平民生まれの泥被れ聖女、王太子に求婚されました。 ~なぜか王太子と結ばれるはずの正ヒロインまで落としてしまった件~
この世に蔓延る穢れや魔を払う聖なる力——聖導気。
その聖導気の使い方を学ぶための公的機関、『聖女学校』の教室のドアを、ドロシーは開けた。
それと同時にバフッ、と頭に柔らかい感触。
白く舞い上がるチョークの粉。
粉に塗れたドロシーの姿を見て、くすくすと、上品ではあるが意地の悪い笑い声を漏らす令嬢たちの姿があった。
「あらあら、誰が仕込んだのかしら、可哀そう。まあ、『泥被れ』の黒い肌が、程よい色合いの肌なったのではなくて?」
一人がそう言って笑い声をあげると、その取り巻きたちが後に続くように笑い声を強めた。
周囲の令嬢たちは、同調して笑ったり、気まずそうにやり取りを傍観したり。
割合で言えば、6:4といったところか。
だが、粉を被った当人は、周囲の反応に対して余裕そう——どころか、にやりと邪悪な笑みを浮かべている。
「——ええ。あなたたちのおかげで、ほどよい色の肌になれました」
畏まって会釈するドロシーは、屈むふりをして鞄の中に手を伸ばし、
「——それでは雪のように白いあなた方は、泥にまみれてみてはいかがでしょう?」
取り出した瓶の中身を、笑う聖女たちに向かってぶちまけた。
中には研究中の、虫や微生物をふんだんに混ぜ込んだ、泥の肥料が詰まっていた。
白いドレスのような制服に、ミミズや土虫が張り付いて、阿鼻叫喚が教室から巻き起こる。
「へ、平民風情が私たちになんてことをするんです?!」
「ばーか! 先に喧嘩を打ったのはそっちだ! 気に食わないなら全員纏めてかかってこいや高慢ちきども!」
令嬢たちは声を荒げるが、詰め寄るドロシーから逃げるように後ずさる。
それをみてドロシーは「あらあら、皆さまどうして逃げるのです?」とわざとらしいお嬢様言葉になって、ケラケラ笑いながら距離を詰めていく。
数にして1対5。数的有利は向こうだが、誰がどう見ても追い詰めているのはドロシー側だ。
令嬢たちが泣きそうになったところで、「お静かに!」と入口の方からピシャリと雷が落ちる。
「朝礼の時間です。皆席に着きなさい。それから、そこの者たちは昼休みに職員室へ来るように」
担任の女性教師が静かに、それでいて鋭く場を制す。
涙目になる令嬢たちに、「命拾いしたな」と小さく言い残し、ドロシーは自分の席に着いた。
ここは聖導気を扱える女性——聖女たちが通う聖女学校。
聖女の力は基本的に遺伝で継承され、そこに通う令嬢たちは大体が貴族出身だ。
そんな中、突然変異的に聖女の力が覚醒した『泥被れ』こと、ドロシーは、平民出身の聖女だった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「つまり……先に諍いを持ち込んだのは、あなた方。それに応じたのはドロシーということでお間違えないですね」
「はい」
「「「「「……はい」」」」」
昼休みの職員室。
やり取りを見ていた生徒たちから、事情を聴き終えた担任の教師は、騒ぎの渦中にいた本人たちに、間違いが無いか確認をする。
皆が同意したのを見て、教師はまずは令嬢たちを静かに刺した。
「聖導気で民を救う聖女とあろうものが、生まれで差別を行うなど何事です。高貴な血筋をひけらかす前に、一人の聖女として、あるべき姿や責任を自覚なさい」
「「「「「……」」」」」
非の打ちどころがない正論で釘を刺され、うなだれながら令嬢たちは去った。
へへ、ざまあ。随分と惨めなこと。
くたびれた背を見てニヤつくドロシーに、「あなたもです」と雷が落ちた。
「差別に屈しない姿は賞賛に値しますが、行き過ぎた報復は控えるように」
正論が向こうに跳ぶなら、こっちにもだ。
返す言葉がなくなり、ドロシーも「すいません」と素直に反省の意を示して頭を下げた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
職員室から出てくるドロシーに、見目麗しい、穏やかな空気を纏う聖女が話しかけてきた。
「ドロシー。もうお説教はすみまして?」
開幕から耳が痛い話題だが、当の本人に全く悪気はない。直に話題に触れるのも、素直な心配からだろう。
