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読んでいただいてありがとうございます。終わらなかった、すみません、ちょっとだけ年越しします……。今年一年、ラフィーネとリディアーヌの物語にお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
リンゼイル伯爵とその嫡男が拘束されたことで、ラフィーネの当面の危機は去った。
そうなると当然、ヴァッシュも騎士団長としての仕事に戻らなくてはならず、ラフィーネは久しぶりに一人で行動出来ることに感動さえ覚えていた。
「一人って、いいわね」
別にヴァッシュがラフィーネの行動に何かを言ってくるようなことはなかったが、後ろにあの重く分厚い存在感があったので、少々肩が凝った。
気にするなと言われても、絶対に無理だった。
最後の方は少し慣れたけれど、最初はビクビクしたものだ。
「貴重な体験だったわ。二度と味わいたくないけど」
休憩室でぐったりしていたラフィーネを、リディアーヌがくすくすと笑った。
「ヴァッシュ様が護衛期間中に後ろから見ましたけど、すごく目立ってましたよ」
「だよね。おかげでヴァッシュ様が消えてから、何人かの令嬢が私に宣戦布告みたいなことをしてきたわよ」
「え?それって、どうしたんですか?」
「護衛だってことを丁寧に説明して、文句があるのなら私の後見人の方へどうぞって流したわ」
「えーっと、後見人のお名前は聞かれました?」
「もちろん。張り切って答えてやったわ!皇帝陛下ですって!」
令嬢たちのほとんどが顔を青ざめながらも捨て台詞を残して去って行ったけれど、中にはラフィーネの言葉を信じずに、父母にラフィーネのことを伝えた令嬢もいたようだ。
皇宮内の情報を得ている貴族たちはそれが真実だと知っていたので、自らの娘を叱ったそうだ。
それでも、数日の間はヴァッシュの正妻の座を狙う令嬢たちの視線が消えてくれなかった。
「どこの馬の骨とも知れない女が、狙っている騎士団長様の傍にいたんだもの。彼女たちにしてみれば、許せないってなるわよねぇ」
「ですが、そういう令嬢は情報収集能力が低いと判定されて、ヴァッシュ様の妻の座を狙うのは難しいのでは?」
「私たちはそう思うけれど、働いたことのないお嬢様方にその辺の事情を読み取る能力があるかどうか……」
ラフィーネに絡んできた時点でないと判定されそうだけれど。
皇宮で働いていれば、そういう能力は必須になってくる。
何せ相手は高位貴族や皇族、時には諸外国の使者の相手だってしなければならない。
情報収集しておかないと、自分たちが困る。
この休憩室ではそういう情報交換も行われているので、ラフィーネは個人的には、スパイが情報収集をするのならここが一番最適だと思っている。
何故かあまり知られていない謎の情報を持っている人もいれば、とある貴族の愛人遍歴を全部知っている人もいる。昨日出会った女性にすぐに入れ込んだという話を聞いた時は、どこでそういう情報を仕入れてくるのか本気で知りたかった。二人が出会った翌日にはもう知っているってちょっと怖くないだろうか。
そんな場所に身を置いているので、ラフィーネやリディアーヌも表には出ていない色々なことを知っていたりする。
「社交界で揉まれまくっている女性の方なら来ないもの。この時点で私に絡んでくるような人は、そういう能力は低そうよね」
「そうですね。ヴァッシュ様を狙っているっていう噂の伯爵令嬢は、遠目から見ているだけでしたもんね」
「ちゃんと分かってるんでしょう。誰の命令かってことが」
「そうですね。で、ラフィーネさん、これからどうするんですか?」
「どうもしないわ」
「絡んでくる方の邪推はともかく、ヴァッシュ様の目は本気でしたよ?」
「リディアーヌにもそう見えたのね……」
オルフェにも確認したし、ヴァッシュと接している間、彼の目がラフィーネだけを追っていたのにも気が付いていた。
だけど、ラフィーネはその感情が怖かった。
ここで本当にラフィーネがヴァッシュと、いわゆる将来の約束とやらをしたら、その約束が破られた時、ラフィーネは自分自身が壊れてしまうのではないかと思って怖かった。
純粋な政略結婚なら、まだいい。
だってそこにラフィーネの感情は必要ない。
家庭という仕事場で、ラフィーネに求められる役割を果たすだけだ。
相手に期待を持たなければ、約束を破られた時もラフィーネはそんなものだと思うだけだ。
もちろん、人としての感情があるのだからそんなに上手く行くとは思っていないけれど、それでも期待しない分、まだ自分を守ることが出来る。
けれど、ヴァッシュがラフィーネに向ける感情はそんな生やさしいものではない。
そして、一度ヴァッシュに応えてしまえば、ラフィーネの中にも同じ感情が生まれてしまう。
せっかく抑えこんでいるのに、溢れ出てしまう。
そんな相手が、もし約束を破ったら?
