一章 †膨張せし者†
ヴァリアール王国東部・イーストニント。
王国の最東端に位置する、ニント村という小さな田舎村の中の、さらに最東端。
「うわぁ、怖ぁ……これホントにヴァリアールで起きてるの……?てか魔族って何……?」
腹肉を白シャツの下からはみ出させ、居間に寝っ転がりながらスマホのニュース記事を読んでそう呟いたのは、明らかに自堕落な生活を送っているボサボサの金髪頭の中年女だ。耳の先が尖っていることから、エルフ族だと思われる。
──魔族の侵攻により西方都市ウートゥラー、陥落。
そのスマホ画面に書かれた情報によれば、本日正午過ぎ、ウートゥラーだけでなくこのヴァリアール王国のいくつもの都市に同時に魔族が現れ、僅か数時間でその多くが壊滅状態に陥っているようだ。
記事の中には、望遠カメラで超遠距離から撮影されたであろう、魔獄王ライザーの姿も掲載されていた。
「何この化け物……こんなの出てきたらどうしようもないじゃない……国外逃亡でもする……?」
と、言葉とは裏腹に呑気に尻を掻きながらスマホをスクロールさせていると、インターホンが鳴った。
「もう、何よこんな時に……何か頼んでたかしら?はいはい、行きますよっと」
ここ数日以内のネットでの購入履歴を思い返しながら、エルフの女は玄関へ向かい、ドアを開ける。
「失礼、カルナ・メイギス殿!私はヴァリアール王国陸軍、ユネ・ムガ中佐であります!」
緑青色の軍服を着たスキンヘッドの屈強な男は、恐らく何十万回繰り返してきたことでその動きが染み付いたのであろう完璧なまでに美しい敬礼をしながらそう名乗った。
「り、陸軍……?兵隊さんが私なんかに一体何の……」
「緊急召集命令です!ご同行願います!」
「へ……?」
† † †
数十分後、ニント村北部・王国陸軍第35演習場。
そこには数百人の屈強な男たちが集められていた。
中には獣人族や、身長四十センチほどの小人族、五メートルを超える巨人族も混ざっている。
「諸君、今日はお集まりいただきありがとう!私はヴァリアール王国陸軍大佐、グィン・マキアだ!」
黒髪ショートヘアの女性軍人がお立ち台に上がり、拡声器を持って挨拶を始める。
「もうご存知だと思うが、今この国は危機に瀕している。これまで大っぴらには報道されてこなかったが、あの魔族という侵略者はすでに何度もこの国に攻撃を仕掛けてきていた。いや……正確にはこの国だけではなく、世界中でその存在を確認されているのだ。そのたびに軍隊や世界連盟の実働部隊によって排除されてきた」
魔族の存在はつまり、ここ以外の別の世界が存在することを意味する。そんなものがこの世界を攻撃していると知られれば、世界中でパニックを招くだろう。ゆえに、魔族という存在は世界連盟の協定により一般には秘匿されてきた。
勿論目撃者を完全に防ぐことなどできず、何度かそう言った記事が出回ったことはあるが、まだ都市伝説の範疇を出るものではなかった。
それが事実であると、明確に軍人の口から話されたことで、集まった者たちは騒然とする。
「しかし!今回の侵略はこれまでの比ではない!」
そのざわつきを掻き消すように声量を上げて、大佐マキアは話を続ける。
「我々陸軍も各地で対処に当たっているが、今のところ魔族たちには太刀打ちできていない。強さもそうだが、問題はその圧倒的な数……!こうも同時多発的に攻撃を受けると、その場所ごとの対処人数も少なくなり、そうなれば我々の勝ち目はさらに薄くなる……よって、諸君の力をお借りしたい!」
「ふ、ふざけんな!お前らは市民を守るためにいるんだろうが!それが勝てないから助けてくれだと!?」
「ああ、その点に関しては本当に申し訳なく思っている……が、事実、このままでは我々は──この国は終わるだろう。諸君の家族を、友人を、そして諸君自身を守るため……どうか、力添えをお願いしたい!」
