12. 安堵と不安と
前回のあらすじ
・一安心
・気になるので現場に行きます
・これ以上は難しい
学院の中庭には、秋の風が静かに吹き抜けていた。
紅葉した木々の葉がはらはらと舞い落ち、石畳の上に柔らかな色を添えている。
制服の上に羽織ったマントの裾が、風に揺れた。
クラリスは、講堂前のベンチに腰を下ろしていた。
(もうすぐ、今年も終わるのね……)
学院の塔の上には、薄曇りの空が広がっていた。
遠くからは、演習場で剣を交える音が微かに聞こえる。
その音に、クラリスはふと目を細めた。
(セレナも、ユリウス様も……無事に戻ってこれた。あんなことがあったのに、こうしてまた日常が戻ってくるなんて、少し信じられない)
セレナは、以前のように明るく笑うようになった。
けれど、時折ふとした瞬間に、遠くを見つめるような目をすることがある。
そのたびに、クラリスの胸は、きゅっと締めつけられるようだった。
(あの子は、きっとまだ……あの時のことを、忘れていない。でも、前に進もうとしている。私も、そうしなきゃ。来年からは、生徒会の仕事も本格的に始まる。制度の象徴としてだけじゃなく、学院を支える一人として)
彼女は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。
*
学院の講堂前には、秋の陽射しが柔らかく差し込んでいた。
紅葉した木々の間を抜ける風が、制服のマントをふわりと揺らす。
クラリスは、講堂の階段を降りながら、遠くに見慣れた姿を見つけた。
銀髪を揺らしながら、明るく笑う少女――セレナ。
その隣には、白金の髪を整えた少年――ユリウス・グランフェルド。
「姉様!」
セレナがクラリスに気づき、駆け寄ってくる。
その笑顔は、以前のように明るく、元気に見えた。
「おかえり、セレナ。……ユリウス様も」
クラリスは、二人の姿を見て、自然と微笑んだ。
ユリウスは、礼儀正しく一礼する。
「ご心配をおかけしました、クラリスさん。ようやく学院に戻ってこられました」
その声は穏やかで、以前と変わらぬ柔らかさがあった。
「本当に……よかった。そしてありがとうございます。セレナを守ってくれて」
クラリスは、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
セレナは、クラリスの手を握りながら言った。
「姉様、私ね、もう大丈夫。剣の授業もちゃんと受けてるし、ユリウス様ともまた一緒に勉強できるようになったの」
その声は明るい。けれど、クラリスは気づいていた。
その瞳の奥に、時折ふと影が差すことを。
(……笑えてはいる。でも、まだ消えていない)
クラリスは、セレナの手をそっと握り返した。
「無理はしないでね。元気になってくれたのは嬉しいけど、焦らずゆっくりでいいのよ」
セレナは少しだけ目を伏せて、そして頷いた。
「うん。……ありがとう、姉様」
ユリウスは、二人のやり取りを静かに見守っていた。
その瞳には、深い思慮と、どこか痛みを知る者の優しさが宿っていた。
「セレナは、強いです。僕も、彼女に負けないように頑張らないと」
ユリウスの言葉に、クラリスは微笑んだ。
「……二人とも、無理だけはしないで、でも前に進んでください。私も、見守っていますから」
風が吹き抜け、三人のマントが揺れる。
秋の空は高く澄み渡り、学院の塔が静かに見下ろしていた。
*
昼休み。
講堂前の広場には、生徒たちが集まり、ざわざわとした空気が漂っていた。
掲示板の前には、ひときわ目立つ新しい紙が貼り出されている。
《告知:年度末に運命力の再測定を実施します。対象:3年生、6年生。詳細は後日通達。》
クラリスは、昼食を終えた帰り道、広場のざわめきに気づいて足を止めた。
掲示板の前には、ロジーナが立っていた。
「クラリス様……見ましたか?」
ロジーナは、少し緊張した面持ちで振り返る。
クラリスは、掲示板の文字を見つめながら、静かに頷いた。
「……再測定。やっぱり、今年やるのね」
「はい。昨年まではやっていないようでしたが、今年から3年目と6年目に実施するという方針になったとか……」
ロジーナは、手元のノートをぎゅっと握りしめる。
