8. 学院祭の終わりに
前回のあらすじ
・のんびりとした2日目
・突然のお誘い
学院祭3日目の朝。
王立ルミナス学院の中庭には、模擬戦のための特設演習場が設けられていた。
石畳の広場の中央には、白と金の装飾が施された円形の舞台。
周囲には観覧席が設けられ、王族、貴族、学者、市民――あらゆる階層の人々が集まっていた。
クラリスは、剣術用の軽装に身を包み、控え室で静かに目を閉じていた。
銀髪はきっちりと束ねられ、胸元にはいつもの懐中時計。秒針の音が、彼女の呼吸と重なるように静かに響いていた。
「クラリス様、準備はよろしいですか?」
控え室の扉を開けたのは、ロジーナ・エルスだった。
彼女は緊張した面持ちで、クラリスの剣を手渡す。
「ええ。今日は、“制度の象徴”としてではなく、“私自身の剣”で戦うわ」
クラリスは剣を受け取り、静かに立ち上がった。
観覧席の最上段には、父ヴァルターと母リヴィアの姿があった。
ヴァルターは腕を組み、無表情のまま娘の登場を見つめている。
リヴィアは、少し緊張した面持ちで、手を胸元に添えていた。
「クラリス……」
リヴィアは、娘の背中に、かつての幼い姿を重ねていた。
模擬戦の開幕を告げる鐘が鳴る。
司会の声が響く。
「本日の模擬戦は、特別選抜クラスによる演武形式で行われます。
第一試合――クラリス・ヴェルディア VS ゼノ・ヴァルハルト」
観客席がざわめく。
「運命の剣と、騎士団長のせがれの対決だ」
「クラリス様は、演習で獣を退けたって話だぞ」
「ゼノ様は、王国騎士団の流派を継いでいるらしい」
クラリスは、円形舞台の中央に立つ。
対するゼノは、無言のまま剣を構えている。
「始め!」
号令とともに、二人は動いた。
クラリスは、守りの型から入り、ゼノの鋭い踏み込みを受け止める。
剣が交差し、火花が散る。
観客席からは、息を呑む音が聞こえる。
(ゼノの剣は、やっぱり速い。でも、私は……)
クラリスは、レイナから教わった攻めの型を思い出す。
一瞬の隙を突き、踏み込み――剣先がゼノの肩に届く寸前、ゼノが体を捻ってかわす。
「……見事だ」
ゼノが初めて口を開いた。
「君の剣は、誰かを守る剣だ。だが、攻めにも迷いがない。成長したな」
クラリスは、静かに頷いた。
「ありがとう。私も変わったの。誰かを守るために、時には誰かを攻撃しないといけないことを」
*
試合は引き分けで終了。
観客席からは、拍手が巻き起こる。
ヴァルターは、満足げに頷いた。
「見事だ。やはり、我が娘だ」
リヴィアは、目元に手を添えながら呟いた。
「クラリス……あなたは、もう自分のやりたいことを見つけたのね」
*
その後、クラリスはロジーナと控え室に戻る。
「今日は、私の剣で戦えた気がする」
クラリスは、剣を鞘に収めながら言った。
「クラリス様の剣は、誰かを守るための剣です。今日、それが皆に伝わったと思います」
ロジーナは、微笑みながら答えた。
そのとき、セレナが駆け込んでくる。
「姉様、すごかった!ゼノ様と互角なんて……!」
クラリスは、妹の頭をそっと撫でる。
こうして、学院祭3日目の模擬戦は幕を閉じた。
クラリスの剣は、“制度の象徴”ではなく、“クラリス・ヴェルディア”としての剣だった。
そして、その姿は、王都の空の下で、多くの人々の心に刻まれていた。
*
模擬戦が終わり、観客席からの拍手が静かに収まる頃。
クラリスは控え室で剣を鞘に収め、深く息を吐いていた。
そのとき、控え室の扉がノックされる。
「クラリス、入るぞ」
低く、感情のない声――父ヴァルターだった。
続いて、母リヴィアも控えめに入ってくる。
「お疲れさま、クラリス」
