第三章:亡霊の招集(デシメーターズ・コール)〜第12話:毒を以て毒を制す【諜報員】芽衣〜
第12話です。
物語の空気を一変させるミステリアスなエピソードです。
これまで救い出してきた「真希」や「佐藤」とは違い、
今回登場する芽衣は自らも汚れ仕事に手を染めてきたイーヴェルの「掃除屋」。
舞台は港区の片隅、夜の底に沈む会員制バー。
毒を以て毒を制す――そんな危うい大人の女性が、ハルと律のバディにどのような化学反応を起こすのか。
居酒屋の赤提灯が遠ざかり夜の闇が一段とその濃度を増した。
佐藤さんや真希と笑い合った温かな余韻は湿った夜風にさらわれて瞬く間に消えていく。
俺の隣を歩く九条律の漆黒のコートが街灯の光を拒絶するように翻った。
「準備はいいかハル。ここからはこれまでの二人とは勝手が違うぞ」
律の冷徹な声が夜の静寂を切り裂く。
俺は無言で頷き胸ポケットに収めた『バイナリ・サン』の硬い感触を確かめた。
心臓の鼓動が指先にまで伝わってくる。
期待よりも薄氷を踏むような緊張が勝っていた。
*****
辿り着いたのは港区の片隅。
都内でも指折りの社交場として知られる界隈だ。
煌びやかな表通りを一本入った路地裏。
そこには地図には載っていない、載っていても誰もが通り過ぎてしまうような重厚な扉があった。
看板のないその扉の奥にある会員制のバー。
一歩踏み入れるとまず鼻を突いたのは高級な葉巻と甘い香水の混じった、頽廃的で複雑な匂いだった。
照明は限界まで落とされカウンターに並ぶ琥珀色のボトルだけが、宝石のように不気味な輝きを放っている。
氷がクリスタルグラスに当たる乾いた音。
小声で交わされる密談。
ここは法や理屈ではなく「情報」という名の毒が通貨として流通する、イーヴェル社の裏の社交場だった。
「……いたぞ」
律の視線の先。
最奥のボックス席にその女性はいた。
【諜報員】滝川 芽衣。
紫煙の向こう側で彼女は長い足を組みゆったりとカクテルグラスを傾けていた。
シルクのドレスを纏ったその姿は一見すれば華やかな社交界の華だ。
だがその瞳――一切の光を通さない深海のような黒い瞳に射抜かれた瞬間、俺の背筋に冷たい氷柱が走った。
彼女はイーヴェル社秘書課のトップでありながら社内のあらゆる不祥事、裏金、政治家との癒着を握り時にはそれを「掃除」する役割を担っていた。
敵に回せば寝ている間に社会的な死を迎え味方にすれば阿久津CEOの喉元を直接焼き切ることができる。
文字通り毒を以て毒を制す女だ。
「……あら。九条先生。こんな掃き溜めに子犬を連れて何の御用かしら?」
芽衣が赤い唇をわずかに歪め艶然と笑った。
その視線が俺を、いや俺の左眼を執拗に舐めるように這い回る。
「滝川芽衣。単刀直入に言おう。君もあの亡霊リストの一人だ」
律がカウンターに『アイギス・コード』を置いた。
芽衣の眉がピクリと動く。
「……亡霊?失礼ね。私はこうしてイーヴェルの最前線で優雅に暮らしているわ。
あんな有象無象を啜り込み魂まで磨り潰して吐き出す、強欲の臓腑に使い捨てられた連中と一緒にしないでちょうだい」
「強がるのはよせ。……君がイーヴェルの『闇』を誰よりも知っているからこそ、
奴らは君をいつでも消せるように外堀を埋め始めている。
……君の愛用しているプライベート・サーバー昨夜から不自然なアクセス制限がかかっているはずだ」
律の言葉に芽衣のグラスを握る指先がほんの一瞬だけ強張った。
その微かな隙を俺は見逃さなかった。
――視える。
俺は左眼に意識を集中した。
視界が一気に青白いデジタルのグリッドへと変貌する。
バーの喧騒が消え空間を飛び交う無数のパケット通信が文字列の川となって俺の脳内を流れていく。