マキアは深々と頭を下げる。
同じく、中佐ユネ・ムガを始めとしたお立ち台の横に並んでいる数十人の兵士たちも黙礼した。
集まった男たちはまたざわつき始め、戦う覚悟を決める者や、黙って考え込む者、周囲と話し合う者など様々な反応を見せる。
「それはいいんだけどさあ、報酬は出るのかしら?」
と、その中から一人のサングラスをかけたロン毛男が手を挙げ、尋ねた。
その口調から、恐らくオネエであることが窺える。よく見ればその格好も立ち姿も、筋骨隆々ではあるがどこか女性的である。
「勿論、戦いが終わったのちに相応の報酬を軍から支給させていただく」
「相応の?それはつまりたくさん活躍すればそれだけ報酬も増えるってことね?」
「そうだ」
マキアの答えを聞いたその男は、満面の笑みを浮かべた。
「うふふふふっ、いいわねぇ!やる気出てきたわ!良い筋肉を育てるにはより良い環境が必要不可欠……美容にもオシャレにも使いたいのに、いくらお金があっても足りないのよねぇ」
「あ、あの……あなたはもしかして……"ハルにゃん"氏なのでは!?」
少し離れた場所にいたオタク系の青年が、眼鏡の横の部分をつまみながら、そのオネエへ恐る恐る問いかける。
すると男はにやりと笑い。
「あらら、バレちゃった?そうよ、私は筋肉アイドル、ハルクス・ジェン・フートラッド!ハルにゃんって呼んでね♪」
サングラスを高く投げ捨て、自信満々に名乗りを上げた。
「え、ガチモンかよ!」「すげえ……」「まさかこんなところで生ハルにゃんが見られるとは!」「なんという筋肉だ……!」「う、美しい……」
どうやらこのハルクスは、筋肉界隈では有名な人物らしい。
先ほどの魔族についての説明時以上に、演習場は大きくどよめいた。集まった者たちだけでなく、兵士たちの多くもついハルクスを一目見ようと身を乗り出してしまうほどだ。
「ハルにゃんがやる気なら、俺もやるぞ!やってやる!」
と、ファンたちは口々に自分を鼓舞し、その士気が全体へ広がっていく。
「彼は流石ですな。声を掛けて正解でした」
ユネ・ムガは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ああ。彼のように皆の中心となれる存在はとても心強い」
マキアもその堅い表情こそ変えないものの、少し安心した様子だった。あまりに急な召集に、民衆が本当についてきてくれるのか心中では不安だったのだろう。
「諸君、ありがとう!それではこれより訓練を開始する!」
その士気が途切れぬうちにと、マキアは宣言する。
「え!?もう!?」
「既に魔族はいくつもの街を壊滅状態に追い込んでいる!奴らはいつ現れてもおかしくない!今この瞬間にも、ニント村への攻撃が始まらないとも言い切れない!時間はないのだ!」
それもそうだ、と男たちは一旦落ち着きを取り戻し、そして兵士たちの指示に従い動き始めた。
──その時であった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
上空から、男の叫び声がこだました。
「何だこの声?」「何か……落ちてきてないか?」
声に気付いた男たちが空を見上げる。
そこには、二人の男女が上空から墜落してくる姿があった。一人は赤髪の女、もう一人は黒髪の青年──カガリとレイジだ。
「だ、誰か助けてくれぇぇ!!」
飛ばされている途中で力尽きて気を失ったカガリを抱え、レイジは全力で助けを求めて叫ぶ。
しかし助けると言っても受け止めるためのクッションやエアバッグのようなものは近くにはない。
「あら、イケメンじゃない♪うふふっ、私に任せて!この胸筋で受け止めてあげるわ!」
並外れた視力でレイジの顔を捉えたハルクスは、真っ先に飛び出して二人の着地点に入ると、両腕を広げてキャッチする構えをとった。