その声には、安堵と誇らしさが混ざっていた。
クラリスは立ち上がり、二人に向かって軽く頭を下げた。
「見てくれてありがとう」
ヴァルターは腕を組んだまま、クラリスの姿を見つめる。
「見事だった。剣の動きも、立ち振る舞いも、制度の象徴として申し分ない。王族の婚約者として、恥じぬ姿だった」
クラリスは、少しだけ目を伏せた。
「……ありがとうございます。ですが、今日は“制度の象徴”としてではなく、“私自身”として戦いました」
ヴァルターの眉がわずかに動く。
「それは、どういう意味だ?」
「私は、数字に選ばれた者です。でも、今日の剣は、誰かに見せるためではなく、誰かを守るために振るいました。私が選んだ剣です」
クラリスの声は静かだったが、確かな芯があった。
ヴァルターはしばらく黙っていたが、やがて短く言った。
「……そうか。ならば、選ばれた者としての責務を忘れるな」
それだけ言い残し、控え室を後にした。
リヴィアは、クラリスのそばに歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「あなたの剣、ちゃんと見ていたわ。あなたが、自分のやりたいことを見つけたのね」
クラリスは、母の言葉に少しだけ微笑んだ。
「ええ。まだ迷うこともあるけれど……でも、私は、私の剣を信じたい」
リヴィアは、娘の銀髪をそっと撫でながら言った。
「あなたが選んだ道なら、私は信じるわ。制度の中でも、あなたらしく生きてほしい」
*
学院祭3日目の夕暮れ。
王立ルミナス学院の講堂には、柔らかな光が差し込んでいた。
模擬戦の熱気がまだ残る中、生徒たちは整列し、来賓たちは静かに席に着いている。
壇上には、学院旗と王国旗が並び、銀の燭台がゆらめいていた。
その前に立つのは、第一王子――レオニス・グランフェルド。
完璧な制服姿。姿勢、表情、言葉の間合い――すべてが計算され尽くした“王族の顔”。
彼は、ゆっくりと壇上に歩み出ると、講堂全体に響く声で語り始めた。
「皆さん、三日間にわたる学院祭、お疲れさまでした。王国の未来を担う皆さんの姿に、私は深い感銘を受けました」
拍手が起こる。
だが、クラリスは静かにその言葉を聞いていた。
壇上のレオニスの瞳は、まっすぐに前を見据えている。
その視線は、制度の中に生きる者としての“確信”に満ちていた。
「この王国は、運命力という指標によって秩序を築いています。数字は、偶然ではなく、可能性の証です。選ばれた者は、その数字にふさわしい責務を果たすべきです」
クラリスの胸に、開会式のスピーチの記憶がよぎる。
“数字だけがすべてではない”
“制度の外側にも目を向けるべき”
その言葉とは、正反対の響きだった。
「制度は揺らいではならない。感情に流されることなく、数字に従い、秩序を守ること。それこそが、王国の安定を支える礎です」
講堂は静まり返っていた。
誰もが、レオニスの言葉に耳を傾けていた。
その声は、冷静で、力強く、そして――揺るぎなかった。
レオニスは、最後にこう締めくくった。
「選ばれた者は、選ばれなかった者のために、迷わず進まなければならない。それが、運命力に選ばれた者の使命です」
拍手が起こる。
王族席では、エレオノーラが満足げに頷き、ヴィクトルは無表情のまま資料を閉じていた。
クラリスは、静かに目を伏せた。
その背筋は、まっすぐに伸びていた。
彼女は、制度の象徴としてではなく――クラリス・ヴェルディアとして、次の一歩を踏み出そうとしていた。
こうして、学院祭は幕を閉じた。
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