6 ◇ ありふれた犯人の動機
全11話+後日談2話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。
明日も2〜3話ほど投稿すると思います。
「──フィリップだって、自分の人生を楽しんでいいんだよ?」
ちょっと考えれば誰でもすぐに思いつけそうな、中身の無い浅い一言。
その一言を俺にかけてくれたのが、元同僚のアレンに誘われて行った酒場で知り合った、人生で初めての彼女【イザベラ】だった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
俺の前職は、とある王立機関の事務局員だった。
庶民の就職先としては、とてつもなく給料がいい。誰もが憧れる仕事だった。
俺は、そこで庶民には多すぎる給料をもらって──それをほとんど全部、ひたすら母さんの治療費に充ててた。
女手一つで俺を育ててくれた母さん。
母さんが過労で倒れて、それまでに溜まってた膿が吹き出たかのようにいくつもの病気を同時に発症したのが……俺が17歳のとき。
俺の就職が決まった直後に、張っていた気が抜けたのか、母さんは限界になった。
倒れた母さんには不満なんてなかった。感謝しかなかった。
もともと王立機関に就職したのだって、母さんにこれから楽をさせてやるためだったから。だから、母さんのために稼いだ金を使うのも、毎日仕事終わりに病院の病室に通うのも、微塵も苦じゃなかった。
母さんが俺に人生を丸々捧げてくれてた分、これからは俺が母さんに恩返しをするんだ──って。俺はずっとそう思ってた。
何日でも、何ヶ月でも、何年でも。
母さんが良くなるまで、俺は母さんを支える。
…………全然、苦じゃない。
母さんに感謝してるから。俺の唯一の家族だから。母さんが、俺の世界一大切な人だから。
………………全然、苦じゃない……はずだった。
はずだった、けど、……俺は4年で、限界になった。
回復していくどころか、日に日に、年々……どんどん悪くなっていく母さん。
「フィルに迷惑かけちゃって。ダメだね、早く良くなんなきゃ!」って、病室に顔を出すたびに笑ってた母さんは、
1年経って、2年経って……3年経って、
もう、ろくに喋ることすらできなくなっていた。
母さんはどんどん弱っていくのに、治療代に薬代……金だけはどんどんかかっていった。
俺は仕事終わりに病院に行く代わりに、事情を理解してくれた喫茶シャンテの店主のもとで、短時間ではあるけどアルバイトもするようになった。
……それで、早朝は牛乳配達のアルバイト。日中の事務局の仕事に加えて、それらも掛け持ちするようになった。
……限界だった。辛かった。
元気だった母さんとの思い出も、明るかった母さんとの会話も、忘れてしまう日が増えていった。
病室で青白い顔で寝ている意識のない母さんに
「いい加減治れよ!いつになったら治るんだよ!!っ、治らないんだったら──」
って怒鳴りかけた日。
俺は母さんへの怒りと自己嫌悪で限界になって、母さんがいない家で一人で泣いた。
──「治らないんだったら、もう早く死んでくれよ!」
自分の口から出かけた言葉が、全然俺のものじゃない──……違う。
確実に、それは俺のもの。……俺の、本心だったから。
それから俺は、絶対に使わないって分かっていながらも、危険薬物「瑠璃透黒蝶」の毒を入手した。
そしてそれを「お守り」としてこっそり小指の先ほどの大きさしかない薬瓶に入れて持ち歩くようになった。
──本当に耐えられなくなったら、これで母さんを殺して俺も死のう。
母さんだって、こんな生き延び方は望んでないはずだ。これ以上悪化するくらいなら、早く楽にしてやって、全部終わらせてあげよう。
俺はその「お守り」を手に入れただけで、急に気が楽になった。
病室で意識のない母さんに、笑顔で穏やかに話しかけられるようになった。
仕事も全然苦じゃなくなった。職場でも笑顔を絶やさずに同僚と話せるようになった。
……そうしたら、ある日。
そんな明るくなれた俺を見て、アレンが誘ってきたんだ。
「なあ、フィリップ。たまには息抜きしないか?
