三十章 †黒き逃亡者†
† † †
「兄貴……大丈夫かな……」
黒ネコ獣人──クロスの運転する黒のワンボックスカーに乗り逃走中のチウスは、振り返って窓の外を眺める。
後続には娑卍那組の組員たちの乗る車の他にも、同じように逃げる住民たちの車が並んで渋滞を起こしており、クラクションがひっきりなしに鳴り響いている。
そしてさらに遠くの空には、ダイザンの破壊行為によって崩壊した建物からいくつもの煙が上がっているのが見えた。
「信じるしかねえよ……大丈夫だ。レオザークの兄貴が死ぬわけねえ」
負傷したラビオが息を切らしながら言う。
すでにその手足はチウスによって手当てを受け、包帯が巻かれている。
「……ああ、そうだな」
チウスはこれまで見てきたレオザークの頼もしい背中を思い出し、不安を押し殺す。
「しっかしこりゃどうしたもんか……渋滞で進めやしねえぞ。クロス、なんとかならねえのか」
「なるわけないでしょう……早く行きたきゃ車捨てるしかないですね」
運転しているクロスは至って冷静に答える。
実際、車に乗らず歩道を走って逃げている住民も多く見られる。
「そりゃそうか。ウチの怪我人の数じゃ、それも無理だな……」
このワンボックスに乗っているラビオだけではない。他の車にも瓦礫の下敷きになって負傷した数人の組員たちが乗っているのだ。
その全てを抱えて走るには、無事な人員が足りていない。
「……そう言やあ、今回はあの巨人一人だけだったよな?敵の下っ端──"魔獣"っつうんだっけ?全然出てきてねえみたいだが、それはどういうわけなんだ?」
「そこまでは分かりませんが……兄貴の説明によれば前回の魔獣は超能力で一気に殲滅されたらしいですからね。それを警戒しているのかもしれません」
「ああ、例の"アルケス"の末裔のことか……」
「戦力を必要以上に投入して無駄にするより、圧倒的な個の力で制圧しようと考えたんでしょう」
それは奇しくもレオザークが普段から取っていた戦術に近かった。
たった一人で敵陣に突っ込み敵を薙ぎ払う。仲間の犠牲を抑えるためならそれが最も確実でシンプルな方法だろう。無論その方法を取るためには、何者をも寄せ付けないほどの飛び抜けた強さが必要なのだが。
「しかしその末裔はどこに行っちまったんだよ。こんだけ街が荒れてるってのに……」
「なんでもかんでも俺に訊かないでくださいよ」
「お、おう……スマン……」
クロスに訊いたつもりはなかったのだが突然の冷たい言い方に怯み、チウスはつい謝る。
──冷静に見えるが思った以上にピリついてんな、クロスのヤツ……無理もねえ。コイツはガキの頃からレオザークの兄貴のファンだからな……。
チウスは神妙な顔でクロスを見つつ、そのハンドルを握る手が震えていることに気付いた。
「……なあクロス、運転代わ──」
「ちょっと待て」
気を遣って交代を申し出ようとしたチウスの言葉を、ラビオが遮る。
「あ?どうしたんだよ」
「音が……近付いてねえか……?」
ダイザンの巨大な足音や破壊音はずっと街中に響いていたが、その音が少しずつ大きくなっていることにラビオは気付いた。
「確かに……」
と、チウスとクロスも言われてからその音に気付く。
ラビオはウサギの耳のお陰でその集音能力は娑卍那組でもトップを誇り、これまでも敵の位置の把握などで役立つことは多かった。肝心の戦闘能力の低さや頭の悪さから、周りからはチウスとともに"レオザークの金魚のフン"という評価が下されていたが。
「クソ……あの巨人が追ってきやがったのか……!?じゃあ、兄貴はもう……」
「馬鹿野郎!まだ死んだと決まったわけじゃねえ!」
最悪の事態を想定し頭を抱えるチウスに、ラビオが声を張り上げて叱咤する。
「このままじゃ追いつかれますね……仕方ない、降りましょう!チウスの兄貴、ラビオの兄貴を背負えますか!?」
「おうよ!」
クロスはすぐにエンジンを切ってドアを開ける。
チウスもラビオを背負って車を降りた。
後続の組員たちにも伝え車を降りさせると、その前後にずらりと並んだ住民たちの車に目が行く。
「……俺らだけで逃げるわけにゃいかねえよな」
溜め息混じりの笑みを浮かべるチウスの言葉に、組員たちは皆一様に頷く。
動ける者全員が協力し、車を降りて逃げるよう誘導し始めた。
「皆さん車を降りて!走ってください!」「急げ!」「魔族がこちらに向かっています!」「お年寄りや怪我人はみんなで助けてやってくれ!」
娑卍那組の声掛けで、次々と車から住民が降りてくる。
それから数分間必死に声を上げ続けたが、この人数で全ての人をスムーズに誘導するにはやはり限界があった。
途中、娑卍那組のみならず心優しい住民や居合わせた警察官の手助けもあり少しだけ人員が増えたが、それでも避難を完了させるには時間が足りなかった。
「間に合わねえぞちくしょう!」「歩道も混雑して進みが遅くなってきてます!」「ハァ……ハァ……」「休んでる暇ねえぞ、このままじゃ俺らも危ねえ!」「どうしろってんだよ……!」
組員たちは声を掛け合うも策など浮かばず、ただただ絶望感が増すばかりだ。
そうしているうちに、まるで地響きのような足音が物凄いスピードでこちらへ近付いてくるのに気付いた。
「来やがった……」
音の聞こえる方向にダイザンの姿を発見し、チウスが呟く。
「がーっはっはっは!!見つけたどさっきのヤツら!!」
ダイザンも娑卍那組員たちを見つけるやいなや、嬉々として一直線に向かってくる。
その巨体では勿論歩道など通るはずもなく、並んだ車を次々に踏み潰していく。
「完全に俺らを狙ってやがる……!」「どうするクロス!?」
追い込まれた組員たちが最後に頼ったのは、チウスでもラビオでも、古株の誰でもなく──若くしてレオザークを支える右腕のポジションについた、クロスだった。
視線が集まる中、クロスは。
「……すみません……もう……打つ手は……」
諦観した表情で静かに呟いた。
逃げようとする姿勢すら見せず、ただ向かってくるダイザンの姿を無気力な瞳で捉え続けている。
「ちくしょう……本当に終わりかよ……」
視線を向けていた者たちの一部もその姿に触発されたのか、諦めたように膝から崩れ落ちる。
──アイツ……!