フワフワの銀髪が似合う、人形のようにかわいらしいこの聖女はリリイ。
ドロシーを養子に迎え入れた貴族の一人娘である。
「また諍いに巻き込まれましたの? お誘い頂けたなら、あなたの味方をしましたのに」
「何がお誘いだ。舞踏会じゃないっつーの」
すこし抜けた言葉に、ドロシーが笑う。
「養子とは言えども、あなたはシルヴァライト家の大切な家族。何かあったときは、必ず家を頼ってくださいね?」
聖女の力を宿すとは言え、貴族御用達の聖女学校に、何で自分のような生まれの者が通えているか。
それは、このリリイという令嬢が住まう、由緒正しき有力貴族——シルヴァライト家に拾われたからだ。
ドロシーの生まれは、王都から離れた場所にある、瘦せた土地の農村だ。
地方の村に、平民のくせに大きな聖導気を身に宿す聖女がいる。
そんな噂を聞きつけたシルヴァライト家が、飢えで苦しむ村を養う代わりに、聖女として自分の家に尽くすよう求めてきたのがきっかけだ。
その身を売られた形だが、ドロシーにとっては願ったりかなったりだった。
シルヴァライト家のおかげで、故郷の家族たちが食いっぱぐれずに済むし、聖女学校には貴重な書物が沢山あり、痩せた土地でも作物を育てる方法が好きなだけ学べる。
だが、ここは貴族の住まう場所。平民の娘が同じ場所に立つことを良く思わない者もいる。
授業の合間で土をいじるドロシーに、あの手この手の嫌がらせが飛んできた。
これで折れるような心の持ち主なら、この物語はここでしまいなのだが、ところがどっこい。
この農作業で日に焼けた聖女が、その身に宿していたのは、どんな場所でも図太く生き抜く雑草魂と、男に一歩も引けを取らない負けん気の強さ。
嫌がらせを真正面から返り討ちにしているうちに、彼女を咎める者と、陰ながら支持する者に、聖女たちの派閥が2分することになる。
これだけ目立てば、あれやこれやと蔑称も生まれてくる。
農民、平民。なんてものは当たり前として、そばかすが少し混じった、地味目の顔つきから『(そば)カス聖女』だの、鋭い目つきや細い体つきを見て『ガラの悪い鳥ガラ』など、割と好き放題言われている。
言われっぱなしではなく、流石にラインを越えた蔑称を言った奴は正面からとっちめた。
忌みと蔑みを顕にしながら、ギリギリドロシーに懲らしめられない絶妙なライン。
それを突き詰めて辿り着いたあだ名が『泥被れ』である。
屋敷の屋根の下で育ち、白い肌の聖女の中で、日に焼けた黒い肌と、いつも肥料の研究で土をいじっている様から付いた蔑称だが、このあだ名が嫌いなわけではない。
農村の生まれで、肥料の研究をしている身としては、泥を被るのは誇りでもある。
ドロシーはそんな感じで、差別に巻き込まれながらも平然と暮らしているのだが、同じ家で育つリリイは、彼女のことが心配らしい。
二人並んで廊下を歩く中、窓の外で何かが下に通り過ぎ、中庭を流れる水路に、ぼちゃんと鈍い音が響く。
何事か、とリリイとドロシーが窓を開けて下を覗くと、
「私のカバンが……」
浅い水路に、リリイの通学鞄が浮かび上がり、教科書や筆記用具が水浸しになってしまっていた。
ドロシーの境遇を心配する理由はただ一つ。
リリイはドロシーとは別の差別に苦しむ者だったからだ。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「教科書貸してみ。こっちの方が日当たりいいぞ」
「……はい」
空き教室の窓際で、濡れた教科書と鞄を乾かすドロシーとリリイ。
自分はともかく、なぜ育ちの良いリリイがいじめの対象にされるのか。
理由は2つ。
まず一つは、位の高い家に生まれておきながら、聖女としての力の目覚めが悪いからだ。
聖導気は聖女が生れながらに宿す術式により、その顕現のされ方が変わる。
ある者は聖導気を魔物を払う剣に変え、ある者は汚れた空気を浄化する浄化魔法に使用する。
ドロシーの術式は、穢れた土地や魔物を払う道具を生み出すものだ。
一方でリリイは、怪我や病気を癒す、『癒し』の術式を授かったものの、その力が弱く、十分に発現できていない。
聖導気をもって民を救う、聖女としての役目を十分に果たせていない。