僕たちと一緒に、酒場に飲みに行こうぜ。」
って。
◇◇◇◇◇◇
夕方からの喫茶店の仕事を休んで、母さんの病室にも行かないで。……どっちにも行かないなんて、本当に何年振りだろう。
俺は同僚のアレン達と初めてその酒場に行った。
そしてそこで、俺はアレン達の趣味仲間と知り合った。
そのグループの中に、彼女──【イザベラ】さんがいた。
「──すごい、ほんとに頑張ってるんだね!フィリップさんは。
尊敬しちゃう。」
俺の何も面白くない話を聞いて、彼女はそう言ってくれた。
事務局の仕事と、牛乳配達と喫茶店のアルバイトと、病院の病室通い。それしかない俺の生活を、彼女は褒めちぎってくれた。
「そうなんだよコイツ〜!本っ当〜に真面目で母親思いのいい奴なんだよ!」
「けど、少しっくらいは遊んだり息抜きもして欲しくてさぁ。」
「今日誘ってみて良かったー!フィリップがこういう誘いに乗ってきてくれるなんて、初めてのことじゃないか?」
慣れない酒場の雰囲気と、久しぶりのアルコール。盛り上がる皆の熱気にあてられて、ふわふわとした心地になった。
最初は後悔していた。迷っていた。
こうして酒なんかに金を払っている間に、もっと喫茶店で稼いでいれば……
こんな馬鹿みたいに騒いでる時間にやっぱり意味なんてないんじゃ……こんなことしてるくらいなら、少しでも母さんの様子を見に行った方が……
もしかしたら、今日は母さんが久しぶりに起きてるかもしれない。病室で目が覚めて、一人ぼっちだったら……母さん、寂しいだろうな。
でも、初めて同僚のアレン達と仕事以外の話もたくさんして、初めて会った彼らの趣味仲間にもいろんな話を聞いて、慣れない酒を飲んで、俺はだんだん後悔と迷いを見失っていった。
「そんなに忙しくて大変な中でも、一人だけ特別な資格まで取っちゃったんでしょ?若手の中で一番仕事ができて、お給料もみんなより高いんでしょ?フィリップさんって本当にすごい。
アレンたちはフィリップさんを見習って、もっと頑張った方がいいんじゃなーい?……フィリップさんの仕事を助けてあげるためにも。」
アレン達を揶揄いながら、最後に「俺のため」なんて言葉を添えるイザベラさん。
それを聞いたアレンは、
「そうなんだよコイツ!若手で一番の出世株!将来有望!超有能!
……だからさ。フィリップにはいつか絶対、僕たちよりも幸せになってほしいんだ。」
って、一口酒を飲みながら、笑ってイザベラさんに返していた。
…………そんな風に同僚達に思われていたなんて。
知らなかった。……初めて聞いた。
俺はそのアレンの一言で、完全にその日の後悔の念を吹っ切った。
◇◇◇◇◇◇
俺は初めて同僚達と酒場に行って以降、一人でもちょくちょく、夜遅くにそこに行くようになった。
喫茶シャンテのアルバイトが終わってから。
たしかに、息抜きもちょっとは必要だよなって。そう思いながら一杯だけ酒を飲みに行くようになった。
俺が母さんみたいに潰れたら元も子もない。
これは母さんへの裏切りじゃなくて、むしろ母さんのためなんだ。
俺が頑張り続けるためにも、母さんに当たり散らさないためにも。酒は必要なものなんだ。
そうしてだんだん常連になっていった酒場。
……そこには、よくイザベラがいた。
「うーん。そのフィリップの『お母さんを支えるために息抜きをするんだ』っていうの、すっごく偉いし尊敬するなーって思うけど。
でも、ごめんね?……私は好きじゃないな。フィリップのそういう考え。」
「……は?」
何度もたまたま会って一緒に飲んで、だんだん気さくに名前を呼び合える「知り合い」程度になってきた、ある日。
イザベラにそんなことを言われて、俺は思わず彼女を睨んだ。
今までは、ずっと周りに「フィリップは偉い」「尊敬する」しか言われたことがなかった。医者にも、看護師にも、上司にも、喫茶店の店主にも牛乳配達のアルバイト仲間にも、最近ようやく話せるようになってきたアレン達──事務局の同僚達にも。皆にそう言われてきていた。
だから、俺は「頑張ること」こそが母さんのためになるんだと思っていた。
これこそが、大好きな母さんへの恩返し。これこそが、一人息子の俺の「あるべき姿」なんだって。
……だから、それを堂々と否定してきたイザベラに、一瞬ものすごく腹が立った。
でもイザベラは、苛ついた俺の声を聞いて、優しく俺に微笑んだ。
「ねえ。フィリップのお母さんってさ、元気だった頃はどんな人だったの?
そんなにフィリップのために頑張り続けてくれたってことは、お母さんはこう思ってたんじゃない?
『愛する息子が幸せになってくれるのが、私の一番の幸せだよ』って。
フィリップのお母さんって、そういう優しい人なんじゃない?
……私はそう思ったな。今までのフィリップの話を聞いてて。」
そして、思わず呆気に取られていた俺に、イザベラは最後にこう言った。
「お母さんのために頑張るのもいいんだけど、フィリップはもっと自分を大切にしなくっちゃ。
大切なお母さんのためにも。ね?
