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 すべてが上手く行っていた。少なくとも、私の記憶にある限りでは。


「……頼む。頼むから、目を開けてくれ……」


 縋るような、必死な声が遠い水底から響くように耳に届く。ぼんやりとした意識の中で、誰かに手を握られているのを感じた。まだ身体の感覚は薄いのに、その温もりと震えだけはやけに鮮明に伝わってくる。


 何度もくり返し声をかけられ、手を握られる。すると段々と意識がはっきりとしてきた。


「うぅん……」


 重たく閉ざされた瞼をやっとの思いで押し上げる。すると、霞む視界の中に一人の男の顔が映し出された。


(これは一体、どういう状況なの……?)

 

 目の前にいたのは息を呑むほどの美貌を持つ青年だった。揺れる漆黒の髪に、光の加減で宝石みたいに見える蒼の瞳、そしてそのすべてに負けず劣らずの彫刻のように整った顔立ち。


「あの……?」


 とてつもないイケメンが、私の手を涙で濡らしながら握っていたのだ。


「フリル……やっと目を覚ましてくれたのか!」


 次の瞬間、大きな体にすっぽりと埋め込まれた。彼が私を強く抱きしめたのだった。

 

「キャアッ! ノア、あなた、何してっ!」


 寝起き早々、大声を上げた私に彼は呆然としたように目を瞬かせた。


「……フリル?」


 けれど男は、まるで信じられないものを見たかのように目を丸くさせて私の名前を呼んだ。


 彼のことを私は知っていた。いや、知り尽くしていると言っても過言ではない。

 いつも目立って令嬢たちの話題の的だった男。他の人には優しいくせに、私には特別意地悪だった男。


 ローゼンタール公爵家次期当主、ノア・ローゼンタール。私の超絶意地悪な婚約者!


 だけど私が知っているのは、いつだって冷たい目をしている男。まるで愛おしく思っているかのような優しい目で見つめ、涙を流す人間なんて知らない。まさか、ローゼンタール公爵家には隠し子がいて、実はノアに双子が居たのでは?

 即座にそんなふざけた考えが浮かんでしまうほど、この状況は本当に信じられなかった。


 私の知るノアと、この目の前の男はまるで別人だったから。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 ラティア伯爵家の専属医師エドガーにチカチカとライトブルーに光った球体の魔力探知機を返す。正常に反応されたであろうその探知機を見て、エドガーは笑みを浮かべた。


「はい、もう大丈夫ですよ。魔力量も戻っていますし、完治と言って問題ありません」

「ああ、フリルちゃん! 本当に良かった!」

「セシリアお姉様、苦しいわ……」


 目に涙を溜めて私に抱き着いたのは、実姉のセシリア・ラティアお姉様。

 その細い腕が首にぎゅっと巻きつき、思わず息が詰まりそうになり「うう」と情けない声を漏らす。


『どうしちゃったのよ、ノア! 頭でもおかしくなったわけ?!』


 数刻前、私を強く抱きしめてくるノアの胸を押し返し、傍に置かれていたクッションを力いっぱいに投げつけた。

 普段のノアだったなら、突如枕を投げてきた私に対して眉をひそめて、クッションを投げ返してきたことだろう。


 しかしノアは、私に何かを言い返すこともなく静かに顔に張り付くクッションを退けると「人を呼んでくる」と言って部屋を出て行ってしまったのだった。

 ノアは気が触れたに違いない。急いで医者を呼んであげなくては。


 ……しかし気が触れたのは彼ではなく、私の方だったらしい。


 ノアと入れ違いで入って来たのが、先ほど私の身体を念入りに検査していた医師のエドガーと、涙を浮かべて私の手を握るセシリアお姉様だった。

 二人によると、私は一か月間もの間を眠り続けていたらしい。


「本当に目を覚ましてくれてよかった。皆、とても心配していたのよ」


 私の手を優しく握りしめるセシリアお姉様。優しくて綺麗で、いつも私のことになると泣き虫なお姉様。


「お姉様、心配かけてごめんなさい。はあ、一ヶ月も眠っていたなんておかしなこともあるのね。身体に異常もないみたいだし……あれ? それじゃあ私、システィーナ学園の入学式にも行けなかったってこと?!」


 一ヶ月後に行われる王立魔法学校システィーナ学園の入学式。入学が決まった時から、私は学園で盛大に行われる入学式に参列することをずっと夢に見てきたのだ。

 しかし、一カ月もの間眠りについてしまっていたということは既に入学式は終わってしまっていること……。


「……なに、言ってるの?」

「え?」


 セシリアお姉様は私がどれだけシスティーナ学園の入学式を楽しみにしていたかを知っている。優しいお姉様のことだから、きっと優しく頭を撫でて励ましてくれる……そう、思っていたのに。


(どうしちゃったのかしら? 顔を真っ青にさせて……)


「お姉様?」

「フリルちゃん。あなた今……自分が何歳なのか分かる?」

「え? 何を言って……」

「いいから答えて!」


 珍しく声を張り上げたセシリアお姉様にビクッと肩が揺れた。いつもは穏やかで声を荒げることのない姉の迫力に思わず言葉を詰まる。


「変なお姉様……。私、フリル・ラティアは16歳になったばかりの、あなたの妹でしょ?」


 続けて「もうっ、ノアだけじゃなくてお姉様までおかしくなっちゃったの?」と冗談めかして言った私に、セシリアお姉様は返事をしなかった。


 ただ、色白の頬が血の気を失っていき、頬に飾られた淡いピンク色のチークが青紫に変わるほど恐ろしく顔を真っ青にした。


「ああ、神よ!」


 そして私が何かを言う前に、お姉様は垂れた眉をギュッとつり上げると、私の両手を強く握りしめた。


「妹が何をしたと言うのですか! どうして、どうして……!」

「お姉様、本当にどうしちゃったの?! お願いだから、しっかりし――」

「フリルちゃん……! よく聞いて! あなたは今、システィーナ学園に通う2年生、17歳なのよ!」

「……は?」


 思考が一瞬にして止まる。時が止まったようにも感じたかもしれない。


 16歳で学園に入学前の私が、17歳で学園の2年生? 真面目なお姉様が嘘を言うはずない。そう分かっているはずなのに、どうしても信じられることができなかった。


 いや、信じろという方が無理な状況だったのだ……。

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