1. プロローグ
王都ルミナスの中心にそびえる「王立ルミナス学院」
その講堂には、貴族、学者、王族、報道関係者が詰めかけていた。年次学術会議の最終演目――それは、王族主導で極秘に進められてきた研究の発表だった。
壇上に立つのは、白髪を後ろに束ねた男。
冷徹な眼差しを持つ科学者Dr.エルンスト・ヴァルム。
彼の背後には、巨大な黒板に数式と脳波グラフが並び、中央に一語が浮かぶ。
『運命力』
「人間の運は、測定可能です」
ヴァルムの声は静かだったが、講堂の空気を一瞬で変えた。
「脳内の電位変化と量子場の揺らぎを統合解析することで、個人の“運”を数値化することに成功しました。この数値は、選択の成功率、偶発的利益の獲得率、生存確率に直結します。つまり、運命力は“選ばれた者”を示す指標なのです」
ざわめきが広がる。
貴族たちは目を輝かせ、学者たちは顔を曇らせる。
王族席では、国王グレゴールが頷き、王妃エレオノーラが微笑む。第一王子レオニスは、興味深げに、第二王子ユリウスは真剣に見つめていた。
「この理論は、国家制度に応用可能です。教育、婚姻、職業選抜、政治参加――すべてにおいて、運命力を基準とすることで、最適な秩序が構築されるでしょう」
「くだらん。あまりにも非科学的だ!」
量子心理学者セオ・マルクスが立ち上がる。
「確率と人生を結びつけるなど、言語道断だ。人生は選択し続けた結果だ。運に左右されていいわけがない!」
ヴァルムは微笑すら浮かべずに答える。
「選択とは、確率の中で最も効率的な道を選ぶ行為です。その確率を数値化することは、選択の質を高めることに他なりません。感情論ではなく、結果がすべてを物語っています」
その言葉に、国王グレゴールが拍手を送る。
「この理論は、やがて王国をさらに豊かにするだろう。新しい時代の到来である。」
講堂の隅に座る少女クラリス・ヴェルディアは、父の隣で静かに聞いていた。
銀髪に赤い瞳。まだ幼い彼女は、言葉の意味をすべて理解していたわけではない。
だが、父が言った。
「クラリス、君も測定を受けることになる。楽しみだな」
クラリスは小さく頷いた。
*
王都ルミナスの街は、講演の終わりとともにざわめき始めた。
扉が開かれると、貴族たちは興奮気味に馬車へと乗り込み、学者たちは顔を曇らせたまま資料を抱えて歩き出す。
空はまだ明るく、夕暮れの兆しすらないのに、街の空気はどこか薄暗かった。
広場の掲示板には、速報として「王国、運命力測定制度を導入」と書かれた紙が貼られていた。人々が群がり、ざわざわと声を重ねる。
好奇心に満ちた者、不安げな者、そして、何かにすがるような目をした者。
「自分の運の良さが分かるのか?」
「測定で高く出たら、良い暮らしができるってこと?」
「低かったらどうなるんだ?何もかも全部不利になるのか?」
「僕は受けてみるかな。運命力が高ければ、兵学校に推薦されるかもしれない」
「ちょっと怖いわぁ。もし低かったら、家族に迷惑が掛かっちゃう」
「てか、王族が低かったらどうすんだ?」
「今までの努力って何だったの?」
通りのカフェでは、上流階級の令嬢たちが紅茶を嗜んでいる。
「クラリス・ヴェルディア様はきっと高いわ。あの家系だもの」
「第一皇子と婚約って噂だけど、運命力が関係してるのかしら」
「低運な子は、もう舞踏会に呼ばれないかもね」
その言葉に、隣の席で耳を傾けていた若い女性が、そっとカップを置いた。彼女の瞳は揺れていた。
街の片隅では、古びた書店の店主が新聞を読みながら呟いた。
「運を測るだと?人の人生を何だと思ってやがる…」
その声は誰にも届かない。
ざわめきは、すでに制度の波に飲み込まれていた。
クラリス・ヴェルディアは、何も分からず、ただ馬車の窓からその光景を見下ろしながら、帰路についた。
*
王都ルミナス、講演が終わった直後。王族専用の控室には、重厚な扉が閉じられ、外のざわめきが遮断されていた。
国王グレゴールは、金糸の刺繍が施された椅子に腰掛け、ワインを一口含む。
「見事だったな。これで我ら王族の未来も明るい」
王妃エレオノーラは、窓辺に立ち、遠くの講堂を見下ろしていた。
「低運者は王宮に近づけないようにしましょう。民衆の混乱を防ぐためにも」
その言葉に応じたのは、宰相ヴィクトル・ハインツだった。灰色の髪をきっちり撫でつけ、無表情のまま資料を手にしている。
「制度導入は段階的に進める予定となっております。まずは階級の上の者らから測定を義務化し、
次に婚姻制度へ。高運者同士の結びつきは、国家の安定につながるかと」
グレゴールは頷いた。
「そういえば、レオニスの縁談が来ていたな。確か、ヴェルディア家の長女だったか。
あの家は古くから王家への忠誠心が高い。彼女が高運であれば、婚約させるとしよう。」
エレオノーラは微笑を浮かべた。
「かわいい子よ。だけど、かわいいだけじゃなく、運も良くないといけないわ」
ヴィクトルは一切の感情を見せずに言った。
「かしこまりました。そのように。」
控室の窓の外、王都ルミナスは夕暮れに染まり始めていた。
その光は美しく、そして冷たかった。
*
ヴェルディア邸の食卓には、銀の燭台が灯されていた。夕食は終わり、家族はワインと果物を囲んでいた。
「明日、特別に測定できるようだ。結果が待ち遠しいな」
父ヴァルターがグラスを傾けながら言った。
「クラリス、お前はきっと高い運命力を持っているわ。私たちの娘だもの」
母リヴィアは微笑みながらも、どこか不安げだった。
「たとえ低くても、あなたはあなたよ」
「クラリス姉様は絶対に高運だわ」
妹セレナが明るく言った。その声は軽やかだったが、瞳の奥には何かが揺れていた。
クラリスはぽつりと呟いた。
「高い数値が出たほうが、お父様もお母様も嬉しい?」
父は笑った。
「そうだとも。王族だって、貴族だって、運命力の高い者を求めている。お前が高ければ、
第一皇子との婚約も現実になる」
「婚約…」
クラリスはよく分からなかった。その言葉は、まだ遠くの世界のものだった。
セレナがそっと口を開いた。
「いいなぁ、姉さまは。ドレスも、舞踏会も、王宮の招待も。私も行ってみたいわ」
セレナの瞳には、憧れと嫉妬が混ざったような色をしていたが、クラリスはお気に入りの懐中時計に夢中で気づかなかった。
「でも、私が姉さまより高かったら、代わりに行けるのかしら」
クラリスは微笑んだ。
「そうね。代わりに行けるかもしれないわね」
そうして、一家団欒のひと時を過ごしていった。
*
その夜、クラリスは自室の窓辺に立ち、王都の灯りを見下ろしていた。
遠くに科学アカデミーの塔が見える。明日、あの場所で自分の運命力が測定される。
高い数字を出して見せるわ。そう意気込みながら、クラリスは懐中時計を仕舞い、静かに目を閉じた。
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