三十五章 †歪みし友情†
それから数十分後。
カイは自身の住むアパートにサイガを運んでいた。
「……ここは……」
床の上で目覚めたサイガが上体を起こして部屋を見回す。
「僕の家ですよ」
とサイガの視界に入ってきたカイが答えた。
血塗れだったサイガの体を拭いていたようで、その手には赤く染まったタオルを摘んでいた。
「うわっ!誰だテメエは!」
辛辣な反応にカイは苦笑し。
だが、その表情を見て徐々に笑みが消えた。
自分を鬱陶しがっているわけでも、嫌味で言っているわけでもなく、ただただ困惑しているように見えたからだ。
「……本当に……覚えてないんですか?僕のこと。カイです、カイ・ルプス。大学で何回も話したでしょ?」
「はあ?だから知らねえよ……」
「……!」
カイは顔を引き攣らせる。
サイガはどうやら本当に記憶が無いようだった。
──クスリの影響か……?それとも元々そういう症状を患っていた……?だとしたら、その苦痛から逃れるためにクスリを……?
神妙な顔でそんな思考を巡らせているカイを見たサイガは、不快そうに舌打ちし。
「何なんだよ気色悪い──……あ?」
と、カイの奥の、玄関近くにある傘立てに立て掛けられた自分の剣に気付いた。
「テメエ、俺の剣を──!」
サイガはすぐさま立ち上がって剣の方へ駆け寄ろうとするが、それをカイは一瞬で取り押さえ、腕の関節を極めた。
「いでででで!何しやがる!離せ!」
「離せるわけないでしょ。貴方を自由にしたらまた勝手にクスリを取りに行くかもしれない」
カイは冷静に言う。
賦杯組は先ほどの二人の戦いによって多くの組員を失いほぼ壊滅状態にあるとは言え、事務所へ戻れば薬物自体はまだ残っているだろう。それをサイガの手に渡らせるわけにはいかなかった。
しかし。
「あ!?クスリだぁ!?何言ってやがんだテメエ!」
「……え?」
カイはその言葉に耳を疑う。
「そ、それすら覚えてないんですか……?そんなことが……」
──いや、だとしたらまさか、今のこの状態を保っている限りはクスリへの依存もない……?しかしどうやって保てばいい……何がトリガーになって記憶が無くなった……?
再びカイは思考を巡らせる。
その瞬間をサイガは見逃さなかった。
体をエビ反りにして踵でカイの背に蹴りを入れ、関節のロックが弛んだ隙に素早く抜け出す。
「くっ……しまった!」
カイはすぐに体勢を立て直すも、サイガはそのまま全速力で玄関まで走り抜けて自分の剣を掴むと、ドアを蹴り破って逃走した。
「ああっ!人んちのドアを!ま、待ってください!」
壊されたドアを気にしつつも、カイは全力で追いかける。
「誰が待つかよバァカ!何がクスリだよ!何言ってっか分かんねえんだよ妄想監禁野郎!」
「だ、誰が妄想ですか!監禁でもありません!僕はただ保護しただけです!」
「保護だぁ!?よく言うぜ、起き抜けに関節極めやがって!」
「それはすみません!でも決して敵意があったわけじゃなくて……!とにかく話を聞いてください!」
凄まじいスピードで走るサイガをさらに上回るスピードで追いながらカイはなんとか説得しようと試みるも。
「黙れよハゲ!鬱陶しい!」
とサイガは聞く耳を持たず、街路樹を斬り倒してカイを邪魔しつつ逃げ続ける。
「ああもう!街の物を壊すな!分かりましたよ!だったらこっちも力尽くで貴方を止める!」
カイもとうとう剣を抜き、さらにスピードを上げて瞬く間にサイガとの距離を詰めると、斬り合いを始めた。
実力差は明白で、サイガだけが一方的に、著しく消耗していく。
そして。
「はあ……はあ……もういいや……」
サイガは突然糸が切れたように棒立ちになると、カランと握っていた剣を落とす。
「え……?」
それを見てカイは危うく追撃で斬りかけた手を止める。
サイガはまるで嘘のように無気力で大人しくなり、へたり込むと、されるがままにカイの家に連れ帰られた。
† † †
それから数ヶ月──戦いの日々は続いていた。
サイガは時折発作のようにクスリを欲しがり、カイの家を脱走する。
その度にカイは剣を持ち出してサイガを止める。
しかし発作はいつどんなタイミングで起きるか分からず、数日大人しいこともあれば数時間で再発することもあった。
カイが大学に行っている間にいなくなることもあり、対策として家のドアや窓に細工し、サイガが家を出たらアラームが鳴るよう設定したが、今度は大学の方が疎かになり、やがて友人たちとも疎遠になっていった。
斬り合う際は極力人目を避けているものの完全とはいかず、白昼堂々街中で斬り合うこともあった。
そうした中で、段々とカイ自身の評判も落ちていくのを感じていた。
