1. 急襲
前回のあらすじ
・実家のつかの間の休息
窓の外には、春の光が柔らかく差し込んでいた。
療養施設の庭には、芽吹いた若葉が風に揺れ、遠くで小鳥の声が響いている。
ユリウスは、深く息を吸い込み、胸の奥に広がる緊張を押し込めた。
(――やっと、戻れる)
机の上には、丁寧に畳まれた制服と、学院から届いた案内状。
その隣には、一通の手紙――セレナからの返事。
「待ってる」という短い言葉が、何度も脳裏に浮かぶ。
指先で封筒をなぞりながら、ユリウスは小さく笑みをこぼした。
(学院祭までに必ず復帰する――約束したんだ。もう、あの日みたいなことは二度と起こさない)
護衛の声が、静かな部屋に響く。
「殿下、準備が整いました」
ユリウスは、制服の襟を整え、マントを肩に掛ける。
鏡に映る自分の姿は、まだ少し線が細い。
けれど、その瞳には、確かな決意が宿っていた。
「行こう」
低く呟き、扉を開ける。
外には、春の光を浴びた馬車が待っていた。
銀の装飾が淡く輝き、王家の紋章が風に揺れる。
護衛たちが整列し、ユリウスを守るように視線を巡らせている。
馬車に乗り込むと、車輪が静かに動き出した。
石畳を踏みしめる音が、規則正しく耳に届く。
窓の外には、王都の街並みが広がり、遠くに学院の塔が霞んで見えた。
(もうすぐ――あの場所に戻れる)
胸の奥で、期待が静かに膨らんでいく。
だが、その片隅に、言葉にならない不安が小さく芽を出していた。
(大丈夫。何も起きない、防いで見せる――そう信じたい)
馬車は、王都を抜け、フォルセの森へと続く道へと進んでいった。
春風が窓から吹き込み、銀の髪を柔らかく揺らす。
その風は、希望と――わずかな不穏さを、同時に運んでいた。
*
馬車の車輪が、乾いた土を静かに踏みしめていた。
フォルセの森が近づくにつれ、空気はわずかに冷たく、重くなる。
窓の外には、深い緑が広がり、木々の影が長く伸びていた。
ユリウスは、懐中時計を閉じ、視線を外に向ける。
(……もうすぐ学院だ。あと少しで――)
その瞬間、馬車が急に止まった。
車輪の軋む音が、耳に鋭く響く。
「……?」
ユリウスは、わずかに身を乗り出し、外を覗いた。
護衛の一人が、険しい表情で前方を睨んでいる。
「殿下、馬車の中でお待ちください」
低い声が、緊張を帯びていた。
ユリウスの視線の先――
道の中央に、黒い外套を纏った人物が立っていた。
顔は深いフードに隠れ、風に揺れる裾だけが、不気味な静けさをまとっている。
(……誰だ?)
胸の奥で、冷たいものが広がる。
護衛が一歩前に出る。
「何者だ。名を名乗れ」
その声は鋭く、剣の柄に手をかけていた。
だが――返事はない。
黒い外套の人物は、ただ静かに立ち尽くしている。
その沈黙が、森の空気をさらに重くした。
「答えろ!」
護衛が声を荒げ、さらに近づいた瞬間――
風が、低く唸った。
次の瞬間、護衛の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
鈍い音が、ユリウスの耳に突き刺さった。
「……っ!」
ユリウスの心臓が跳ねる。
何が起きたのか、目で追えなかった。
ただ、一撃――それだけで護衛が倒れた。
その時、どこからともなく低い咆哮が響いた。
獣の声――だが、普通ではない。
空気が震え、土が揺れる。
ユリウスは、息を呑む。
視線を巡らせると、いつのまにか異様に光る瞳が次々と現れた。
獣――獰猛化した獣たちが、群れを成してこちらを囲んでいる。
護衛の一人が、剣を抜き、叫んだ。
「殿下を守れ!森へ逃がせ!」
その声が、ユリウスの耳に鋭く響いた瞬間――
胸の奥で、恐怖が爆発した。
(逃げなきゃ――!)