生まれは良い癖に、相応の力を発揮できていないことが、差別の要因だ。
聖女の役目を果たせなくては、家名に傷がつく。
聖女を抱える家としての役割を全うするために、ドロシーは養子として買われたのだ。
そして2つ目。そんな聖女として落ちこぼれているリリイだが、そんな彼女に、この国の王太子からの縁談話が舞い込んでいるということだ。
シルヴァライト家は代々優秀な聖女を輩出してきた家系。
そんな聖女の遺伝子を国に残そうと、シルヴァライト家は代々、王族たちと婚約を結び、聖女として位を保ってきた家柄だ。
故にシルヴァライト家の娘には、聖女としての義務と、王子の嫁ぎとして、優秀な遺伝子を持つ男児を生み、国に優秀な聖女の遺伝子を残す義務がある。
まだ力はないが、リリイもその血筋を持つ者。
そんな彼女に、王太子からの縁談話が持ち上がることを良く思わない者もいる。
穏やかな性格の彼女は、ドロシーのように理不尽に歯向かいはしない。むしろ、自分の弱さが引き起こしている事態だと、自責の念に囚われていた。
暗い顔で、鞄を干す彼女を見て、ドロシーが顎をクイッと引っ張った。
「ふえっ?!」
「どうせ、またつまんねえこと考えてたんだろ?」
下を向く顔を、優しく、それでいて力強く持ち上げて、強引に自分の目線に合わせる。
自分を見つめる、男勝りな鋭い目つきに、リリイが顔を赤く染めて高い声を上げた。
「くだらねえ真似する奴らなんか気にすんな。水浸しになる前から、リリイの教科書ページよれてたぜ? そんぐらい頑張って努力してんだ。優秀な血筋なんだろ? リリイの努力に必ず答えてくれるさ」
「ドロシー……」
「そんで、聖女としての力が顕現したら、今まで馬鹿にしてきた奴らをボコボコにのめしてやりゃあいい!」
邪悪に笑うドロシーに、「どんな時でもお痛はだめですわ!」とリリイが人差し指を突きつけた。
嗜める元気が戻ったのを見て、ドロシーが優しく笑って教科書を、窓から差し込む日の光にかざす。
輝く日差しが差し込む教室で、濡れた教科書を眺めながら、二人は他愛もない会話を続けた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
聖女学校で過ごすある日のこと。
放課後になり、屋敷に帰ろうとしたところで、黄色い歓声が校門の方で上がっている。
「何の騒ぎ?」
「あ、ドロシー様! 学校にアルフレッド王太子様が来られましたのよ!」
話しかけたのはドロシー親衛隊(非公式)の聖女の一人。
彼女は小さく耳打ちしながら、視線で黄色い声の原因を示した。
ははーん、あれが噂の王太子様ね。
話には聞いていたが、生で見るのは初めてだ。
人目を惹く煌びやかな金髪に、すこし中性的な、見る者を魅了する整った顔立ち。
まるでおとぎ話の中から飛び出してきたような綺麗な王子様に、こりゃあ黄色い声も上がるわなあ、とドロシーが感心して頷いた。
聖女たちの声に、にこやかに手を振って、一人一人丁寧に返す。
ファンサを丁寧に行うあたり、人格は悪くはなさそうだ、と勝手に推測する。
そんな中、ドロシーの姿を見つけたアルフレッドが、にこやかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
迫る王太子に、ドロシーと周辺にいた聖女たちが、スカートの裾を持ち上げて頭を下げる。
「もしかして、あなたがドロシー聖女ですか?」
「はい。お初にお目にかかります。アルフレッド様」
「こちらこそお会いできて光栄です。よくリリイからお話を聞いていたので、一度お会いしたいと思ってましたから」
どうやら人の知らないところで、自分のことを話しているらしい。
学校の噂は良いものだけではないので、余計な話も伝わっていなければいいが。
「良く、楽しそうに話されていますよ。優秀な聖女でありながら、殿方のような気品を纏う、かっこいい令嬢様であると」
おいおい。婚約者を前に、たとえ異性でもかっこいいとか言っていいのかよ。
リリイの処世術の拙さに冷や汗が流れるも、幸いにも向こうは世間話の一環として、好意的にとらえているらしい。
「今日はリリイ様と茶会でしょうか」
「ああ、今から応接室でね。機会があればまたお会いしよう」