だがチウスだけはクロスの態度に違和感を感じ、ずかずかと近付いて胸ぐらを掴んだ。
「クロス……てめえ……やっぱり……!」
その胸ポケットに入っていたスマホを見ると通話中になっており、画面には"レオザークの兄貴"の文字が通話相手として表示されていた。
クロスはワイヤレスイヤホンでそれを聴いていたのだ。
運転しながらもレオザークと通話を繋ぎ、ダイザンとの戦いの様子を全て聴いていた──恐らくはレオザークの死の瞬間まで。
「……分かってたのか……全部……兄貴がアイツにやられちまったってことも……」
チウスの問いに、クロスは黙り込んだまま顔を伏せる。
その反応を見てチウスは手を離すと。
「みんな聞け!!」
と、組員たちへ叫んで注目を集めた。
「あの野郎の注意が俺らに向いてんなら好都合じゃねえか!俺らは何だ!?街を守る優しいヤクザ、娑卍那組だろ!!」
その言葉に、諦めかけていた者たちの瞳に光が再び宿る。
やるべきことは一つだった。
「立て!!レオザークの兄貴が俺らを守ってアイツを引きつけたように、今度は俺らがこの街の人たちを守るんだよ!!」
「おう!!」
組員たちは覚悟の決まった顔で立ち上がる。
そしてほんの数十メートル先にまで接近するダイザンへ向けて銃を構え。
「来いやデカブツ!!ドタマぶち抜いてやらぁ!!」「ヤクザ舐めてんじゃねえぞ!!」「俺らァ天下の娑卍那組だァ!!」
各々、もはや奇声ともとれるような叫びに気魄を乗せて、引き金を引く。
「がはははは!良い根性だべ!」
何度もその身に魔力貫通弾を受け、ダメージに慣れてしまったのだろう──ダイザンは一切怯むことなく突き進んでくる。
だが次の瞬間、娑卍那組員たちは一斉に散開した。
「こっちだ!!」「捕まえてみろや!!」「オラオラどうしたぁ!?」
左右の脇道や路地の裏に入っていく者。レオザークのように建物の壁を登る者もいた。
脚に自信のある者はあえてダイザンに近付き脇や股下を走り抜けていく。
「おわっ!なんだぁ!?」
ダイザンはその内の一人を捕えようと手を伸ばすも、届かない。
本来ならば捕らえられる速度だっただろうが、予想外の行動に思考が遅れ、さらに様々な方向へ分かれたことで標的が定まらなかったのだ。
「遅え遅え!脚の速さだけならレオザークの兄貴にも負けねえこのハヤテ様を、捕えれるもんなら捕えてみやがれってんだ!」
ダイザンの股下を抜けたチーターの獣人ハヤテは、そのまま猛スピードで道路を直進する。
しかし、十数分前に痛い目に遭わされたばかりのダイザンはそれで完全にあしらえるほど油断はしていなかった。
「舐めんじゃねえべ!」
眼球投げが炸裂し、ハヤテの右脚が血霧となって消し飛んだ。
レオザークのようにジグザグ走行でかわすのならばともかく、一直線に進むだけでは眼球投げの格好の的でしかない。
「ぐああああっ!!」
片脚を失ったハヤテは勢いよく転び、アスファルトに体を叩きつけられる。
そして間髪入れずにダイザンの巨大な足が振り下ろされ、ハヤテは踏み潰された。
「がははははは!精々足掻いてみせろチビども!レオザークに比べりゃあ物足りねえが、遊びとしちゃあ悪かねえど!」
ダイザンはさらにぐりぐりと擦り潰すように足を動かしながら言い、次の標的を見定める。
──さて、次の獲物は……。
目を付けたのは、ビルの上を飛び移りながら逃げる身軽なネズミ獣人。
「オメェだど!!」
と、そのビルごと拳で破壊する。
足場が崩落し落下するネズミを空中で掴み上げると、そのまま別の標的を探し始める。
「くっ!は、離しやがれ!」
踠くネズミの言葉には聞く耳を持たず。
地上を逃げる別のネズミ獣人に狙いを定め、掴んだネズミを投げつけた。
だが僅かに軌道が逸れ、投げられたネズミはそのままアスファルトにぶつかって木っ端微塵と化す。
「兄ちゃん!」
地上のネズミは投げられたネズミの実の兄弟だったのか思わず立ち止まって振り返る。
そこを、ダイザンの眼球が貫いた。
「うーん、やっぱ眼球の方が投げやすいべ!がはは……──ん?」
