第一章『優しき獣』(1)
依頼5《過日》カジツ
第一章『優しき獣』
「つぅーばぁーさぁーっ!!」
「ごっ、ゴメンっ、あとちょっと待って! ねっ?」
もうとっくに痺れを切らした俺の唸りに近い声に、焦る男の背中。振り返って「一生のお願いだから待ってよ〜」とか懇願しだすから、「じゃあ無駄口叩いてんじゃねぇ!」と一喝してやった。
「まぁまぁ遼平、そんなに焦らさなくてもいいじゃないですか」
湯飲みを盆に乗せて、床の間の奥から着物の似合う女が出てくる。桃色の鮮やかな長髪を結わえて、にこやかに微笑んで俺に湯飲みを差し出してきた。
「だってよ時雨、こいつメモ一枚書くのに三十分以上もかけてるんだぜ!?」
「しょうがないじゃないか、俺は文字書けないんだからぁ〜っ」
「うっせえ! てめぇは無駄口叩くなって言ってんだろうがぁ!」
「痛っ、痛いよ遼平! グーで殴るのは無しだよ〜!」
「じゃあパーならいいのかっ、あぁん!?」とか叩きだすと「そ、それも痛い〜っ」とか涙声になる、情けない男、翼。
あぁ、俺はなんでこんな所でこんな事してるんだ?
こっちより身体の大きい翼をついには蹴り倒してから、俺は思い出そうとしてみる。
始まりは一週間前のことだ。
笑い話にもならねー事情で路上生活を始めた俺に、ある男から声がかけられた。
そいつは俺に興味を持ったみてぇで、「俺達の仲間になってくれないか?」とか言いだしやがった。
まだ何の言葉も交わしてねぇのに、いきなりそれだぜ? 普通は怪しむよな。俺だって疑った……つーか、面倒だったから殴りかかった。
そしたらその男、俺の攻撃を全てかわしやがった。住んでた路上の野郎共全員潰した俺の、拳を。
しかもそいつ、まだ笑顔浮かべてるじゃねーか。俺は完全に腹が立った。けど、潰しがいのありそうなヤツを見つけられた興奮もあった。
男は、自分が『スカイ』という名のグループに所属していること、『白鷹翼』(しらたか つばさ)っつーやたらと画数の多そうな名前だと名乗った。
俺は……名前を『遼平』とだけ言って、後は何も語らなかった。なのにそれに不信感なんて欠片も持たねぇで、翼は呑気そうな笑顔で俺を誘拐……ってか拉致? というか半強制的にスカイの縄張り(実はこれが俺の住んでた路上と近かった)に連れていった。
で、今日。
なんでも翼は、このスカイの幹部らしい。そしてもう一人の幹部、流華時雨が表社会でやってる花屋に、俺は呼び出されたわけだ。
低血圧で朝は機嫌の悪い俺を早朝から呼び出した挙げ句、来てみたら「お使いを頼みたい」だぁ!? 俺をなんだと思ってやがるっ!
更に更に。そのお使いとやらのメモを書くのに、翼はかれこれ三十分以上かけてやがる。……ちなみにだが、《俺が来てから》三十分であって、それより前からこいつはメモを書いていたらしい。なんでそんなに時間をかけているかと言うと――――
「お、俺はこの前時雨に『ひらがな』を教わったばかりで……まだ五十音表を見ないと書けないんだよ〜っ」
「小学校一年レベルか、てめぇの頭は! 俺だって簡単な漢字なら書けるぞ! いくつだ翼!」
「たぶん十九歳……かなぁ? あ、ちなみにカタカナは書けないけど、みんなの名前の漢字くらいなら少しは……」
「自分の歳もわからねぇのかよ! 時雨、何なんだこのバカはぁ!?」
小さな笑いを堪えていた時雨だが、俺に問われると少し困った表情をする。時雨はともかく、こんなヤツが幹部でいいのか!?
「えっと……、翼は、生きるために必要な知識はしっかり持っているんですよ」
「うんうん、東の空に雲が広がったら次の日は雨とか、食べられる野草の見分け方とか……」
「ババアの知恵袋かてめぇはー!!」
腕を組んで一人で頷いている翼の後頭部へ、俺のハイキックが直撃。顔面を畳に強打。
「ちょ、遼平、俺ボケてないんだけど……。激しすぎるよツッコミが……」
てめぇと漫才する気なんてさらさらねーんだよ! あ〜っ、すっげームカつく!!