笑ってその場を去ったアルフレッドの背を見て、良い男じゃんと安心する。
内も外も良いのなら、リリイの嫁ぎ先としても安心だ。
がんばれリリイ。応援してっぞ。
リリイの顔を思い浮かべ、心の中でエールを送るも、それと同時に、アルフレッド様相手にうまく仲を取り持てているのかが無性に気になりだしてしまう。
人は良いが危なっかしいリリイのことだ。妙な真似などしていなければいいが。
その日、リリイの様子が気になったドロシーは、失礼を承知で、茶会が行われる応接室のドアの隙間から、二人の団欒の様子を見守ることにした。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
そして、その日の夜。
「反省会」
「ななな、なんですのドロシー?! いきなり呼びつけて正座なんてさせて?!」
自分の寝室にリリイを呼びつけて、床に直に座らせる。
混乱しながらも律儀に従うリリイに、ドロシーが指を突きつけた。
「王太子と良い雰囲気になった瞬間があったろ。キスされそうになったところ」
「ふえっ?! なんでそれを知ってるのです?!」
「それはさておけ」
「さておけませんわ?!」
「ともかくだ。何でいい感じのムードになったのに、ふざけた顔でキスを待った?」
「ふ、ふざけてなどいません!」
リリイの反論に、「ほー」と見透かしたような、呆れたような視線を投げる。
「じゃあ今、あの時と同じキス待ち顔できる?」
ドロシーの問いに顔を赤くした後、リリイは「わかりましたわ」と小さく息を吐いた。
目を閉じ、綺麗な形のリリイの瞼がくっきりと閉じ、長いまつ毛が白い肌を背に良く映える。
柔らかな顔で目を閉じるリリイの顔に、心が動かない殿方はいないだろう。
……問題なのは、顔の下半分。
「んー……っ♡、——って、あいったああ?! 何で唇を叩くのです、ドロシー?!」
「何でもくそもあるか! タコみてえに唇突き出して! にらめっこしてんじゃねえんだぞ?!」
ひょっとこのように唇を突き出してキスを待つリリイに突っ込んだ。
お前の顔見た王太子の困惑顔、直に見せてやりたいぐらいだった。
面の良いタコに、やるせなしに唇を重ねた王太子があまりに浮かばれない。
「ったく、せっかくいい顔してんのにもったいねえ。……肩の力抜けよ」
「へ?」
涙目になって唇をさするリリイの肩に手を置き、真剣なまなざしになったドロシーがゆっくりと迫る。
男気と自信に満ちた瞳が、視線を合わせながらゆっくりと迫る。
「ふえっ……?!」
思わず強張る体に、「力抜いて」と小さく語り掛けるドロシーの息が、唇を温かく、優しくなでた。
リリイが目を閉じ、されるがままに柔らかい唇を無防備に構え、ドロシーの接近を待つ。
そして、
ドロシーが息のかかる距離で、自分の唇を鳴らし、女性の顔になったリリイを見て、「その顔だよ」と不敵に笑った。
「やればできんじゃん。……なんでしなかった?」
バクバクと跳ねる心臓が、ドロシーの問いできゅっと縮まる。
わざとムードを壊したことは見抜かれていた。
「……だって、私は、お飾りの聖女ですから」
自分を下げるような告白に、ドロシーがピクリと眉をひそめた。
「……優秀な血を持つだけの、力を持たない聖女です。家の務めもあなたに担わせて……そんな私が、あのような素晴らしい方と結ばれていいはずがありませんわ」
暗く沈んだリリイの様子を見て、「ふーん」とドロシーがおどけて笑った。
「あの王太子様。血筋だけ見て縁談を申し込むような屑だったのか」
「そ、そんなことありません! 彼は人格も素晴らしい殿方です!」
慌てて否定したリリイに「だろ?」とドロシーが笑みを見せる。
「血筋もあるけど、向こうだってリリイの人となりを見て、縁談を申し込んでも良いなって思ったんだろ? 余計な事考えなくていいんだよ」
ぶっきらぼうながら優しい言葉に、リリイの涙腺がじんわりと緩んだ。
嬉しさと無力感から泣きだしそうになったリリイに、ドロシーが目に溜まった涙を人差し指で拭う。
「……どうすれば、あなたみたいになれますか?」
気づけば、震える声でドロシーに尋ねていた。
いつだって堂々としているドロシーと比べて、自分はいつだって自分に自信がない。
