第一章『優しき獣』(5)
「ソウ……ハ? まさか、『音の民』の、蒼波なのですか!?」
「……あぁ、そうだ」
時雨の驚きの声も、無理はない。『音の民』は、おとぎ話に出てくる一族。歴史の裏側に存在したという、実在は眉唾物な先住民族。
「え、何? ソーハって何??」
独り、翼だけはわかってない。まぁコイツ、ひらがなさえ知らないヤツだからな……。でも、いざ説明しようとすると面倒だな。
「突然変異とも言われた、身体能力、特に聴覚が異常に発達した家系……今となっては伝説の『音の民』。超音波を操ることのできる、音を統べる一族。それが蒼波一族です」
当事者の俺よりも、時雨の説明の方がわかりやすい。翼は俺をまじまじと見つめ、しばらくして言葉を発しようと口を開いた。……何を言われるか、予想はつく。
「へぇ〜。じゃ、よろしく、遼平」
…………は?
「え、ちょ、今なんつった?」
「ん? いや、『よろしく』って」
いや、そうじゃなくて! どーしてここまでの話で『よろしく』になるんだよ!?
「お前聞いてただろ!? 俺は蒼波の人間で……」
「うん、ちゃんと聞いたよ。だから『へぇ〜』って納得したじゃん」
「一言!? しかも『へぇ〜』ってなんだ!」
「ふぇ?? どうして怒ってるの、遼平?」
目の前の男は、本気でわからない仕草をしやがる。明らかにおかしいだろっ、その反応は!
「俺は異常なんだぞっ。なのに『よろしく』って……!」
「だって、約束したもん。遼平に『優しさ』を教えてあげるって。それと遼平がソーハなのって、関係あるの? 時雨、どうなの??」
「特に支障をきたす原因にはなりませんね。むしろ蒼波一族は、昔より精神の発達した感受性が豊かな一族と聞きますから」
時雨の穏やかな笑顔と答えを受け取り、翼も微笑む。「じゃあ決まりだね」と、とても嬉しそうな言葉を。
「お前ら……何とも思わないのかっ? 俺の力を!?」
「仲間の力なのです、心強いではありませんか」
「スゴイ力だな〜って思ったけど? それが何か悪いの?」
……なんか、わかってるヤツとわかってないヤツがいる気がする。だけどどっちも、《俺》を否定しなかった。
――――なぁ、もしかしたらココには……?
『まさか。ありえねぇ』
――――でも、こいつらは……。
『わかっていないだけだ、俺の本性をわかっていないだけだ』
――――知りたい、欲しい、求めているだけなんだ。
『……俺は《破壊者》だぞ、欲すれば……きっとこいつらを壊しちまう』
――――それでも! 一度だけでいい、俺は知りたい! 優しさを……っ!
『知らねぇぞ、どんな後悔が待っていたとしても』
『お前の……《俺》の辿る運命は、《破壊》なのだから。それは変わることない定め』
そんな闇からの声を聞いても、俺はまだ僅かな希望を持っていた。定めなど、変えられると。俺はまだ幼すぎた。
「――平、遼平? どうしたの? 怒っちゃった?」
我に返ると、心配そうに翼が俺の顔を覗き込んでいた。顔を上げると、時雨も不安な顔をしていて。
あぁ、本当に、こいつらは俺を想ってる……《俺》という存在を、気にかけてくれている。さびついた記憶の奥底、かつて《――》が俺をこんな眼で見ていてくれたように。
「…………戻ってやるよ」
「え?」
「戻ってやるよ、このお使いが終わったら、お前らのトコへ戻る」
翼に握られた手が、熱くなる。眼を合わすことが出来なくて、わざと逸らした。
「……うん! ずっと待ってるよ、遼平が、戻ってくるのを」
破顔するほど嬉しかったのか、抱きついてくる。
「こら抱きつくなっ、野郎に抱かれる趣味はねえ!」
「痛っ、ほ、本気で殴らなくても〜……」
翼の眉間に拳がクリーンヒット。頭を押さえてうずくまる、『スカイ最強人物』……っぽいモノ。
「あっ、ところで翼、時雨、お前らのメモ――――」
「「あ」」
俺の一言に、何故かビクつく二人。その反応に訝しさを覚えた。
「つ、翼、私はあの準備があるので、先に帰ってますねっっ」
花の如き微笑みを音速で振り返らせ、着物姿にしては異様な速度で時雨は去っていった。
「あぁっ、ズルいよ時雨! 俺も手伝う〜!!」
「待てこの逃がさねぇぞ、つ・ば・さぁ!?」
「うわああっ、離して遼平っ、一生のお願い! 殴らないでっ、蹴らないでっ、話せば人はわかりあえるからぁぁぁ〜!!」
数分後、戦闘でかすり傷一つ作らなかった男は、俺の手によってボロボロになっていた。
全ては、ひらがなが書けなかったばっかりに。