ちゃんとした理由があればラフィーネだって納得するが、父や兄みたいに最初からラフィーネとの約束を破るつもりでいたなら?
ラフィーネを手に入れたことで満足して、自分のものになった後は何をしてもいいと思ったら?
「ねぇ、リディアーヌ。私が自分から何もしないのって、卑怯だと思う?」
「距離の詰め方は、人それぞれだと思います。ラフィーネさんのように慎重に相手の出方を見ている方もいれば、自分の感情をすぐにぶつけて来る方もいます。でも、ラフィーネさんの想いだけは間違えないでくださいね。慎重すぎると、機会を逃すことにもなりかねませんから」
「……そうよね。何か悩んでいたら、深みにどんどんはまっていっちゃって、自分がどうしたいのかが分からなくなってきてたのよね。ヴァッシュ様が将来の約束とか言い出したら……って、あれ?」
「どうかしましたか?」
ラフィーネが急に黙り込んで真剣な顔で考え始めたので、リディアーヌも一声かけただけで黙ってラフィーネを見ていた。
「……そうよね、よく考えたら、ヴァッシュ様がする約束を破られることが私は怖かったわけで……」
「えっと、ラフィーネさん?あの、ラフィーネさん?」
「私との約束……うん、約束をするのは、私……?」
「おーい、ラフィーネさーん?」
「そうよ!」
「はえ?」
黙ってぶつぶつ言い始めたラフィーネだったが、ようやく答えがまとまったのか、目には強い光が宿っていた。
「今までは、私からした約束ではなくて、向こうが私にした約束を自分で勝手に破っただけよね。お父様もお兄様も、誰だっけ?元婚約者の方も」
「お名前、忘れたんですか?」
「だって、私に親切にしてくれたのはヌークス子爵ご本人だもの。付属の方の名前はとっくの昔に忘れたわよ」
「……その言葉、相手の方が聞いたら、微妙にショックだと思います」
そういう人は、自分のことは忘れていないだろうという思い込みがある。
ラフィーネが名前さえ忘れてしまったと聞いたら、自分がやらかした方のくせして、絶対に何故かショックを受けるのだ。
「もう過去の方だしどうでもいいわ。それで、つまり、今までは相手が言い出した約束を相手が勝手に破ったってことになるのよね。そう、私、自分から約束をしたことはないわ」
「ん?あ、話を聞く限り、そうなりますね」
「それなら、私が自分から約束を提案すればいいのよね」
「え?何でそうなるんですか?それに、ラフィーネさんが自分からした約束を相手の方が破ったら、もっとムカツキませんか?」
「それでもまだマシよ。だって今までは、向こうが自分勝手にした約束を向こうの自分勝手な理由で破られたことの被害者が私だったのよ。そこに私の意思なんて一欠片も入ってなかったわ。でも、私から提案した約束なら、少なくともそこに私の意思は入ってるもの。どうせ破られるのなら、私の意思入り約束の方がいいわ」
「……そう来ましたか。でも、ラフィーネさん、破られるとは限りませんよ?」
「私の意思入り約束だもの。責任は取るわ」
「……喜ぶだけのような気も……」
固有名が出ていないけれど、相手の方は喜んでラフィーネに責任を取ってもらうのだろうか。それとも、ラフィーネが先に言ったことを悔しがるのだろうか。
リディアーヌは、言われた時のヴァッシュの顔を想像して小さく笑った。
何かが吹っ切れたラフィーネは先ほどまでのグダった姿より断然輝いて見えて、リディアーヌは、ヴァッシュ様もまだまだラフィーネさんのことを理解してないわよね、振り回されそう、などと思っていたのだった。




