第一章:陽光の潰える刻(とき)〜第4話:【6/15】アカウント全停止〜
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
昨日まで当たり前にログインできていたシステム。
やり取りしていたツールから一方的に「拒絶」される。
私自身もある日突然アカウントを止められ、
会社との繋がりが砂のように消えていくのを画面越しに見ました。
絶望の淵に立たされた彼が、何を掴むのか。ぜひご覧ください。
世界から俺の居場所を証明する「鍵」が消えた。
六月十五日、午前九時。
いつも通り、いやいつも以上に重い体を引きずって出社した俺を待っていたのは、ディスプレイに無機質に表示された一行のテキストだった。
『このアカウントは現在、管理者によって無効化されています。
システム管理者に問い合わせてください』
マウスを握る指先がわずかに震える。
パスワードの打ち間違いじゃない。
キーボードの不調でもない。
何度も何度もエンターキーを叩くが、返ってくるのは冷徹なエラー音だけ。
それは俺がこの一年間、命を削って積み上げてきた全てのデータ、全ての成果、
そして全ての「繋がり」が紙切れよりも容易くシュレッダーにかけられた瞬間だった。
「……あ」
喉の奥から乾いた音が漏れる。
その時、背後から不快な足音が近づいてきた。安物の香水と隠しきれない優越感の匂い。
「おやおや、一ノ瀬くん。何をしているのかな? ログインできないのかい?」
振り返らなくても分かる。
運用部長、毒山だ。
奴はわざとらしく顎をさすりながら、俺のディスプレイを覗き込んできた。
「君、先日の面談で納得していたと思ったんだがねぇ。
どうやら『誠実』な話し合いが通じない相手には、会社としても相応の処置をとらざるを得なくてね。
……今日付で君は解雇だ。
ああ、これは『会社都合』ではなく君の『能力不足と不適合』によるものだから、退職金も期待しないでくれたまえ」
解雇。
その二文字が頭の中に鈍い音を立てて突き刺さる。
二十万円の減額を突きつけそれでも働き続けようとした俺を、奴らは最後には「ゴミ」として捨てることに決めたのだ。
「……能力不足? 僕が七人分の業務をこなしていたのに、ですか?」
「ははは! 七人分? 誰もそんなこと頼んでいないよ。
君が勝手に抱え込んで、勝手に疲弊して、周囲に気を遣わせた。
それが我が社の『調和』を乱したんだよ」
毒山の言葉に周囲のデスクからクスクスという忍び笑いが漏れた。
昨日まで俺に
「助けてください」
「一ノ瀬さんしかいない」
と縋り付いていた連中だ。
彼らは今、俺を助けるどころか、自分がターゲットにならないよう、必死に「勝ち組」の毒山側に同調している。
視界が屈辱で真っ赤に染まる。
俺の横にはすでに用意されていたのか、一箱の薄汚れた段ボールが置かれた。
「さあ、さっさと荷物をまとめなさい。
一時間後にはセキュリティカードも無効になる。不法侵入で訴えられたくはないだろう?」
俺は指先の感覚を失ったままデスクの上の私物を詰め込み始めた。
陽向と撮った写真、使い古したマウスパッド、予備のゼリー飲料。
数分前まで「俺の城」だと思っていた場所が、今はただの冷たいプラスチックの塊に見えた。
たった一箱。
俺がこの会社で過ごした時間の重みは、安価な段ボール一箱に収まってしまった。
エレベーターホールへ向かう俺の背中に、さらなる追い打ちが飛ぶ。
「お疲れ、一ノ瀬」
同期のゴミ川が十人隊の取り巻きを引き連れて道を塞いだ。
奴は俺が必死に書いたマニュアルの束をヒラヒラとさせながら下卑た笑みを浮かべる。
「お前のIDもう消えてるぜ?『二十万円も損するなら辞めます』ってか?
元の給料が安いと貧乏人は大変だよなあ!
お前の仕事?ああ、俺たちが適当にボタン押してやっといてやるよ。
あんなの誰がやっても同じだろ?」
ゴミ川が適当にエンターキーを叩くジェスチャーをしてみせる。
取り巻きたちがどっと沸く。
俺が数千行のコードを読み、深夜まで不備がないかチェックしていたその作業を、奴らは「ボタンを押すだけ」だと思っている。
「……君たちに、あのシステムの裏側が分かるのか?」
「は? 分かるわけねーだろ、そんな面倒なもん。適当に動けばいいんだよ。
動かなくなったらまたお前みたいな『身代わり』を雇えば済む話だしな!」
その言葉が俺の中で何かが弾ける最後の火種になった。
――もう、いい。
この場所には俺の言葉を理解する人間は一人もいない。
俺の真心はここではただの「ノイズ」だったんだ。
俺は何も言い返さず、段ボールを抱えてエレベーターに乗り込んだ。
閉まる扉の隙間から見えた、ゴミ川たちの嘲笑と毒山の満足げな顔。
その光景を俺は網膜の裏側に呪いのように深く、深く刻み込んだ。
一階のロビーを出た瞬間。
空からは俺の心象風景を具現化したような、重苦しい土砂降りの雨が降り注いでいた。
「傘なんて持っていない……」
朝、家を出る時はまだ少しだけ希望を捨てきれずに、陽向に「今日は早く帰るからね」と笑って見せたのに。
段ボールを濡らさないよう必死に抱え込んで雨の中へ踏み出す。
冷たい雨が体温を奪い服を肌に張り付かせる。
アスファルトに跳ねる雨音が俺を嘲笑う拍手のように聞こえた。
「……っ、……ふざけるな……」
雨水が口に入り言葉が濁る。
頬を伝う液体が雨なのか涙なのか、もう判別がつかなかった。
ポケットの中でスマホが震える。
陽向からのメッセージだ。
『お兄ちゃん、今日のご飯なに? 楽しみにしてるね!』
その文字列を見た瞬間、耐えきれないほどの嗚咽が漏れた。
来月の薬代はどうする。
陽向になんて言えばいい。
俺の「誠実」は世界を救わなかった。
俺の「真心」は大切な一人さえ守れなかった。
雨の中、ずぶ濡れになりながら立ち尽くす俺の姿は、都会の風景の一部として誰にも見向きもされずに溶けていく。
だが俺の胸の奥底では凍りついた絶望の層の下で、真っ黒な「何か」が胎動し始めていた。
イーヴェル社のサーバーから俺が密かに持ち出していた【86人の亡霊リスト】。
不当に切り捨てられた者たちのログが、雨音に混じって俺の耳元で囁き始める。
(――記録しろ。――裁け。――償わせろ)
「……ああ、そうだ。記録してやるよ」
俺は雨に濡れた瞳を見開いた。
その視界の端に漆黒の高級車が、水飛沫を上げて止まるのが見えた。
運命が俺の絶望を「復讐」へと書き換えるために、その使者を送り込んできたのだ。
第4話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
会社のために心血を注いできた結果が、この仕打ちでした。
次回、第5話「亡霊たちの呼び声」。
ついに第一章のクライマックス。
陽の脳内でプログラムが起動し、すべてのログが「武器」に変わる、覚醒の瞬間が訪れます。
【皆さまへ】
もし「面白い」「先が気になる」と少しでも思っていただけましたら、
ブックマーク、下の★★★★★評価で応援のほどよろしくお願いいたします。