ドロシーと比べて、聖女としての務めも果たせない。
それなのに血筋だけで王太子との縁談話が持ち上がって、周囲からやっかまれるのも当然だ。
何か、自信が欲しい。自分で自分を肯定するための自信が。そのための聖女としての力が、実績が。
思いつめるドロシーに、真剣なまなざしでドロシーが向かい直る。
「私はさ、平民だった時も、聖女学校に通う今も、故郷の家族や世話になった人たちの為に頑張りたいって思いは変わらない」
優しい声色で語り始めたドロシーに、リリイが静かに顔を上げた。
「リリイが今抱える悩みとか、どうなりたいかっていう願いってさ。仮に平民に生まれたとしたら、なくなっちゃうものなの?」
その問いかけに、リリイは答えることができなかった。
自分の思いもよらない角度から、頬を優しく叩かれた気持ちになる。
少しだけ力強く目が開いたのを見て、ドロシーが優しく笑う。
「どんな身分になったって、私は私の頑張りたいことを頑張ってる。うまく行くことばっかじゃないけど、それに向かって真っすぐ努力すりゃあ、成功も失敗も等しく糧さ。変わらない、ずっと抱えていたい思いを見つけることが、自信をもつきっかけになるんじゃない?」
なんて、柄にもなく改まった話をしすぎたか。
今度は上手くキスしろよ。と意地悪に耳元で囁いて、ドロシーは肥料の研究の為、屋敷の庭にある、自分専用の畑の方に向かっていった。
ドロシーが消えた後、何度もドロシーの言葉を反芻しながら、温かい息のかかった唇に、リリイは白く細い指を重ねるのだった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
聖女学校の校門の前に、ドロシーとリリイを含む、何人かの聖女が集められた
その聖女たちの前に立ち、改まった様子で皆を一瞥するのはアルフレッド王太子だ。
「これより、魔素に汚染された地域の浄化に向かう。聖女であるあなた方の力を、民の為に振るって頂きたい」
「「「「はっ」」」」
アルフレッドの言葉に、横一列に並んでいた聖女たちが敬礼をする。
魔素、というのは聖導気と対を成す悪しき力。その元素。
生き物たちの負の感情から生成されるそれは、過度に溜まれば、大地の腐敗を引き起こしたり、生き物に纏わりついて魔物に変貌させたりなど、ありとあらゆる厄災を世界に引き起こす存在となっている。
魔素を消せるのは、聖女の持つ聖導気だけ。
魔素が多く溜まった地域を浄化することは、聖女たちの大きな仕事の一つだ。
「……最近、このように聖女を派遣することが増えましたわね。それだけ魔素が溜まることが増えているのでしょうか?」
「発生頻度は変わらんよ。派遣頻度が増えているだけ」
4人乗りの馬車に揺られながら、耳打ちしたリリイにドロシーが小さく返した。
「少し前まで、聖女を派遣するのは取り返しがつかなる少し手前位のことが多かった。アルフレッド様が王太子になってから、穢れの初期症状の内に処理することが増えた。聖女からすりゃあ仕事が増えて大変だけど、その分平民は助かっている。アルフレッド様の配慮のおかげだな」
穢れを管理し、聖女を派遣するのも公共事業。金が要る。
それを渋っていた前王太子の時は、状態が悪化するまで、痩せた土地は放っておかれる事が多かった。
今向かう場所も、とある離れの農村。昔なら見捨てられていた場所。
アルフレッドに王太子が変わってからは、そのような場所は減っている。
加え、現場に自ら赴いて、現地の事情を調査しようというのだから、本当に民思いの良き王太子だ。
「……あらやだ、そんなことも知らなかったのですわね」
「これだからお飾りの聖女は……」
小声で話したが、鈴が鳴るようなリリイの声は良く通る。
目の前で意地の悪い笑みを浮かべる聖女たちにも聞こえていたらしい。
リリイが顔を見て、体を委縮させたのを見るに、リリイいじめの主犯の聖女たちのようだ。
「……あなたたちは、知ってたんです?」
ニコニコと愛想の良い顔になったのが逆に気味が悪かったらしく、ドロシーの顔を見て二人は逆に委縮した。
ドロシーの質問に視線を逸らすあたり、向こうも知りはしなかったらしい。
顔覚えたぜ。学校帰ったら覚悟しとけよ、このあばずれ共。