「い、いや、いくらハルにゃんでもあの高さから落ちてくる人受け止めたら死んじゃうって!」
「大丈夫よ!私は人より頑丈なの!」
心配する声も自信満々な表情で一蹴し、落ちてくるレイジたちを待ち構える。
「あんたが大丈夫でも、あっちはそうじゃないだろ?ここはオレに任せな!」
「えっ」
と、そんなハルクスを跳ね除けて着地点に現れたのは──風船のような少年だった。
風船──例えなどではなく文字通り、その中性的な顔も、華奢な手脚も、青い髪の毛も、恐らく露出度高めの特徴的なデザインの服に隠れたその体までも、全てがぷっくりとした薄いゴムのようなものでできた少年。
少年は手に持っていた何か丸いものを、胸につけた着火装置のようなものに擦って火をつける。
と、それを飲み込む。
「え?今何飲んだの?」
ハルクスは呆然としながら訊く。
「爆薬」
「は?」
少年は両手で口を押さえる。
次の瞬間、風船少年の体内でその爆薬が爆発したのか、ボフン、という音と共に一気に少年の体が膨れ上がった。
「ぐえぇーっ!な、何なのよぉ!」
近くにいたハルクスはそれに巻き込まれて押し潰されるが、柔らかかったので特にダメージはない。
十メートルほどにまで膨張したその少年の背に、上空の二人が落下し、埋もれる。
少年の体そのものがクッションとなり、二人は落下死を免れたのだ。
「た……助かった……のか……?」
レイジは何が起きたのか全く理解できていない様子だが、一先ず生きていることに安堵する。
「お……おお!すごいぞ少年!」「よくやった!」「グッジョブ!」
その場の誰もが驚きつつも安堵し、風船少年を称賛した。
少年はかなり無理をしていたのか、口から煙をものすごい勢いで噴射しながら、どんどん縮んでいった。
「けほっ、けほっ……良かった、二人は無事みたいだな……」
少年が元の大きさにまで縮むと、その背からレイジがカガリを抱えて降りる。
「ありがとな……助かった……あんたこそ大丈夫か……?」
「ああ、心配いらないぜ。ちょっと破裂しそうだったけど」
少年は柔らかい笑みを浮かべながら、うつ伏せに倒れたまま親指を立てて無事をアピールした。
「そうか……良かっ……た……」
レイジは笑みを浮かべ、そのまま膝から崩れ落ちた。
「ええっ!?全然無事じゃなかったー!だ、誰かー!」
即死こそ免れたものの、すでに満身創痍であることに気付き、少年は慌てて助けを呼んだ。
すぐに軍の救護班が駆けつけ、ボロボロのカガリたちは担架に乗せられ運ばれていった。あの重傷では恐らく軍の医療施設だけで命を繋ぐのは難しいため、応急処置が終わればすぐに大きな病院へと移されるだろう。
「それにしてもアナタ、珍しい種族ねえ。一体何者なの?」
少年の下から解放されたハルクスは、立ち上がって少年に手を差し伸べながら尋ねる。
「オレは──"風船族"さ」
その手を取って立ち上がり、少年は答えた。
「風船族?」「聞いたことあるか?」「いや、知らねえな……」
その場の多くは首を傾げる。
そこへ大佐マキアが近づいて少年の前に立ち、説明し始めた。
「風船族──かつては大陸に広く住んでいた種族だ。諸君も目にした通り、風船のように膨らむ特別な体を持っている。今では数が減り、風船族だけの小さな里で暮らしている……そうだったな?」
「ああ。旅行でこの国に来てたんだけど、まさかこんなことになるなんてな……」
「私が村で見掛けてスカウトしたのだ。本来この国の住民ではないので、召集に応じる義務など彼にはなかったが……この世界の危機に、力を貸してくれた。本当にありがとう」
マキアは深く頭を下げて感謝を表明する。
「いいよお礼なんて!オレなんか膨らむことしかできないけど……もし少しでもみんなの役に立てるなら、オレは戦いたい」
「うふふ、素敵じゃない♪アナタ、名前は?」
「オレは、メルト────勇者メルトだ」