第三章『鏡』(1)
第三章『鏡』
何も無い闇に、俺はいる。
目の前には、瞳の鋭い男がいる。俺と寸分同じ容姿の男が。
俺は視線を逸らすことなく、じっと目を合わす。
暗闇の鏡に、俺は永遠に捕らわれたまま……。
◆ ◆ ◆
「……」
押し出された空薬莢が落ちる澄んだ音のみが響く。数分前まで喚声に支配されていた場で、俺は一人呼吸する。……俺以外のモノは、もう息を吸う必要が無い。
「澪斗っ」
呼ばれ、俺は振り返る。つい最近から俺の上司になった男が、俺ごと周囲を見渡していた。
「……遅かったか……」
「貴様が遅かろうと、結果は変わらん」
「ワイはそういう事言ってるんやない……っ」
ではどういう意味だ?
部長、霧辺真は腕を震わせて何かを堪えている。俺はこいつの考えている事がわからない。……まぁ、わかりたいわけではないがな。
俺の制服に染み付いた血のり。侵入者どもの死骸。銀と、浴びた紅に光るリボルバー式マグナム。真が見た光景は、こんなところだ。
俺は血の海に寝ている侵入者の一人を担ぎ上げ、外へ歩き出す。
「澪斗っ、何処へ……」
「決まっているだろう、コレを処分する。貴様も手伝え」
「あんた……何とも思わんのか?」
「何をだ?」
「この状況を、や」
真の言葉にいつもの軽さは無い。やつに背を向けている俺を、おそらくじっと見ている。
「……そうだな、後始末が面倒だ。処理の事を考えて殺ればよかった」
「っ!」
真の怒気を一瞬背中越しに感じたが、すぐさまその気配は消えた。何故か、やつは必死に己の感情を堪えている。何をしているんだ、こいつは。
「…………もういい。貴様は見回りを続けていろ。俺がコレを片づけておく」
様子のおかしい部長は放っておき、一人で死骸を捨てに行く。
ふと、血溜まりが紅い鏡に見えた。
……俺が紅く映る。映った男は無表情のようで、真っ直ぐ睨んでくる。俺は映る紅い男に問いかけた。
『決めただろう? 俺は目的の為には何でもする、と』
『そうだ。俺達の《目的》のためなら……手段を選ばん』
紅い鏡との自問自答に、俺はくだらなさを覚えて顔を背ける。裏社会の夜は、ふけていく。
◆ ◆ ◆
警備二日目。裏オークションの商品を警備する今回の依頼は、やはり裏の人間からの襲撃がある。今日は騒がしいあの女も警備に来るらしい。
「昨日の襲撃の件を踏まえて、警備配置を最初から考え直した。全員で警戒態勢に入る」
全員と言っても、どうせ俺達は三人しかいないだろう。真の言葉を聞きながら、俺は銃弾を六発マグナムにセットする。ストックの分の弾も確認し、腰のホルダーに戻した。
「……あんた、それ使うの?」
壁に寄りかかった体勢の俺に、メカニッカーで監視担当の女が声をかける。俺は、この騒がしい女が好きではない。
「飾りでこんな物を所持するような趣味はない。警備で必要となれば使う」
「そう……」
女は、暗い表情で俯く。変なやつだ。
「希紗、あんたはワイと来い。澪斗も何かあったら無線で呼んでや」
無線機を渡され、無言でベルトに繋ぐ。一々返事をするのが面倒なので、そのまま踵を返して俺は配置された場所へ向かった。
暗い通路を一人歩き、俺は無駄と知りながら考えを巡らせる。
俺が配置されたのはオークション会場の裏の入り口付近。真達は商品が納まっている部屋だ。
……簡単に考えて、あちらの方が襲撃される確率が高い。何故俺がこちらに回された? 真は何を考えている? 斬魔なのだから、相当の力量を持っているのだろうが……俺が必要無いほど自信があるという事か?
「……くだらんな」
小さく言葉にする。他人が何をどう考えようと、俺には関係無い。俺は、課せられた任務を遂行すればいいだけだ。俺の分だけやれば、他人がどうなろうと知らない。
配置された場所から微動だにせず立っていること三時間ほど。静かに精神を強く集中させるこの時間、不快ではない。
が、やがてそれは破られる。無線機に電波が入った音。
『澪斗! こっちに侵入者!』
あの女の声だ。俺が返事をしようとした時。
『澪斗はエエっ、あんたはこっちに来るな!』
なんだと?
「どういう事だ」
『これくらいワイ一人でなんとかなるっ。あんたはそっちを離れるな!』
そんな事を言われても、もう近くまで来ているのだが。大きく奇声と破壊音が響いている……本当になんとかなるのか?
明らかに真の態度は俺を警備から遠ざけようとしている。何故だ……?
俺は上司の命令に従わなかった。どうせ、今までだって他人の指示など聞いてこなかった俺だ。俺のやりたいようにやる。失敗などしない。
すぐ部屋付近に着いた。部屋の外と中で攻防が繰り広げられている。俺がいる事を、部屋の中の警備員に気をとられている侵入者どもは気付かない。木刀を構える真に飛びかかる三人の心臓を、一気に後ろから撃ち抜く!
「なぁっ!?」
「……がっ」
「なん……」
三人の男は即死し、他の侵入者どもも狼狽える。雑魚か。
「……逝け、クズが」
「やめろ……っ、澪斗!」
残りの三発で一人ずつ射殺するのは容易。真の叫びが聞こえた気もしたが、気にする必要はなかろう。
六発全て撃ちきって、マグナムは弾切れになる。前と後ろに挟まれた侵入者だったが、残り五人程度で一斉に俺に襲いかかってくる。空薬莢を押し出す指とストック分の弾を抜き出す指を使い、一瞬で再装填。銃口を向けて。
しかし、飛びかかってきた男達はその後ろから薙ぎ払われて横の壁に叩きつけられる。跳躍した真が木刀を一閃させていた。マグナムの銃口は照準を失う。
「邪魔だ、真」
「あんたは手を出すな……!」
「何故だ」
「っ、それは……」
睨み合うようだった俺達の言葉は、遮られる。薙ぎられただけの男達が、起きあがってきたからだ。真、手を抜いたのか……?
真に腕を引かれ、俺達は部屋に駆け込む。大きめの扉は完全に破壊されており、そこを境に警備員と侵入者は構えて動かない。緊迫した空気が、漂う。
「どこの警備員だっ、お前ら!」
「……答える必要性は無いな」
喚いた者の左胸に弾を貫通させるのは、刹那。機関銃や刃物を手に持った侵入者どもが怯んだ隙に、始末を開始する。
「澪斗、よせっ!」
「い……っ、嫌あぁぁぁーっ!!」
突然背後から、発狂しそうな甲高い叫びが聞こえた。