ドロシーが放つ和やか(凶)な空気に包まれながら、馬車は農村に到着した。
「「う……!」」
土地に辿り着くなり、立ち込める死体が腐ったような香りに、いじめの聖女たちが眉をしかめ、絹のハンカチを口に当てる。
土から発生する腐敗臭。靄のように黒く立ち上る魔素の霧。
どれも穢れの初期症状。
大げさに匂いなんか気にしてんじゃねえよ。現場慣れしていないお昇りだってバレるだろうが。
内心で毒づきながら、ドロシーは表情を変えずに馬車を下り、アルフレッドの後を追って外へ降りた。
リリイも一瞬だけ眉をしかめたが、すぐに表情を整え平然を装って外に出る。
村の長から穢れの状態を聞き終えたアルフレッドが、ドロシーたちに指示を出す。
「さっそく穢れの浄化にあたってくれ。二人は土地の浄化。リリイは穢れに侵された者たちの治療。ドロシーは浄化を行いながら周辺の状態を調べて欲しい」
「「はい」」
「「……はい」」
いじめの聖女たちが土の穢れを癒す間、リリイが穢れに触れて体調が悪くなったものたちの看護に回る。
ベッドで気持ち悪そうに横たわる者たちに、『癒し』の術を試みる。
淡い光に照らされ、ほんの少しだけ、苦しむ者たちの表情が和らいだ。
「あの程度なら大丈夫か」
窓の外から見届けてから、ドロシーは周辺の調査にあたる。
リリイの血が本来持つ力であれば、一瞬で直せていないといけないのだが、貢献度が0でなければ、聖女としての経験は積める。
腐った土に涙目になっている雑魚二人よりは役には立っている。
そんなことを考えながら調査をしていると、あるものを見つけたドロシーが、すぐさまアルフレッドを呼びつけた。
「これ、なんでしょうか」
「……」
ドロシーが示した痕跡に、アルフレッドの顔が険しいものになる。
示したのは、畑にある巨大な穴。
直径3mはある大穴が、村のはずれにあった畑に大穴を開けている。
周辺の腐った地面も、巨大なモグラに荒らされたように不自然に隆起していた。
「今回の任務、魔物はいないと報告を受けていましたが」
「ああ。……しかしこれは」
ドロシーを除き、見習いの聖女たちの場数を踏ますために用意された任務だ。
土地の浄化と、村の救済という、聖女としてはレベル1の初歩的なミッションのはずだった。
だが、魔物の討伐となれば話は変わる。これは聖女の中でも戦闘経験と場数を踏んだ、上級の聖女たちで挑まなければならない、命の危機が絡む危険な依頼。
「民と、見習いの聖女たちを避難させましょう」
「そうだね」
そう提言し、アルフレッドも頷いたとき、村の方で大きな悲鳴が上がった。
悲鳴の方へ反射的に飛び出すと、村を襲っていたのは、ミミズのように唸る、大きな巨体を持った環形動物のような魔物。
「……デスワームか!」
蛭のような大きな口と、岩盤をも食い破る、鋭く頑強な歯を無数に持つ魔物。
全長10mはある巨体から想像できない俊敏な動きで地中に潜り、死角から致命の一撃をくらわしてくる、熟練の聖女でも手を焼く危険な魔物だ。
見習いの聖女たちでどうにかできる相手ではない。
連れてきた二人は混乱する住民たちを置いて我先に避難してしまっている。
リリイだけが恐怖と混乱の中、冷静に村人たちの避難誘導をしていた。
「リリイ! ケガ人連れて下がりな!」
「ドロシー!」
ドロシーが体内の聖導気を手に集中させ、輝くクワとして顕現させ、デスワームの巨体を横から抉った。
不格好な武器だが、農村生まれのドロシーからすれば、一番手になじむ武器としての形だ。
ドロシーの登場にリリイが安堵の笑みを浮かべて、皆の避難に意識を集中させる。
自分の役割に徹するリリイを見て、「よし」と頷いてから、デスワームの前に立ちはだかる。
後は、自分がこいつを討伐すれば。
そう思った矢先、
「え——」
リリイの前に、別なデスワーム。
まだ発達前の小さな個体だが、顔面を食い破れる程度に口は大きい。
しまった。2体——
背後から感じた気配に、ドロシーが振り返ったときには遅かった。
リリイに迫る小さいデスワーム。
首から上を食い破ろうと、デスワームの口が大きく広がったとき、
「リリイ‼」
間に割って入ったアルフレッドの腕が、身代わりとなって食いちぎられた。