周囲では、生徒たちが口々に不安を漏らしていた。
「また測るのか……前より下がったらどうしよう」
「入学したときは運命力80だったけど、今回はどうなるか……」
「制度って、数字がすべてじゃないって言ってたクラリス様は、どう思ってるんだろう」
クラリスは、その声を聞きながら、胸の奥に小さな波紋が広がるのを感じていた。
(私の数字が変わってしまったら、私はどう見られるのだろう。制度の象徴としての私が、揺らいだら……)
そのとき、背後から声がした。
「再測定か。面倒だな」
ルーク・ファルマスが、腕を組みながら歩いてきた。
「俺は変わらないだろうな。95は95だ。変わるとしたら、お前のほうがあり得るな」
彼は、クラリスの方をちらりと見た。
「……数字が変わることは、誰にでも起こりうるわ」
クラリスは、静かに答えた。
「でも、それがすべてじゃない。私は、数字だけで生きているわけじゃないから」
ルークは肩をすくめる。
「そう言えるのは、数字が高いからかもな。俺は、数字が下がったら、何も言えないからな」
その言葉に、ロジーナがそっと口を開いた。
「クラリス様は、数字がどうであれ、私たちにとっては……変わらないです」
クラリスは、ロジーナの言葉に微笑みながら頷いた。
「ありがとう。……でも、私も少し怖いの。数字が変わったら、周りがどう見るか。制度の象徴としての私が、どう扱われるか」
風が吹き抜け、掲示板の紙が揺れた。
その文字は、静かに、しかし確かに学院の空気を変えていた。
(でも、私は私。数字がどうであれ、私が選ぶ道は、私自身のもの)
そして、クラリスは掲示板を背に、ゆっくりと教室に歩き出した。
その背中には、少しの不安と、確かな覚悟が宿っていた。
*
数日後。
学院の最上階にある生徒会室には、秋の光が斜めに差し込んでいた。
窓辺のカーテンが風に揺れ、机の上には資料の束が整然と並べられている。
クラリスは、放課後、特別選抜クラスの面々と共に、生徒会室の扉をくぐった。
ゼノ、ミレーユ、カイ、ルーク、そしてレオニス――来年度から学院の運営を担う者たちの顔ぶれが揃っている。
「お待ちしていました」
副会長リュシア・フェンローズが、資料を手にして立ち上がる。
その表情は柔らかく、けれどどこか引き締まっていた。
「今日から、少しずつ引継ぎをしていきます。まずは、学院祭の報告書の整理と、来年度の行事予定の確認からです」
彼女の言葉に、クラリスは静かに頷いた。
「……いよいよですね」
ミレーユが、椅子に腰掛けながら言った。
「制度の象徴としてだけじゃなく、学院の顔にもなるなんて、責任重大だわ」
「俺は、書類仕事は苦手なんだけどな」
ルークが資料をめくりながらぼやく。
「模擬戦の企画とかなら、任せてほしいけど」
「それも含めて、役割分担していきましょう」
リュシアは微笑みながら、クラリスに視線を向ける。
「クラリスさんには、来賓への対応と制度や学院の広報をお願いする予定です。あなたの立場を存分に利用してほしい」
クラリスは、少しだけ目を伏せてから答えた。
「……分かりました。私にできることを、精一杯やります」
その言葉に、ゼノが静かに頷いた。
「俺は、警備と訓練関連を引き継ぐ。学院の安全は、俺が守る」
カイは、資料を手にしながら言葉を継ぐ。
「僕は、予算と制度運用の見直しを担当させていただきます。制度の安定には、数字だけでなく柔軟さも必要ですから」
レオニスは、窓の外を見つめながら、静かに言った。
「学院は、王国の縮図だ。ここでの経験が、未来の王国を形作る。だからこそ、制度の象徴としての振る舞いは、周りから常に見られている。我々全員が、だ」
クラリスは、その言葉にわずかに眉を動かした。
(見られている……そこに私の意志は関係ないということ)
リュシアは、資料を配りながら締めくくった。
「来年度の正式な任命は春ですが、今から準備を始めておけば、きっと良いスタートが切れるはずです。皆さん、よろしくお願いします」
「はい」
クラリスは、資料を手に取りながら答えた。
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