と、立ち止まって動かない獣人の姿がダイザンの目に止まった。
それはクロスだった。
「何やってんだクロス!」
逃げていたチウスもそれに気付いて振り返る。
──兄貴……。
クロスには生きる気力すらも残ってはいなかった。
その脳内にはレオザークとの記憶が延々と再生されていた。
「ごめんな、ボウズ。遅くなっちまった」
二十年前、まだ子供だったクロスはヤクザの抗争に巻き込まれて両親を目の前で失い、自分も死にかけていたところを、駆けつけたレオザークに救われた。
その時からずっとクロスにとってレオザークは英雄だった。
その後親戚の元に引き取られたクロスはレオザークのことを調べ、すぐに娑卍那組に行きついた。
当時のレオザークは今ほどの有名人ではなかったが、元々情報収集などが得意だったクロスにとっては簡単なことだった。
憧れるレオザークの下で働きたいという思いは強かったが、ヤクザなどになれば引き取ってくれた親戚に迷惑を掛けるかもしれない──そう思い、真面目に勉強して公職を目指した。
しかし十三年前のある日、再び抗争に巻き込まれ、自分を守って親戚をも失いかける。
再び救ったのはレオザークだった。
「お前、あの時のガキか。デカくなったな。良かったぜ、今度はお前の大事なもんを失わせずに済んだ」
レオザークは背に銃弾を受け血を流しながらも笑ってそう言い、安心させるようにクロスを撫でた。
クロスがレオザークのために生きると決めたのは、その瞬間だった。
──すみません、レオザークの兄貴……結局最後まで、俺は貴方に守られて……。
浮かぶのは数十分前、車で移動中に話した助手席のレオザークの横顔だ。
万が一のことがあれば自分が囮になってみんなを逃がすと、クロスにだけはあらかじめ伝えられていた。
自分も残ると言ったが、通話を繋いでこっちの状況を把握して皆に指示を出すように命じられた。
──……すみません……兄貴……俺はもう……何のために生きていいか分からないんです……。
それほどまでに、クロスにとってレオザークは全てだった。
突っ立ったまま顔を伏せるクロスの方へ、ダイザンが近付く。
「なんだか知らねえがオメェもレオザークの仲間だよな?諦めちまったのか?……まあいい。アイツと同じとこに行きたきゃオラが送ってやるど!!」
ダイザンは右足を後ろへ振り上げ、得意のキックを放つ準備をする。
「うおおおおおおおっ!!」
と叫びながら全力疾走しクロスを横から突き飛ばしたのは、チウスだった。
放たれたダイザンのキックは空を切る。
「な、何やってんだてめえっ!死ぬとこだぞ!」
チウスは馬乗りになって胸ぐらを掴むが、クロスの表情にはやはり生きる気力が感じられなかった。
しかし構わずチウスはぐわんぐわんとクロスの上体を揺すりながら問い詰める。
「レオザークの兄貴は最期になんて言ってた!?兄貴が諦めたかよ!?そんなわけねえだろ!?」
「……兄……貴は……」
クロスは通話の最後にレオザークが喋った言葉を思い出す。
"後は頼む"。
「……そうだ……兄貴は……諦めてなんかいない……俺たちに託したんだ……!娑卍那組を……この街を……!」
瞬間、その瞳に生気が宿る。
その顔を見てチウスも安心したように笑みを浮かべる。
「よし、逃げるぞクロス!」
「はい!」
クロスは返事とともにチウスをぶん投げる。
「のわあっ!?」
ほぼ同時に、ダイザンの追撃の蹴りがクロスの体の上を横切った。
チウスが馬乗りになったままなら、恐らく直撃し死んでいただろう。
「た、助かったぜクロス……!」
「行きましょう」
クロスはすぐに投げたチウスの元へ駆け寄ると、その手を引いて立ち上がらせる。
「がははは!なんだ、やっぱり逃げるのか!?まあオラはどっちでも──っ!?」
とゲーム感覚で楽しんでいるダイザンの舌を銃弾が貫く。
撃ったのはクロスだ。
右手に銃を構え、左手では驚いた顔のダイザンに向けて中指を立てる。
「俺はクロス・アンブラム!レオザークの兄貴の遺志を継ぎ、こっからは全力で逃げさせてもらう!さあ、俺を殺してみろやデカブツ!!」