「はあ……やっと治まったか……やっぱりクスリなんて手を出しちゃいけないんですよ……」
その日もカイは脱走したサイガを斬り合いで大人しくさせ、家へと連れ帰っていた。
取り敢えずいつものように椅子に座らせ、自分もその対面に腰掛けて様子を見る。
と。
「カイ……」
「え?」
突然サイガが名前を呼んだ。
カイは困惑する。今まで一度たりとも呼ばれたことはなかった──どころか、口を訊きすらしていなかったのだ。
「ぼ、僕の名前……覚えて……」
「ケケッ、そりゃそうだろ。こんだけ監禁されてりゃあな……」
ニヤリと微笑を浮かべてサイガは言った。
その微笑は今までに見せたような空虚で狂気じみたものではなく、その瞳には確かに意志が宿っていた。
「……」
カイは口籠る。
自覚はあったのだ。あの時サイガが言っていた、"妄想"はともかく"監禁野郎"という暴言が実際のものになってしまっていることに。
「……すみません……僕はただ……」
「分かってるさ」
とサイガはカイの言葉を遮る。
「……俺はマジポリア出身だ」
「え?」
突然の話にカイは訊き返す。
「テメエが訊いたんだろうが、最初によ」
「……あ……」
そう言われてカイは思い出す。
初めて出会ったあの日、カイはサイガに出身を訊いたのだ。
「そこでまあ色々あってよ……ある目的のために旅に出た。だけどそれは叶わなくて……最初は故郷に帰ろうとしたんだ。だけどどうしても足が重くて、無気力なまま彷徨って……この街に立ち寄った。そこで俺が十勇の末裔と気付いたあのジジイに拾われたんだ」
「賦杯組の組長ですか……」
「ああ。そんで、楽になれるってクスリ渡されて……そっからは全部……狂っちまった。クスリが欲しけりゃ組の用心棒になれって、何度も良いように利用された。住処も用意されて、大学にも裏口入学させられた。学生の身分の方が都合がいいっつってな……」
「……!そうか……それで君の名前が無かったんだ……」
「名前……?」
「事務の人に訊いたんだよ、君のこと。学費とかどうしてるのか気になってさ。そしたら、君の名前が一切無かったんだ……退学と言うより、まるで初めからいなかったみたいに」
「ケッ、そりゃあきっと賦杯組が潰れたからだな……組に何かありゃあ証拠を隠滅するように手配してたんだろ」
──てことは渡されてた部屋ももう空き家になってんだろうな。
とサイガはカイの話を聞いて自身の状況を頭の中で整理しつつ、救いようのない馬鹿だと自嘲的な笑みを浮かべ。
「まあ身の上話はこんぐらいにしとくぜ。いつまで正気保ってられるかも分からねえからな。俺の症状について分かってることを速攻で話す」
と、真面目な表情に変わった。
「自分の症状も自覚してたのか……」
「ああ。病院行ったわけでもねえし、正確かどうかは分からねえけどな……たぶん、ストレスから解放された瞬間に、俺は記憶が消えて無気力状態になる」
「ストレス?」
「さっき言った目的ってのが叶わなかったことで、俺はずっと極度のストレスに晒されてた。んでそれをクスリで忘れようとした結果、マジで記憶そのものが消えるようになっちまったんだ。それを繰り返すうちに、クスリ以外だろうが何だろうが、"ストレス発散"イコール"記憶消失"って具合に繋がっちまった。ケケッ、脳ってのはとんだ不良品だな」
カイはそんなストレスを抱えるほどのサイガの目的とは何だったのか気になりつつも、余計な詮索はするまいと言葉を飲み込んで聞き手に徹する。
「要するに、いつもテメエと斬り合った後に記憶が消えて無気力になんのは、全力の斬り合いがストレス発散になってるからだ」
「なるほど……」
斬り合いの後に無気力状態になることはこの数ヶ月間で分かっていたが、その理由までは見当も付かなかった。
それがようやく明かされ、これまでの自分の行動は間違っていなかったのだと、カイは胸を撫で下ろす。
「……つってもしばらくすりゃ曖昧な記憶が戻ってきて、頭ん中はまたクスリに支配される。今はちょうどその途中段階って感じで奇跡的に話が通じてるみてえだが、これも一時的なもんだろう」
「じゃあどうすれば……」
「ケッ、俺が知るかよ。分かってることは全部伝えたぜ。後はテメエの……好きに……しやが……れ──」
サイガは最後の最後で悪態をついて丸投げした後、限界が来たのか眠りに落ちた。
「……好きにしろって言われてもな……」
カイは背もたれに体重を預けて天井を見上げ、溜め息を吐く。
──結局原因が分かったところで、やることは変わらないか……斬り合いでストレスが発散されるなら、これまで通り僕が対応し続けるしかない……。
──いや、待てよ……?
