第三章『鏡』(4)
「では、どうかお願いします」
銀行職員に深く頭を下げられ、俺達三人だけが監視室に残る。
「みんな、聞いてくれ。あの金庫室は壁が合金で、扉さえ死守すればエエわけや。そこでワイと澪斗は扉前で待機、希紗は監視カメラから観ていてや」
俺達が雇われたという事は、まず間違いなく侵入者がある。だが、今回の侵入者はおそらく表の人間だろう。
「れ、澪斗」
「何だ女。気安く呼ぶな」
僅かに怯みながら、女は俺を見上げる。この女、騒がしい上に馴れ馴れしい。俺は力を認めた者しか名を呼ぶことを許さん。
「こ、これ、使ってっ」
「は?」
女が意を決して俺に突き出したのは、一丁の黒い銃。俺のマグナムとサイズは大して差は無いが、これは……カートリッジ式?
「ぜ、絶対役に立つから、だから……」
「断る」
俺は躊躇もしなかった。当然だ。俺には、マグナムがある。
「う、どうして……」
「生憎、俺は二丁同時に扱えるほど器用ではないのでな。それに、役立たずの貴様が『役に立つ』モノを作れるとは思わん」
女はひどく傷ついた表情で、ふっと視線を逸らした。退いたということは、少しは自覚があるのだろう。
「行くぞ真」
「……あァ」
険しい表情の真を連れ、俺は金庫へ向かう。もう思考には女は片鱗も無かったのだが。
「澪斗」
「何だ」
「……希紗は役立たずなんかやない。希紗、アレを三日徹夜で作っとったで」
あの銃のことか? 三日前からアレを?
……今は関係無いだろう。
「そんな事より、気を引き締めろ。ミスは許さん」
「それ、部長のワイの台詞やと思うんやけど?」
貴様が言わないから先に言ったまでだ。真は苦笑で頭を抱えていた。こいつ、本当にあの《斬魔》なのか?
俺が聞いた限りでは、《斬魔》は百数人を殺害した凶悪犯だという。しかも六年前の話だ、俺達はまだ年端もいかない子供だったはず。あの社長、俺に嘘を……?
「斬魔は何故こんな所で生きているのだろうな」
横顔を見なくても、やつが何かが突き刺さった表情をするのがわかる。真は息を呑んで黙り込む。俺は本来詮索を好まないが、容易に他人の言う事を信じるほどお人好しではないのでな。
「……償うため、かなァ」
「何?」
「罪を償う手段で死を選ぶのは簡単や。たった一人が死ぬぐらいで償える罪やない……そういう事や」
「この世に未練があるのではないか?」
綺麗事を言われるのが嫌いな俺は、ガラにも無く詮索を続ける。普段は他人の事など全く興味を持たないのに。俺の嘲りを含んだ言葉に、真は苦笑した。
「せやなァ、未練が持てる世界だったら良かったのにな」
……その苦笑は軽かったのに。何故だ、何故鳥肌が立つ? 俺が今感じているこの悪寒は? この男……!
「どした澪斗? 変な話してごめんな?」
「い、いや、すまなかった」
何故俺は謝っている?
震撼を隠し、平静を装う。俺は何故動揺しているんだ?
「さて、着いたな」
真の声で我に返り、顔を上げる。ありきたりな巨大な円形の金庫扉が、そびえ立っていた。
「「……」」
深夜の沈黙を守り警備すること四時間余り経っただろうか。途中で真が「しりとりでもする?」と馬鹿げた事を言い出したので睨んでやった。この男、本当にわからん。
が、突如入る無線。やっと、か。
『真! なんか外に怪しい一団がいるのよ! どうしよっ、あれヤバくない?』
「わかった、そのままそいつら監視しとけ。こっちでなんとかするから」
『う、うんっ』
回線の切れる音。ここまで来るのにたった一本しかない通路を睨む。
「なァ澪斗、あんたは少しぐらい動揺しないん?」
あの女が緊張した声だったからか、俺にそんな事を訊いてくる。
「一々警備員が動揺してどうする」
「そりゃそうやけど。随分慣れるのが早いな、と思って。やっぱ、前の職業のおかげ? そもそも、なんでまた警備員に?」
俺のあずかり知らぬところで勝手に東京裏社会に流れていた、誰が付けたか《消去執行人》という名。本社でも、誰もが知っていた。暗殺業もまた、守護業の天敵だからだ。
「……それは部長命令か」
上司として、俺に教えろと?
「ちゃうちゃう。エエよ、言いたくなければ」
なら訊くな。
どうせ、真実は話さないが。俺の過去は、目的は……明かせない。
「どうした?」
不審げに腕時計を見る俺に、真が振り返る。経験の差か、真には余裕が窺える。
「女の報告から、もう随分と経つ。ここに辿り着くまでの道は複雑ではないはずだ」
「セキュリティーのこと気にしてんのかなァ、やっぱ表の人間やろうし」
「……! 真、貴様はここを離れるな!」
「えっ? あ、ちょっと澪斗!」
混乱している上司を残し、俺は走り出す。もと来た一本道を疾走しながら、舌打ちをしていた。
愚かだった……!
ここは大手銀行、誰が考えても複雑なセキュリティーが働いていると思われる。そして警察を恐れる表の人間は、セキュリティーを解除する方法を探す。普通、セキュリティーが解除でき、警備配置まで把握できる場所は。
監視室!!
「あの女……っ」
俺の脳裏にあの女の最後の顔が過ぎる。それだけで、脚が速まっていく。
――――失敗は許さない。