10. 悲劇の真相
前回のあらすじ
・セレナが演習へ
・演習で事件発生
王立ルミナス学院の医療棟の一室。
白いカーテンが揺れ、薬草の香りが微かに漂う静かな空間。
その中央のベッドに、セレナ・ヴェルディアが横たわっていた。
クラリスは、椅子に座ったまま、妹の顔を見つめていた。
セレナの瞳は開いているが、焦点は合っていない。
まるで、何かを見ているようで、何も見ていない。
「セレナ……聞こえる?」
クラリスは、そっと声をかける。
だが、返事はない。まばたきすら、反応が遅れている。
医療班の責任者が、カルテを手にしてクラリスの隣に立つ。
「反応はありますが、極めて鈍い状態です。外傷は軽度ですが、精神的な衝撃が深刻です。現時点では、聞き取りは困難です」
クラリスは、セレナの手を握った。
その手は冷たく、指先に力が入っていない。
「……ユリウス様が、庇ってくれたんですよね」
医療班は静かに頷いた。
「はい。殿下は現在、王宮の医療施設にて治療中です。命は取り留めましたが、意識はまだ戻っていません」
クラリスは、目を伏せた。
(ユリウス様が……セレナを守って……)
そのとき、学院長エルマー・グレイヴが医療棟に現れた。
彼は、静かにクラリスの隣に立ち、セレナの様子を見つめる。
「クラリス・ヴェルディア。制度の象徴として、あなたは多くのものを背負おうとしてきた。だが、今ここにいるのは、制度の象徴ではなく――ただ一人の姉だ」
その言葉に、クラリスは顔を上げた。
「私は……何も守れなかった」
声が震える。
「制度の中で、選ばれた者として生きてきた。でも、妹を巻き込んでしまったかもしれない……」
エルマーは、静かに言った。
「制度は秩序を守るためのものだ。だが、秩序の中で生きる人間の心までは、測れない。だからこそ、君のような存在が必要なのだ」
クラリスは、セレナの顔を見つめる。
「私は、制度の象徴としてではなく、姉として――この子を守らなきゃいけない」
その言葉は、静かに、しかし確かに医療棟の空気を変えた。
*
クラリスは、制服のマントを翻しながら、石畳の廊下を歩いていた。
その足取りは速く、けれど決して乱れてはいない。
(セレナにいったい……何があったの?)
妹の虚ろな瞳が、脳裏から離れなかった。
医療棟で見たセレナの姿――まるで魂が抜けたような、あの目。
クラリスは、訓練棟の奥にある副団長室の扉の前で立ち止まった。
深く息を吸い、拳を握りしめる。
「……失礼します」
ノックの音に応じて、扉の向こうから低く落ち着いた声が返ってきた。
「入って」
扉を開けると、そこには銀の鎧を纏い、深紅のマントを羽織ったレイナ・ヴァルシュタインがいた。
机の上には報告書の束が積まれ、彼女はその一つに目を通していた。
「クラリス。来ると思ってたわ」
「……教えてください。セレナの身に一体、何があったのか」
クラリスの声は静かだったが、その奥には怒りと不安が渦巻いていた。
レイナは書類を閉じ、椅子から立ち上がる。
「座って。話すわ」
クラリスは促されるまま椅子に腰を下ろす。
レイナは窓の外に目を向けながら、ゆっくりと語り始めた。
「今回の演習でセレナとユリウス殿下は、同じ班だった。そして演習2日目、模擬戦中に“事故”が起きた」
「事故……?」
「他の班が、彼らの班に奇襲を仕掛けた。模擬戦ではよくあることよ。ただ――」
レイナは言葉を切り、クラリスの目を見つめた。
「使われた剣に刃がついていた」
クラリスの目が見開かれる。
「模擬戦用の剣は、すべて刃を潰してあるはずです」
「そのはずだった。だが、一本だけ――本物の剣が混ざっていた」
クラリスは言葉を失った。
「セレナが狙われた。奇襲の中で、彼女に向かって剣が振り下ろされた。ユリウス殿下がそれを庇い、代わりに斬られた」
「……っ」
