河童と水神様
ある休みの日、暇だったものだから、凜子ちゃんの部屋を訪ねると、凜子ちゃんは休日でも相変わらずに本を読んでいた。
何の本かと思ったら河童の本らしい。と言っても別に河童の物語ではなく、河童の分類とか伝承とか、そういった民俗学的な内容のあれこれが書かれている学術的な読み物で、娯楽本の類じゃない。彼女は大学の民俗文化研究会なんてサークルに所属していて、そういった読み物が好きなのだ。
偶には、全然、違う本も読んでいるようだけど。
彼女、鈴谷凜子は、同じアパートに住んでいる。そして、私は彼女の事をとても気に入っていた。何というか、妙に可愛いのだ。外見は地味だけど、不器用さとか、態度とか、そういう感じが。性格はちょっときついけど、それも含めて可愛いと思う。
私が訪ねた事で、彼女は読書を中断してお茶を用意してくれた。
「気にする事ないのに」と、私が言うと、「そういう訳にもいきません」と、彼女はそう答えて来る。
それから私は、隅に片付けられた河童の本を眺めると、ふと思い付いてこう言った。
「河童といえば、随分前に、地元でこんな事があったのよ」
彼女は私の言葉に興味を示したようだった。微妙にだけど、表情が変化したから、多分、そうだと思う。私は続ける。
「市で水難事故防止の為の看板を立てる事になったのだけど、その立てる土地が、私有地だったのね。だから市の職員が“河童の絵を描いて、警告を書く”と説明して、その土地の持ち主のお婆ちゃんに看板を立てる了解を得たんだって。河童が、その土地では水神様という事になっていて、お婆ちゃんはそれを信じていたから。
ところが、実際に出来上がった看板を見て、そのお婆ちゃんは怒り始めてしまった。“これは水神様じゃない”と、そう言って。結局、何とか許してもらったのだけど、今でもどうしてお婆ちゃんが怒り始めたのか、分からないそうよ」
私は別に何の気なしにその話をしたのだけど、凜子ちゃんはそれを聞いて、微笑みつつ「ふーん、なるほど」などと言う。どうやら、何か察したらしかった。彼女は民俗関係の知識に詳しい他にも、妙に鋭いところがあって、鮮やかに謎解きをしてみせる事が時々あるのだ。
「どうしたの? 何か分かったの?」
それで私はそう言ってみる。すると、凜子ちゃんは少しだけ悪戯っぽい表情になって、こう言った。
「綾さん。バナナはおやつに入ると思いますか?」
何だか珍しくおどけている。
「なにそれ? よくある遠足前の台詞よね? 解釈によって、どうとでも言えるのじゃない? 誰も分からないわよ」
「そうですよね。分類というのは、非常に厄介。とても難しいもので、どうとでも言えるってものがとても多いんです。たぬき・むじな事件って知っていますか? タヌキの捕獲禁止の法律を破って、ある人が逮捕されてしまった。ところが、その人はタヌキではなく、ムジナを捕獲したつもりでいた。ムジナは地域によっては、タヌキと別種であったり、同じであったりするから、それで混乱が生じたのですね」
私には彼女の言わんとしている事が分からなかった。
「それがどうしたの?」
「分類って、勝手にそこにあるものに線を引いているだけの話で、本来はそんな線を引けるような基準何てない訳ですよ。生物の分類でもあるじゃないですか。カモノハシは哺乳類だけど、卵を産むとか。つまり分類というのは、便宜上のもの。でも、人間はそれを理解していなかったりする。だから、混乱が生じるんです。先のバナナの例もタヌキの例もそうですが」
そこまでを聞いて、私はようやく察した。
「つまり、河童も同じだっていうの?」
「はい。遠野の河童は、本来、赤いって知っていますか? ところが、現在は緑色に描かれる場合が多い。毛が生えていて、猿のような河童もいるし、半漁人みたいな河童もいますが、それらも最近では型に嵌った河童として描かれる事が多いとか……。
河童の類って非常にバラエティに富んでいるんですよ。例えば、キジムナーや、それに近いケンムンも河童とされる場合がある」
「でも、キジムナーって、ガジュマルの樹の妖精でしょう? 河童なの?」
「河童に近い性質も持っているのですよ。漁をしたり、子供の姿をしていたり。
綾さんも妙に感じた通り、それら水辺の霊達は、とても同じ“河童”という言葉で纏められるものじゃないのですが、河童と分類されてしまったものだから、そのバラエティが失われていく傾向にあるのだそうです。全身緑で、爬虫類っぽい。嘴があったり、甲羅を背負っていたり……
実際に存在する生物なら、勘違いされても実は違うって、後で分かるかもしれませんが、河童は存在していませんから、そう認識されてしまえば、それで以前の姿は失われてしまうのかもしれません…」
私はそこまでを聞いて、ようやく事の真相…、凜子ちゃんの言いたい事を理解した。
「ああ、なるほど、つまり、市の職員が思っていた河童の姿と、お婆ちゃんが思っていた河童の姿はまるで違っていたって事ね」
「はい。そうだと思います。流石に、私もその地域で信仰されているその水神様が、どんな姿をしているかまでは把握していないので、確証は持てませんが、お婆ちゃんなら、古い時代の河童を知っていたって可能性は充分にあるとは思います」
それを聞いて私は、人間社会ってのは、面倒なもんだとそう思った。これよりももっと酷い文化差が、世界中にあるのなら、上手くいかなくて当然なのかもしれない。
えっと、このシリーズの本を、↓の超文学フリマで売ります。
http://bunfree.net/?cho_catalog
場所は、イ8。
ニコニコ超会議の併催イベントです。
あ、新刊は出しません。
もし、立ち寄る機会があったら、遠目から眺めて、「奴が百か。ふふ、緊張していやがるぜ。どらら~」とでも思って、軽く馬鹿にしていただけると助かります。