追いついたドロシーが小さなデスワームをクワで殴ると、血に塗れた腕が吐き出され、小さなデスワームは絶命する。
「アルフレッド様……。アルフレッド様……!」
「リリイ……、私よりも、皆の避難を……!」
断面から赤い血が流れ、見る見るうちに肌の色を失っていくアルフレッド。
直さなきゃ。直さないと。『癒し』の術で。
真っ黒になりそうな頭で必死に力を振り絞るも、傷口がふさがる気配はない。
歴代のシルヴァライト家の聖女なら、この程度の傷は再生していた。腕も治っていた。
うまくやらなきゃいけないのに。聖女として、この人を直さないといけないのに。
不安や自責が胸を溢れて、大粒の涙となって零れ落ちてくる。
どうしよう。
どうしようどうしようどうしようどうしよう。
顔を青くして、震えて膝を折ることしかできないリリイに、
「——余計なこと考えてない?」
あえて、いつも通りの調子で。
ドロシーがデスワームを抑え込みながら語り掛けた。
「私が聖女としての力に目覚めたときも、こんな風に、どうしようもないピンチの時だった。極限状態になって、自分がどうしたいか、どうありたいかギリギリで気付いて、今みたいな力が目覚めたっけなあ」
リリイが光のクワを振るい、デスワームを大きく弾き飛ばす。
一瞬できた隙を見て、リリイに向かって一瞬だけ振り返る。
「高貴な血に生まれなかったら、聖女でさえなかったら。村人とか、王太子様とか、助けたいと思わなかった?」
その言葉に、リリイの視界が一気に晴れた。
そうだ、違う。
家がどうとかではない。聖女だから助けなきゃいけないんじゃない。
私は私として、苦しむ人たちを見殺しにしたくない。
傷つく誰かを、私の力で救いたい。
あなたみたいに。ドロシーみたいに。
私。
あなたの信頼にこたえたい。
震えた瞼が、力強く開かれた。
奥の瞳が、決意に満ちた眼差しでアルフレッドの傷口を見据え、再び『癒し』の術を発動させる。
眩い輝きが世界を白く染め上げ、光が収まると、
「これは……」
意識と血色を取り戻したアルフレッドが、驚いた様子で、再生した自分の右腕を眺めていた。
「……! 私、やりましたわ! ドロシー!」
汗でぐしょぐしょに濡れた顔で、華やかにリリイが笑うと、ドロシーがニッと笑って親指を突き立てた。
リリイはやるべき仕事をやった。
となれば、あとは自分の番。
大地をえぐりながら、迫りくるデスワーム。
ドロシーは小さく息を整え、ありったけの聖導気をクワに集中させる。
「農家の生まれとしちゃあ、ミミズは歓迎したいところだが……」
ギラギラと眩い輝きを放つクワを、おおきく振りかぶって。
「人や土地を荒らすなら、ご退場願おうか‼」
流星のような一撃が、デスワームの体にさく裂した。
鋭い一撃は轟音と共に、デスワームの血と、穢れた泥を、噴火のように巻き上げた。
荒れ狂う戦場に訪れた静寂。
雨のように降り注ぐ泥の中で、クワを肩に載せ、ふうっ、と一息をつく『泥被れ』の姿がそこにあった。
「後片付けが忙しくなるなあ。……みんなで泥に塗れるか?」
デスワームの死体の上で、泥だらけの顔で笑うドロシーの元へ、リリイが駆け寄り抱き着いた。
「……君が話す以上に、素晴らしい人だったね」
そんな二人の様子を見て、アルフレッドが優しく笑い、皆で荒れた村の修繕にあたるのだった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
この一件で、聖女学校でのリリイの評価は一変した。
強い『癒し』の力を持つ聖女として、今後は引っ張りだこになりそうだ。
そんな彼女を『お飾り』呼ばわりする輩はもういない。
いじめの主犯たちも肩身が狭そうで、ドロシーとしては非常に心地が良い。その面をおかずに芋を1000本は食えそうだ。
——これからはリリイ共々、穏やかな学園生活が送れるだろう。
……そう安堵していられたのは、ほんの少しの間だった。
この件で、一変したものがもう一つ。
「シルヴァライト・ドロシー聖女。私はあなたを、第2王妃として王家に迎え入れたい」
「…………」
ある日、なぜかリリイと共に茶会に呼ばれたかと思えば、改まった顔で告げられた。
「……なにかの、ご冗談でしょうか」
頭でも打ったか、このボンボン。脳みそに穢れでも詰まってる?