「本来であれば、軽いケガをする程度のはずが、殿下は、重傷を負った。だが、命は取り留めた。今は王宮の医療班が治療にあたっている」
クラリスは、拳を握りしめた。
「それじゃあセレナは……どうしてあんな状態に…」
レイナの表情がわずかに曇る。
「ユリウス殿下が血を噴き出して倒れたのを、目の前で見た。そして――」
「そして?」
「騒ぎを聞き、駆けつけた王国騎士団長が、その場で“加害者”の生徒の首をはねた」
クラリスは、息を呑んだ。
「模擬戦の最中に……生徒の首を……?」
「ええ。あの場にいた生徒たちは、皆、凍りついていたそうよ」
クラリスは、震える手を握りしめた。
「セレナは……その場にいたんですね」
「ええ。ユリウス殿下が倒れ、血を流し、そして目の前で人が殺された。……あの子が、あの状態になったのも、無理はないわ」
クラリスは、立ち上がった。
「ありがとうございます、師匠。……本当に事故だったんですよね」
レイナは、クラリスの背中を見つめながら、静かに言った。
「表向きは事故で処理されているわ。ただ、私もその場にいたわけじゃないから詳細は分からないけど、聞いた感じかなりきな臭いわ。何かが、動いてる」
クラリスは頷き、扉に手をかけた。
「私は、誰も失いたくない。セレナも、ユリウス様も」
そして、クラリスは静かに部屋を後にした。
*
王宮の一室。
重厚な扉が閉じられ、外の喧騒は完全に遮断されていた。
窓から差し込む光は薄く、部屋の空気は冷たく張り詰めている。
王妃エレオノーラ・グランフェルドは、金糸の刺繍が施された椅子に腰掛け、ワインのグラスを指先でゆっくりと回していた。
その瞳は、遠くの王立ルミナス学院の塔を見下ろしている。
「……報告を」
彼女の声は、静かでありながら、命令の響きを持っていた。
部屋の奥から、一人の男が姿を現す。
王国騎士団長――ヴァルハルト家の当主、グレイ・ヴァルハルト。
灰色の鎧を纏い、無表情のまま、エレオノーラの前に膝をついた。
「命令通り、演習中に“事故”を起こさせました。セレナ・ヴェルディア嬢を、襲わせました。加害者の生徒は、現場で処分し、事故として処理済みです」
その言葉には、感情の欠片もなかった。
エレオノーラは、グラスを口元に運びながら、わずかに微笑んだ。
「ユリウスが庇ったと聞いたわ。やっぱりあの子はだめね。本当に役に立たない」
「ユリウス様は重傷を負いましたが、命に別状はなく、王宮の医療班が対応しています」
騎士団長は淡々と続ける。
「そう。どうでもいいわ」
エレオノーラは、グラスを机に置き、立ち上がった。
「セレナは、あの場で“壊れた”のよね?」
「はい。精神的に強いショックを受け、医療班の診断では、長期的な影響が残る可能性もあるとのことです」
エレオノーラは、窓辺に歩み寄り、外の王都を見下ろした。
「クラリスは、もう“制度の象徴”としては不安定になりつつある。自我が強く、制度に懐疑的。この間の学院祭でそれが顕著に出ていた。そんな子を王族の隣には立たせない」
「……セレナの方が、従順で扱いやすい」
騎士団長が言葉を継ぐ。
「ええ。今回の件で、彼女は“守られる存在”になった。恐怖と依存――それは、制度に従わせるには最も効果的な感情よ」
エレオノーラの微笑みは、冷たく、計算され尽くしていた。
「クラリスが制度から逸脱するなら、代わりはもう用意されている。セレナに置き換える準備を進めてちょうだい」
「かしこまりました」
騎士団長は、深く頭を下げた。
エレオノーラは、窓の外に目を向けたまま、静かに言った。
「運命力が高いだけでは、だめよ。必要なのは、数字と――従順さ」
そして、王宮の静かな密談は、誰にも知られぬまま、静かに終わった。
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