そして、更に三十分後。
「出来たっ、書けたよ遼平ー!」
「こンくれぇのことで感涙してんじゃねぇよ……。ったく、じゃあ行ってくるからな!」
随分とシワの寄った二つ折りの紙を受け取り、時雨から財布を預かって俺は店から出て行く。
まずはドコに行けばいいのかと、店を一歩出てからメモを開いて――――
『おつかいのめも。遼干へ』
「誰がリョウカンじゃボケェェェ!!!」
一仕事終えた後の充実した笑顔で茶をすすっている翼へ、飛び蹴りを喰らわしてやった。
気絶間際にこぼれた緑茶で『りょう』と畳に指で書いていたが、ただの茶なので当然すぐに蒸発して必死のダイイングメッセージは消えた。
◆ ◆ ◆
最初に言っておこう。俺は今、とても機嫌が悪い、と。
誰に対して言ってるかとか、そういう細かいコトはどーでもいい。とにかく今、俺は邪気をまとうほど不機嫌な顔で、ブツブツ言いながら路地を歩いている。
有り得ねぇ、有り得ねぇよ、こんなの渡されて……。
『有り得ねぇ、有り得ねぇよ、こんなの渡されて…………どーしろってんだぁー!!』
俺の呟きも叫びも、人間には聞き取れない。俺が本気で不機嫌になると、こうなる。……ってか、自分で音の高低が制御できなくなるんだ。
心の声と同時に出た俺の超音波は、ついアイツらを呼んじまう。
『なになに、どーしたのリョーヘイ!』
『リョウヘー怒ってる〜?』
『……なんでもねぇよっ』
まだ昼間だってのに、どこからともなく舞い降りてきて俺の両肩にそれぞれ着陸する黒翼。路上で生活し始めて出来た、《知り合い》。まだ子供の、幼い双子蝙蝠。
『『リョーヘイ、怒ってる、どーして??』』
『カスト、ポルック! 黙らねぇと殴るぞ!!』
拳を振り上げたが、これが間違いだった。余計ヤツらのテンションを上げちまったからだ。かまってくれる相手を見つけて、嬉々として喜んでやがる。
『リョーヘイは殴らないよね、ポルック』
『だってリョウヘーは優しいもんね、カスト』
『『ねーっ』』
無邪気な声で頭上を飛び始めたカストとポルックに、俺は肩を下げる。誰が『優しい』だって? 俺は……。
「わーっ、コウモリだぁー! ねぇねぇ、お兄ちゃん!」
「あ?」
振り返ると、こっちへ駆けてくる緑シャツのガキが一人。前に立つと、背丈は俺の胸あたりまでしかない。
「スッゴイね、コウモリだぁ! お兄ちゃんのペットなの!? 僕にも見せてっ!」
「……」
ガキらしい好奇心の瞳で、俺の両肩に留まってきょとんとするカストとポルックに手を伸ばしてくる。二匹の蝙蝠は、その小さな手から逃れて俺の背中に隠れる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんってさ、」
「……失せろ、ガキ。どいつが俺のペットだと? 人間と動物に優劣の差があると思ってやがんのか。失せる気がねぇなら、俺が、消す」
光の無い漆黒の瞳で睨むと、ガキは震えて逃げていった。……俺は、ガキが嫌いだ。
『リョーヘイ、怒らないで』
『ごめんね、ごめんね、僕たちのせい?』
『……別に、お前らが気にすることねぇよ。あのガキが気に入らなかっただけだ』
人間が動物たちの頂点に立っていると考えるヤツが……俺は、人間自体が嫌いだ。こいつらの声も聞こえないくせに、弱いから群がって行動しなきゃ動けねぇくせに、何様だよ。
『でもリョーヘイ、今の子はニンゲンだよ? リョーヘイの仲間だよ?』
『なんでリョウヘーはニンゲンが嫌いなの?』
『…………嫌われたことしかねぇから、だろうな』
ま、結局はそんなくだらねー理由なんだろうな。人間の醜い姿をあれほどまでに見せられて、好きになれるヤツがいるならそいつはトチ狂ってるか、仏じゃねーの?
「俺は優しくなんかねぇんだ……『優しさ』なんて、知らねえんだから」
カストとポルックには低すぎて聞こえないであろう呟き。自分で口にして、その言葉が心に刺さる。『優しさ』が……わからない。
って、今はそんなコト考えてる場合じゃねえ! 俺の不機嫌の元凶、《コレ》をどうにかしねぇと……。
翼の、『メモ』と偽られた暗号解読を。
『やってくるもの。 す11や、やば5ゃ、’1ん二゛、くしち』
…………わからねぇ……!!
何度見ても、どう考えてもわからねぇ!
なんだ、何なんだ、これは罠か? 何かの罰ゲームか? なぞなぞか!?
とりあえず引き返そうとして、財布にメモをしまおうとしたら、中に一枚の小綺麗な紙があった。開くと、筆文字で横書きが。
『翼のメモだけでは不安なので、念のために私も同じメモを書きました。遼平、すみませんが頑張ってください。……時雨』
さすが時雨! わかってんじゃねーか、これならわざわざ引き返さなくても――――。
『買ってくる品。 西瓜、南瓜、木木檎、魚京』
………………やっぱ読めねぇ……!!!
嫌がらせか!? 嫌がらせなのかコレは!? 俺が何したってんだよ……!
結論。やっぱり俺は、人間が嫌いだ。