──フィリップだって、自分の人生を楽しんでいいんだよ?」
……………今振り返れば、浅すぎるペラッペラな言葉だった。
ずっと俺と一緒に仕事をしてきてたアレン達や店主、配達仲間たちの方が、よっぽど俺に気を遣ってくれていた。
4年間ずっと俺が看病し続ける様子を見守ってくれてた病院の人達の方が……よっぽど、俺を分かってくれていた。
たかが酒を飲む場でちょっと話したイザベラが、
夜も毎日のように遊び呆けて知り合いに奢り奢られを繰り返して、ろくに貸し借りした金の清算もしないイザベラが、
酒一杯の金払いにも葛藤してた俺の気持ちなんか、分かるわけないってのに。
でも、俺は女慣れしてなかったから。
多分俺はすでに、だいぶ……参ってきてたから。
俺はイザベラの「本音」を見抜けなくって、そのイザベラの言葉に無駄に感動して──……酒が入っていたその日に、イザベラと「恋人」になった。
俺は家の引き出しの奥に瑠璃透黒蝶の毒の薬瓶をしまって、代わりに恋人を頼るようになった。
俺はそうやって、新しい「お守り」を手に入れた。
◇◇◇◇◇◇
俺が就職して4年半。
──ついに母さんが、力尽きて息を引き取った。
母さんが死んだのは、夜だった。
俺はその日、例によってベラと彼女の家で会っていたから、母さんの危篤の知らせを受けられなくて、最期を看取ることができなかった。
俺は後悔して泣いたけど、ベラは優しく「大丈夫だよ。フィルは今まで本当によく頑張ったよ。お母さんだって、フィルに感謝してたはず。これからはお母さんの分まで、フィルがいっぱいいっぱい幸せになればいいんだよ。」って、俺を慰めてくれた。
……そうだ。ベラの言う通り。これからは俺は「自分の人生」を生きよう。
俺はようやく……やっと、重荷から解放されて「自由」になれたんだ。
俺はそう思った。
そして俺は母さんの死をなんとか受け入れてから、自分の人生について何週間もかけてじっくり考えて──事務局の仕事を辞めることにした。
「俺、いろいろ考えてみたんだけどさ。これからは自分の好きなことに、思い切って挑戦してみたいんだ。
──だから、事務局を辞めて、本格的に喫茶店の店員になる。
これからは店主のもとで修行して経営のこととかも勉強して──それで、いつか閑静な地方で、自分の店を開きたい。
……まあ、そんな『自分の店を持つ』なんて先のことはまだ分からないけど。
でも、とにかく俺はこれからは喫茶店で働く。
今まで忙しく仕事ばっかりしてきたせいかな?俺、のんびりとした時間ってやつに、すごく憧れがあるんだ。
誰かの憩いの場を作れる仕事。心温まる飲み物と美味しくて洒落た軽食で、笑顔をたくさん作れる仕事。……これからは、俺はそんな仕事をして生きていきたいんだ。」
「……えっ?」
ベラに自分の決断を伝えたとき。
俺の言葉に驚いて、ベラは俺を心配してきた。
「えっ?……ねえ、フィル。それ……ちょっともう一度、ちゃんと考え直したら?
だってフィルは誰もが憧れる王立機関の職員で、しかも難関資格まで持ってて、将来『出世確実』なんでしょ?今までそんなに頑張ってきたのに、いきなり全部捨てちゃうなんて、そんなの勿体無さ過ぎるよ。
喫茶店の店員になっちゃったらお給料だってガクッと下がっちゃうだろうし……そうしたらフィルの生活が、これから大変になっちゃうよ?」
「ははっ、大丈夫だよ。
今までだって自分の生活費なんて、アルバイト代だけで充分間に合ってたから。少しくらい給料が下がったって、何の問題もないって。
僕はもともと母子家庭で、裕福な生活なんてしたことなかったし、質素な生活には慣れてる。事務局の仕事は、まあ……母さんのために続けてきてただけで、もともと趣味じゃなかったし。」
僕はそう答えた。
……馬鹿だった。気付けなかった。
ベラは、「僕を」心配してたんじゃない。
アイツは、「僕の収入」を心配して、それでガッカリしてたんだ。
──……王立機関職員の「アレン」と「フィリップ」。
最終的にイイ方を取ろうと思って「二股」をして、ずっと「吟味」してただけだったんだ。
僕が、母さんのために仕事を三つ掛け持ちしてたように。
ベラは「より勝ち組になれる結婚」のために、アレンと僕……男二人を掛け持ちしてたんだ。




