第四章『風車』(4)
「……ビ、チビ! おい純也!」
温かい……なんだろう、誰かが僕を呼んでる……。
両肩を強く掴まれて、僕は揺り動かされていた。もう視界は白じゃない。ぼんやりとした画面に映っているのは、最近見慣れた顔。
「……りょ、う?」
「何やってんだお前! 死にたいのかっ?」
「へ……?」
身体を起こしたいのに、指の一本も動かなかった。だから確認できるのは、怒っている遼の顔だけ。僕は、なんで怒られてるんだろう?
「……おかえり、遼……」
とりあえず言ってみる。仕事は終わったのかな?
「おかえり、じゃねぇよバカ。何考えてんだ?」
遼の手がとっても熱い……違うな、僕の体温が無いんだ。リビングには朝陽が射し込んでいて……窓辺には大量の雪が積もっている。
あ、そうか。
僕は昨日、あのまま倒れたんだ。それで、ずっと窓が開けっ放しだったんだ。だから遼が怒ってるんだ……。
「ごめんなさい、すぐ部屋片づけるから……」
とか言ってみたものの、身体が凍り付いたように動かない。どうしよう、きっと遼は許してくれないだろうな。だってこんなに雪が部屋の中に入ってるもの。
「……寝てろ」
「え?」
「俺が後でなんとかする。どうせお前、動けねぇだろ」
それはそうだけど。でも、遼の顔は不機嫌そうだ。僕は気力でなんとか上半身を起きあがらせる。指の感覚は無いけど……何か焼けるように熱いモノが、僕の頬を伝った。
「……ごめんなさい」
「黙れ」
「ごめんなさい」
「黙れってんだよ」
「ごめんなさいっ」
「お前、いい加減に……っ」
遼は怒鳴るかたちで振り向く。僕と目が合うと、言葉を続けなかった。ぽろぽろと落ちる雫で、僕には遼がよく見えない。
僕がいなくなればいいのに、それが出来ない。僕は遼と離れるわけにはいかないんだ。……でもそれは、あくまで僕個人の問題。遼には何の責任も無い。
「ぼく……僕、何も出来なくて……謝ることしか出来なくて……だからっ」
「……小せぇくせに、無理してんじゃねえよ。今何を思ってる?」
「…………しかった……」
「聞こえねぇ」
顔が上げられない僕の前で、きっと遼は僕を見下ろしてる。絶対に我慢していようって思ってたのに、僕の口は心の声を漏らしてしまう。
「寂しかったっ、僕独りで……」
「……そうか」
僕の頭に、軽く手が置かれる。優しい大きな手……なんだか懐かしい。僕はこの感覚を知っている。
「前言撤回だな。お前は人間だ」
「え……?」
「自分の感情で泣けるのは、ヒトだけだ。お前は確かに、化け物じゃねえ。化け物に涙は無い」
僕は気付いた。僕に明るい感情をくれるのは、過去でも風車でもない。ただ傍に、遼が居ること。それだけで僕は、幸せを感じられる。偽物かもしれないけれど。
「純也、明日俺と職場に来い」
「ふぇ?」
「ずっと家ン中に居るもの良くねぇからな。変なヤツらばっかだが、ココに居るよかましだろ」
「でも、僕……」
「あそこにゃマトモな人間なんていねーよ。かろうじてぎりぎりヒトの境界線にいるヤツばっかだ」
「そうなの?」
涙がふと絶える。遼は「あぁ」と頷いて僕の前で身振り手振りをしてくれる。
「まず部長が変だ。こいつは人のことをハリセンでパシパシ叩きやがる。次に、絶対に地球の酸素を浪費している無駄に明るい女がいる。更に最低最悪のキザ野郎だ。気をつけろ」
「はは……、なんだかとっても楽しそうだね」
僕に笑顔が戻る。この感じ、温かくて……嬉しい。
「楽しくはねぇけどよ。……来るか? 純也」
「うん。行かせて、遼」
やっとわかったんだ。僕の居場所はこの部屋じゃない。ましてや記憶の中でも、雪の下でもないんだ。
「今日は仕事がねぇ。早く朝飯作れ」
「わかった、って言いたいんだけど……。身体が動くようになってからでいい?」
「じゃあ俺は寝るぞ。出来たら起こせ」
そう言って、遼はソファに座るなり寝息を立てる。もう寝た……?
凍えて動かない身体に、感覚がゆっくり戻ってきた。遼が座っていないソファの部分に上半身を預けてみる。ここから見える窓の外は、昨晩降った雪で色を消されたビル街。卓上には、とても大切な青い風車。
「いいよね……ココが僕の居場所で」
大切な人の隣りが。ココが僕の居場所でありたいと願う。『ずっと』は無理だけど、どうか出来るだけ長いあいだ……遼の傍にいさせて。
第四章『風車』終演
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