新米弁護士、TLに目覚める
『はじめから、間違った結婚だったんでしょうね‥』
頭の中に寂しげな女性の声が響いた。常態化した長時間労働による疲労の中、居候弁護士、ではなく、新人弁護士の鈴切晃はぼんやりと天井を見つめている。
「あ〜‥‥‥」
司法修習を終え、晴れて弁護士の肩書を得た晃は、当初父親から言われていた通り、その父親の古い友人がボス弁護士、ではなく所長弁護士を務める法律事務所で修業中なのである。
最初から身内の事務所ではなく、まずは外のことを知るべしと言われているが、企業法務中心の父方一族の法律事務所に対して、今の晃が持っている案件は離婚や自己破産ばかり。大量の事務処理をさばくという面では納得できるが、これからのキャリアに本当に必要なのか?と問えば全く微妙なところである。
さて、すっかり話が逸れてしまったが、本日は晃が担当していた離婚案件、それも夫の不倫による離婚調停が無事に成立した日であった。依頼人女性の希望する慰謝料で離婚が合意され、新人弁護士として
は完全勝利と言って良いはずなのに、晃の心は晴れない。体もなんだか重い気がする。
不倫、と一口に言ってもそこには色んなものがある。お互いがほんの一時ハメをはずしたい火遊び程度のものもあれば、ズブズブとはまり込んで本気の恋愛になってしまうものもある。そして、今回は後者のパターンだった。晃としては、本当に始末に負えないのがこちらだと心の底から思っている。
依頼人夫婦に子どもはいなかった。二人は自由恋愛を経て、最終的に籍を入れている。その瞬間は確かにお互い愛し合っていたはずなのだ。それなのに、最終的には金銭と法律のもと離婚となった。
事の発端は元夫の方からだったそうだ。依頼人である田島氏も生活する中で薄々感じるものはあったらしいが、ある夜、真正面から不倫相手を愛してしまった、という一方的な告白が始まったのである。そこからは元夫の独壇場。いかに不倫相手が素晴らしいかを説き、そのお相手と結婚したい、だから離婚して欲しい‥という、さもそれが当然なことであると言わんばかりの言いように、田島氏はすっかり打ちのめされてしまった。それでも、襲い来る虚脱感や悲しさを振りはらい、近所の弁護士事務所の戸を叩いたのだ。
実務的な話で言えば、こういう場合、夫とその相手から慰謝料を取ることは容易い。しかし、それはあくまで実務のこと。依頼者の心情を考えると、なかなかそれはしんどい。ボスから依頼人に共感しすぎるなというアドバイスを受けても、新人なうえにナイーブとセンチメンタルを自覚する晃にはやはり苦しいのだった。
捨てる方ばかりが常に前を向き、捨てられる方はその場に留まったまま。
愛とは何か。それはいつか消えてしまうものなのか‥という果てなき問がまた頭のなかで再開する。
「あ〜〜‥」
今日何度目なのか分からぬ呻きが出た。そんな晃君の恋愛遍歴をここで少し紹介する。付き合った人数は3人、いずれも学生の頃である。しかし、基本的には長く続かず終了。所謂恋人達がすることは一通り経験済みだが、何かが食い違うような噛み合わないような違和感があって、だんだんと距離が開き別れてしまうのだった。
しかしながら、晃はそのことを深刻には考えていない。噛み合わないのは自分の人間性の問題ではないと考えていたからである。それに、実家のことを思えば、いつかは政略結婚的なものが発生するだろうというのが、頭の片隅にある。とは言っても長男筋の人間ではないし、付き合った相手とうまく続けば結婚というのもあったはずだが、今のところそうはならなかった。ただそういうことである。
弁護士になってからおよそ一年。離婚案件を担当してから、晃は政略結婚はそんなに悪くないのかも、と思い始めている。契約のもとに成り立つ結婚には燃えるような恋情はないかもしれない。でも、そのほうが淡々と毎日を過ごしていけるかもしれない。…あれ?本当にそうなんだろうか?いや、まずいまずい。こういう疲れ切った金曜日はネガティブに考えがちだ。
脳内のわちゃわちゃを外に出すべく、晃はスマホのメモアプリを起動した。見た目に似合わず、晃は毎日せっせと日記をつけているのだ。
そっけないアプリの画面をぼんやりと眺めて今日を振り返る。
『はじめから、間違った結婚だったんでしょうね‥』
頭の中で再び響いた声。晃は重だるい頭で画面を見つめ、つらつらと書き始める。
『この関係は間違いなんかじゃない!』
……俺は一体何を書いている!?何かヤバい扉が開かれた気配を感じ、晃の血の気が引く。それなのに頭の中では次々にセリフが浮かんでくるのである。
『俺は絶対に君を裏切ったりしない!誓ってもいい!』
『俺の人生をかけてそれを証明してみせる!!』
これは一体、何のために?依頼者への弔いなのだろうか。それとも救済者思考なのだろうか。自分の心の中で何が起こっているのか恐ろしくなる晃だが、だがその一方で、今までに感じたことのない高揚感が腹の底から湧き上がってくる。スマホをタップする指が止まらない。結局明け方近くまでスマホをタップしまくった晃は清々しい気持ちで朝日を浴びて、そしてようやく眠りについたのだった。
そんな運命の夜から早数年、晃は修業を終えて、実家一族の事務所である鈴切法律事務所へと無事に入所した。弁護士には個室が与えらるうえに、以前のようなどろどろとした情念が渦巻く案件とはすっかり縁が切れている。ビジネスライクで淡々とした企業案件を粛々とこなす毎日。
が、しかし。もはや全く関係の無くなった離婚案件の情報を読み込んでは、夜な夜なスマホで小説を書きカタルシスを得ている。すっかり習慣となって、書くと心が落ち着くまでになってしまった。
「…なっ!托卵女子、だと…?」
新たな扉が開いてしまった。今までほとんど女性目線で書いていた晃に、男性目線というまた一筋の光が差し込んでしまった。これだからやめられないのだ。晃くんの創作人生はまだまだ続くのだ。
別作「寂しさで煮た梅ジャム」に出てきた晃お兄さんの話でした。よければそちらもお読みください!




