7. 揺れる心と揺るがぬ思い
前回のあらすじ
・みんなが励ましてくれる
・デートです
学院祭2日目の朝。
王立ルミナス学院の中庭は、昨日以上に華やかだった。
色とりどりの旗が風に揺れ、模擬店からは甘い香りと笑い声が漂ってくる。
クラリスは、制服の上に式典用のマントを羽織り、学院祭の空気を静かに吸い込んでいた。
昨日の開会式でのスピーチは、彼女の中に小さな波紋を残していたが、今日は少しだけ肩の力を抜いて、学院祭を楽しむことが許されていた。
「姉様!」
セレナが駆け寄ってくる。銀髪を揺らし、笑顔を浮かべている。
「今日は一緒に回れるって聞いて、ずっと楽しみにしてたの!」
「ええ、私もよ。学院祭をちゃんと見て回るのは初めてだもの」
クラリスは微笑みながら、妹の手を取った。
そこへ、ロジーナ・エルスが資料を抱えて現れる。
「クラリス様、セレナ様、お待たせしました。学院祭のマップ、確認してきました。どこから回りましょうか?」
「私は、庶民の模擬店が気になるわ」
ミレーユ・クローディアが優雅に歩いてくる。
「普段は見られないものがたくさんあるし、ちょっとした探検している気分よね」
クラリスは、三人の顔を見渡して、少しだけ笑った。
「じゃあ、まずは模擬店通りから。甘いものがあるといいわね」
*
模擬店通りは、学院の南側に広がる広場に設けられていた。
焼き菓子、果物の飴、手作りのアクセサリー、そして庶民の遊びを再現したゲームコーナー。
生徒たちが工夫を凝らした出展が並び、来賓や市民も楽しげに歩いている。
「わぁ、焼きリンゴのタルトだ!」
セレナが目を輝かせる。
「姉様、食べましょう!」
「ええ、少しだけね」
クラリスは、タルトを一口食べて、思わず笑みをこぼした。
「……美味しい。手作りの味も、なかなか侮れないわ」
「クラリス様が笑ってる……」
ロジーナが嬉しそうに呟く。
「昨日のスピーチのあと、心配だったんです。でも、こうして一緒に回れて、楽しそうにしていて、本当に嬉しいです」
「昨日のスピーチ、私は良かったと思うわ」
ミレーユが言う。
「制度の象徴としてじゃなくて、クラリスさん自身の言葉だった。ああいうの、私は好きよ」
クラリスは、少しだけ目を伏せてから答えた。
「ありがとう。でも、あまり響かなかった人もいるみたい。……それでも、私は伝えたかったの」
その言葉に、三人は静かに頷いた。
そのとき、遠くから一人の少年が歩いてくるのが見えた。
白金の髪、完璧な制服姿、レオニスだった。
彼の姿に、周囲の空気がわずかに変わる。
生徒たちがざわめき、来賓が視線を向ける。
「クラリス」
レオニスは、まっすぐにクラリスの前に立った。
「少し、君と二人で回りたい。私のパートナーとして、共に学院祭をまわろう」
クラリスは、一瞬だけ戸惑ったが、すぐに頷いた。
「……分かりました。皆、ごめんなさい。少しだけ、殿下と回ってきます」
セレナは、少し寂しそうに微笑んだ。
「姉様、行ってらっしゃい。あとでまた一緒に回りましょうね」
ロジーナは、クラリスの背中を見送りながら、そっと呟いた。
「クラリス様……無理しないでくださいね」
*
学院祭の喧騒の中、クラリスとレオニスは並んで歩いていた。
模擬店通りの賑わいは少しずつ落ち着き、二人の周囲には自然と距離ができていた。
生徒たちは遠巻きに視線を送り、来賓の一部はさりげなく二人の様子を観察している。
「君とこうして歩くのは、久しぶりだな」
レオニスは、完璧な姿勢を保ちながら言った。
「学院祭という場で、君と並ぶことは、制度の安定を示す意味でも重要だ」
クラリスは、少しだけ視線を逸らした。
「……そうですね。私たちが並んでいることで、安心する人もいるのでしょう」
「安心だけではない。制度の象徴として、君は“選ばれた者”だ。君の存在が、王国の秩序を支えている」
レオニスの声は、穏やかでありながら、どこか硬さを含んでいた。
クラリスは、模擬店の焼き菓子の香りに目を細めながら答えた。
「でも、私は最近、制度の恩恵を受けられない”外側“にも目を向けるようになりました。数字だけでは見えないものがあると、感じるようになったんです」
レオニスは、足を止めた。
「君は、制度に疑問を持っているのか?」
クラリスも立ち止まり、彼の瞳を見つめた。
「疑問がないと云ったら嘘になります。制度の中で生きる人たちが、何を感じているのか。それを知りたいだけです」
「制度は、感情論に影響されてはならない」
レオニスの声は低く、冷静だった。
「君が制度の象徴である以上、君の言葉は制度そのものになる。だからこそ、君には“揺らがない姿勢”が求められる」
クラリスは、少しだけ眉をひそめた。
「でも、揺らがないことが、正しさとは限らないと思います。完璧なものはこの世には存在しません。私は、制度の中で生きる人間として、考えることを止めたくない」
沈黙が落ちた。
模擬店の喧騒が遠くに聞こえる中、二人の間には、言葉にできない緊張が漂っていた。
「君は、変わったな」
レオニスは、静かに言った。
「以前の君は、もっと素直だった。数字に誇りを持ち、制度に忠実だった。今の君は、制度の“外”を見ようとしている」
クラリスは、懐中時計の蓋をそっと開いた。
秒針の音が、静かに響く。
「私は、制度の象徴である前に、クラリス・ヴェルディアであり、ただの人間です。私自身がどう生きるかを、考えることを許されないなら――それは、制度ではなく、枷です」
レオニスは、何も言わずに歩き出した。
クラリスは、少し遅れてその後を追った。
二人の影が、学院の石畳に並んで伸びていく。
だが、その距離は、ほんの少しだけ空いていた。
*
学院の中庭を離れ、クラリスは一人、静かな回廊を歩いていた。
レオニスとの会話の余韻が、まだ胸の奥に残っている。
(私は、変わった……そう言われた)
(でも、それは悪いことなの?)
彼の言葉は、冷静で、正論だった。
制度の象徴として、揺らがない姿勢を求められるのは当然のこと。
けれど、それが“正しさ”なのかと問われれば、答えは出なかった。
「……私は、間違っているのかしら」
クラリスは、誰にともなく呟いた。
そのとき、風が吹き抜け、彼女の銀髪を揺らした。
(私は、制度の中で生きている。けれど、制度の外にいる人たちの声を、無視していいとは思えない)
(それを語ることが、制度を否定することになるのなら……私は、どうすればいいの?)
ふと、昨日の夜、リュシアが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
「制度の中にいても、あなたはあなたよ、クラリス」
(私が選ばれたのは、数字のせい。でも、今ここにいるのは、私が選んだ道)
(だったら、私は……)
「私は、私の言葉で、私の歩き方で、制度を支える。それが、私にできること。私にしか、できないこと」
そのとき、遠くから聞こえてきたのは、セレナの笑い声だった。
振り返ると、妹がユリウス、ロジーナ、ミレーユと一緒に模擬店の前で楽しそうに話している。
クラリスは、そっと微笑んだ。
(セレナ……あなたの未来が、自由でありますように)
そして、クラリスは再び歩き出した。その足取りは、迷いなく、未来へ向かっていた。
制度の象徴としてではなく、一人の少女として。
けれど、その背筋は、誰よりもまっすぐに伸びていた。
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