護衛の手が、ユリウスの腕を強く引く。
「走れ!」
その叫びと同時に、剣戟の音と獣の咆哮が背後で交錯した。
ユリウスは、振り返らずに森の奥へ駆け出した。
足音が、湿った土を乱暴に踏みしめる。
息が切れ、視界が揺れる。
だが、止まれない――止まったら、終わりだ。
背後で、護衛の叫びが遠ざかる。
獣の咆哮が、森の静寂を切り裂く。
その音が、ユリウスの心臓をさらに締めつけていた。
(学院に戻るはずだったのに――どうして、こんなことに)
息が荒く、視界が揺れる。
枝が頬をかすめ、痛みが走るが、止まれない。
止まったら――終わりだ。
「殿下、振り返るな!」
護衛の声が、必死に響く。
その声に従い、ユリウスは前だけを見て走った。
だが――次の瞬間、背後で鈍い音が響いた。
振り返りたい衝動を必死に抑える。
(誰かが……倒れた?)
胸の奥で、冷たいものが広がる。
「殿下、こっちだ!」
別の護衛が、森の奥へと続く細い道を指し示す。
ユリウスは、足をもつれさせながらも、その道へ飛び込んだ。
木々が視界を遮り、光が細く差し込むだけの暗い森。
足音が、湿った土を乱暴に踏みしめる。
息が切れ、喉が焼けるように痛い。
背後で、獣の咆哮が近づいてくる。
その音が、耳に鋭く突き刺さる。
(追ってきている……!)
護衛の声が、再び響いた。
「殿下、走れ!私たちが食い止める!」
その言葉と同時に、剣戟の音が背後で炸裂した。
ユリウスは、振り返らずに走る。
胸の奥で、何かが崩れる音を聞いた気がした。
(みんな……)
その思いを振り払うように、足を前へと動かす。
森の奥へ、ただ必死に――。
どこへ向かっているのかも分からないまま、闇に飲み込まれていく。
*
森の奥は、まるで時間が止まったかのように静かだった。
息が切れ、喉が焼けるように痛い。
ユリウスは、湿った土を踏みしめながら、必死に足を前へと動かした。
(どこまで走れば……)
視界は暗く、木々が絡み合うように道を塞ぐ。
背後の咆哮は遠ざかったが、恐怖は消えない。
その時――
木々の隙間から、淡い光が差し込んだ。
視線を上げると、苔むした石畳と、崩れかけた屋敷が姿を現した。
「……屋敷?」
声は、かすれていた。
古びた壁、割れた窓、枯れた庭木。
まるで、何十年も前に時を止めたような空気が漂っている。
だが、その静けさが、今のユリウスには救いに思えた。
足を引きずりながら、屋敷の庭へと進む。
その時――視界の端に、黒い染みが映った。
地面に広がる、不自然な黒。
まるで、血が乾いて染みになったような跡。
胸の奥で、冷たいものが走る。
(……ここで、何があった?)
そして――その横に、誰かが立っていた。
銀髪が、淡い光を受けて揺れる。
制服の裾が、風にそよぎ、静かな影を落としている。
その姿を見た瞬間、ユリウスの心臓が強く脈打った。
「……クラリスさん……?」
声は、震えていた。
クラリスは、ゆっくりと振り返る。
赤い瞳が、驚きと安堵を宿してユリウスを見つめる。
「ユリウス様……どうしてここに?」
その声が、森の静寂を破り、ユリウスの胸に温かな光を灯した。
だが――その足元に広がる黒い染みが、二人の間に重い影を落としていた。
(ここで……何があったんだ?)
ユリウスは、息を整えながら、クラリスに一歩近づいていった。
あけましておめでとうございます。
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第7章第2話は1月13日(火)6時に更新予定です。
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