そんな毒を必死に抑えながら、ドロシーが震える体で優雅に微笑むが、王太子の顔は真剣そのものだった。
「いや、僕は本気だ。あの日……聖女として皆を導く姿に感銘を受けた。生まれや身分なんて関係ない。真に尊い、誠の強さをあなたは持っている。そんなあなたに好意を抱いてしまった。どうか第2王妃として、私を傍で支えてくれないだろうか?」
まっすぐな瞳で返答を待つアルフレッドに、視線を合わせながらも、ドロシーの目の光が消えていく。
バカバカバカ。
隣に第一王妃がいる横で、縁談話なんか振るんじゃねえよバカ。
制度が許しているとはいえ、堂々と婚約者の前で別の愛人をこさえようとするんじゃねえよ。
受け入れても断っても——つーか断るけど! どっちにしたってリリイと気まずくなるじゃねえか!
リリイの拙い処世術で、どうして二人の仲が切れなかったのか、ようやく答え合わせができた。
恋愛に関しては、目の前の王太子も大概ぼんくらだ。
さて。さてさて。どう返したらよいだろう。
にこやかな笑みを保ちつつも、服の内側で冷や汗が滲むドロシーに、「だめですわ! アルフレッド様」とリリイが腕にしがみついた。
そーだそーだ! 嫁さんとして何とか言ってやれ!
浮気はダメですわ! とか言えば、この浮気ボンボンも目が覚めるだろ!
今はリリイが救世主に見える。
期待の眼差しを寄せたところ、リリイの言葉は斜め上に続いた。
「ドロシーは私の大切なお方です! いくら王太子様と言えども、私を差し置いて結ばれるなど許せませんわ!」
「……は?」
は。
は?
チョット、ナニヲイッテルノカワカラナイ。
固まるドロシーの顎をクイッと引き寄せ、リリイが蠱惑的な表情で、ゆっくりと顔を近づける。
「……あなたのおかげで、私。自分の本当の気持ちに気が付きましたの」
息がかかり、温度が届く距離まで、桃色のリリイの唇が近づいた。
そして、あの時の意趣返しと言わんばかりに、振れる寸前に、小気味の良い音を、リリイが唇で鳴らす。
「——ふえっ?!」
らしからぬ声と共に、反射でドロシーは身を引いた。
胸から頬へ。頬から耳へ、目元へ。体の熱が広がっていくのがわかる。
真っ赤な顔になるドロシーに、リリイは少しだけ頬を染めながら、優雅に微笑んだ。
「——私、縁談は、ドロシーより素敵な殿方を見つけてからにしますね?」
おい。
おい。
おいおいおい。
お前まで惚れてどーすんだ?!
真剣なまなざしで見つめてくるアルフレッド。優雅に微笑みながらも、熱い視線を投げてくるリリイ。
思わぬ流れで、妙な三角関係が出来上がってしまい、ドロシーの聖女学校での生活は、波乱万丈に満ち溢れることになると確定してしまう。
二人の人生に腕を引かれながら送る、ドロシーの奇妙な学園生活がここに始まるのであった。
ちょっと違う雰囲気の異世界恋愛風ファンタジーを書いてみました。
少しでも楽しんで頂けたとしたら幸いです。
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創作活動のモチベになります!
機会があれば別の物語や、続編でお会いしましょう。
それでは!