カイはふと気付き、目を見開く。
脳裏に呼び起こされたのはあの時の、血みどろの賦杯組事務所。
「サイガ!」
カイは勢いよくサイガの両肩を掴んで揺らし、無理やり目を覚まさせた。
「……あぁ?」
サイガは虚ろな目でカイの顔を見る。
やはりすでに先ほどの意識は失われ、いつもの無気力状態になっているようだ。
だがカイはそんなことお構いなしに話を続けた。
「分かったよ!君のストレスを取り除き続ける、簡単な方法が!」
「……は……?」
サイガはただただ困惑する。
記憶の無いサイガにしてみれば、見知らぬ男が突然嬉しそうに話し掛けてくるのだ。
「ヤクザを殺せばいいんだ!」
晴れやかな笑みを浮かべたカイの口から出たのは、そんな物騒な発想だった。
「彼らならある程度の強さもあるだろうし、戦えば良いストレス発散になるよ!ヤクザなんて所詮社会のゴミなんだから、死んだって誰も困らないでしょ!?いや、むしろ感謝されてもおかしくない、街も綺麗になって一石二鳥なんだから!元はと言えば君をこんなふうにしたのだって彼らだ!だったら彼らに責任を取ってもらおうよ!」
生き生きと語るカイを前に、サイガはドン引きしていた。
何を言ってるんだというふうに口を半開きにして呆然とするサイガに気付いたカイは、それでも粘り強く説得を重ねる。
「大丈夫!僕だって賦杯組の組員を何人か斬り殺したけどこの通り、捕まってないよ!ヤクザなんてこの街には腐るほどいるし、警察は力が弱いからね。ヤクザを狙うのはかなり理に適ってると思わない?」
「何言ってんだテメエ!」
滅茶苦茶な提案にサイガはいよいよ声を張り上げ、そのまま剣を握って再びカイの部屋から飛び出した。
「おおっ!元気になった!無気力状態からこんなに早く回復したのは初めてだよ!」
目を輝かせながら、カイもサイガを追って飛び出した。
「くそっ、ふざけやがって!追ってくんじゃねえよイカレ野郎!」
「ふふ、君にだけは言われたくないね。なぁに、ほっといても君は勝手にクスリを求めてヤクザのところへ向かう。僕は精々離れて君の戦いを見守るだけだよ」
カイの予想は当たっていた。
しばらくするとサイガは発作を起こし、賦杯組事務所のある東の方へと走り出した。
無論、とっくに事務所はもぬけの殻であり誰もいなかったが、別のヤクザらしき男たちを見つけると、薬物を求めて縋り付く。
金も持っていないサイガが、売人でもないそこらのヤクザに乞うたところで薬物が手に入る訳もなく、やがてサイガのストレスは限界に達する。
「ヤクザを殺せばいいんだ!」──カイの言葉が頭の中に反響する。
そして、サイガは剣を抜いた。
「ふふ、そうだ……それでいいんだよ、サイガ」
カイは建物の影からその姿を見守っていた。
数ヶ月間、たった一人でサイガの発作を止め続けてきたのだ。行動の予測は完璧だった。
これが、サイガによるヤクザ狩りの真相である。




