』が、さらに魔力を吸収する。バツンッと肉の爆ぜる音がした。『魔人血晶』が二回りほども大きく膨らんで、右掌を貫通したのだ。右手の甲から、ぬらりと血色に輝く石の表面が覗いている。右手の真ん中を杭で打ち貫かれたかのような痛み。アッシュはそれをも無視して、再び魔力を叩き付けた。ビシッという音と共に、結界壁の亀裂が広がる。レーナが再び叫んだ。
「アッシュ、もうやめて! そのままじゃ、あなたの右手が――!!」
「右手がどうした!? そんなもの、くれてやる!!」
『魔人血晶』は、なおも魔力を吸収し続ける。メキメキと侵蝕、融合されていく右手は、黒く変質し始めていた。右手が造り変えられていく痛みをそれでも無視して、アッシュはもう一度魔力を叩き付ける。バキンッと音を立てて、ついに結界壁が砕けた。小さな穴が開く。アッシュは、その穴から左手を突き入れた。
「レーナッ!!」
差し出された彼の左手を、思わずレーナは右手で掴む。……掴んで、しまった。彼の左手がしっかりと握り返してくる。
「無理よ! こんな小さな穴じゃ――」
一度は諦めた命。だが、かすかな希望の光が見えて、生への渇望が頭をもたげた。しかし、その光はあまりにも小さく、むしろ絶望をより際立たせる。
「待ってろ! 今、広げる!」
アッシュは右手を結界壁の穴の縁に掛けると、引き裂こうとするかのように渾身の魔力を込めた。
「『魔人血晶』! もっと魔力を!!」
聞こえてくる、ミシミシメリメリッという破砕音は、結界壁が上げる悲鳴か、それとも右手が侵蝕される破滅の音か。どちらでも構うものか。
ほんの少し、結界壁の穴が広がった気がする。アッシュは左手を引いて、彼女の右手を穴から引っ張り出した。
「もっとだ! もっと!」
アッシュの叫びに『魔人血晶』が臨界運転する。周囲から膨大な魔力を吸収して活性化した紅い石は、容赦なく彼の右手を蝕んでいた。右手にはもう感覚がない。否、痛み以外の感覚がなかった。結界壁の穴が広がる。左手を引いた。彼女の右肩まで結界の外に出る。
(もう少しだ! 頭まで出れば――!!)
さらに右手に力を込めた。『魔人血晶』は爛々と輝き、魔力を吸収し続けている。それに伴い、右手の侵蝕も進んでいく。
「もっとだ! もっとだ! もっと!!」
右手の激痛は、もはや耐え難かった。あまりの痛みに目が眩んで、彼女が今どんな表情をしているのかもよく見えない。今やアッシュの世界で確かなものは、侵蝕される右手の激痛と、左手に握った彼女の右手の感触だけだった。
「アッシュ、手を離――」
そのとき、天から白い光の奔流が轟音と共に降り下る。結界壁に開けた穴から噴出した光の余波に弾き飛ばされて、アッシュは意識を失った。最後に彼女が言った言葉は『手を離して』だったのか、それとも『手を離さないで』だったのか。どちらだか、わからなかった……。