「……芽衣さん。あなたは会社を守るために『自分』を捨てた。
……でも会社はあなたを守るつもりなんて最初からない」
俺の声が自分でも驚くほど冷たく響いた。
「何を、生意気な……」
「――映れ。」
俺が指先を宙に弾いた瞬間彼女を囲むように真っ赤な警告ログが壁一面に展開された。
それはイーヴェル社最深部――CEO阿久津誠直属の隠しディレクトリから抽出された「掃除計画」。
『秘書課・滝川芽衣。彼女が握っている全機密データのバックアップは完了した。七月一日付で彼女の関与した全ての裏工作を「彼女の独断」として検察にリークする。トカゲの尻尾切りには彼女の首が一番適役だ』
阿久津のあのヘドロのような声が静かなバーの中に鮮明に響き渡った。
「……嘘。そんなはずは……」
芽衣の顔から血の気が一気に失せていく。
彼女が握っていた「毒」はいつの間にか彼女自身を殺すための劇薬へとすり替えられていた。
「芽衣さん。あなたは阿久津さんのためにどれだけの『真心』を汚したんですか。
どれだけの仲間を自分の手で葬ってきたんですか」
俺は彼女に近づき亡霊リストの名前が流れる『バイナリ・サン』の画面を見せた。
そこにはかつて彼女が「整理」したはずの社員たちの名前が、消えない傷跡のように並んでいる。
「あなたは彼らと同じ『亡霊』になる前にここで生き返る道を選ぶべきだ。
……俺たちの力を使ってあなたを使い捨てようとしたあの男のすべての嘘を暴くために」
芽衣は呆然と宙に浮く自分の死刑宣告を見つめていた。
やがて彼女は力なく笑い持っていたカクテルを床にぶちまけた。
「……ふふっ。あははは!おかしいわね。
掃除屋の私が一番汚れたゴミとして処理されるなんて」
彼女が顔を上げた。
その瞳には先ほどまでの冷笑はなかった。
代わりに宿っていたのは氷のように冷たく、けれど激しく燃え上がる剥き出しの「殺意」だった。
「いいわ。九条先生……そして一ノ瀬くん。……私の毒、安くないわよ?」
「……相応の報酬は法と実害のセットで用意しよう」
律が彼女に向けて手を差し出した。
芽衣はその手をまるで契約の印を刻むように強く握り締めた。
「デシメーターズ……。壊滅させるもの。……ふふ、気に入ったわ。阿久津誠。
あいつの隠し口座、愛人の住所、そして五年分の脱税記録……すべて私の脳内に入ってる。……一滴残らず吐き出させてあげるわ」
こうして俺たちのギルドに最も危険で最も強力な「毒」が加わった。
俺、九条律、真希、佐藤さん……そして芽衣。
阿久津。
お前が信じているその足元の地面はすでに俺たちが仕掛けたログの地雷で埋め尽くされている。
夜の闇の中俺の左眼はさらに深くイーヴェルの心臓部へと狙いを定めた。
第12話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ついにデシメーターズに社内の内情を誰よりも知る【諜報員】芽衣が加わりました。
彼女が仲間に加わったことでハルたちの反撃は単なる「防御」から、
イーヴェル社の命脈を絶つ「暗殺」に近い攻撃へとシフトしていきます。
さて、そんなヒリつくような契約を交わした直後ですが
……実はバーを出た後の二人の間には何やら「微妙な空気」が流れていたようで。
次回の更新は、第12.5話:「毒婦の困惑、あるいは無自覚な「名前呼び」」。
最強の諜報員をフリーズさせた、ハルのデリカシーのない(?)天然な一撃。
シリアスな本編の裏側で起きていた、ちょっとした「事件」をお届けします。
【皆さまへ】
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