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バルバ帝国の騎士団は、第一騎士団から第十騎士団まである。
他にも近衛騎士団や諜報専門の部署などもあるが、主に騎士と言えばこのどれかに所属している者になる。
帝都を守る第一騎士団の団長は、皇帝ユージーンの従兄弟であるヴァッシュ・トリアテール公爵。
第一騎士団の団長であるのと同時に、全騎士団を束ねる存在でもある。
ヴァッシュは皇宮にある自分の執務室で、部下から提出された書類を確認していた。
ペンを持った右手を見て、ふとつい先日出会った侍女のことを思い出した。
騎士団長であり公爵でもある彼は、今まで幾人もの年頃の女性に声をかけられたことがある。
夜会に出れば娘を紹介され、騎士団の仕事をしている時は遠くから見つめられている。
だが、彼女とはあの時、初めて話をした。
あれを話したと言っていいのかどうか微妙なところだが、彼の右腕を掴んだ彼女の手は震えていた。
それでも必死で、彼女の同僚が危ないということを訴えてきたのだ。
「……あれはあれで、可愛かった、のか?」
必死でヴァッシュを引っ張って連れて行こうとしていた彼女は、その後、近くにいたのが騎士団長ってどれだけ運がないのよ、と愚痴っていた。
あなたに会えて幸運です、と言われたことはあっても、運がない、と言われたのは初めての経験だった。
「名前は……確か、ラフィーネ、だったか?」
艶やかな黒髪の侍女は、ヴァッシュの心にしっかりと印象を残していた。
そんなことを考えていたら、扉がノックされて副団長のバーナードが入ってきた。
「団長、こちらの書類もお願いします……って、どうかしましたか?」
「ん?どうか、とは?」
「何だかすごく楽しそうですよ。口元がほころんでいます」
「そうか?」
「うぇー、何だか怖いんですけどー」
遠慮なくずけずけと言ってくるバーナードは、ヴァッシュとは古い付き合いだ。
そのせいか、公の場ならともかく、こういう時は遠慮のない物言いをする。
「あぁ、そうだ、バーナード。皇宮に勤めている侍女で、ラフィーネという名前の女性のことを知っているか?」
「は?今、団長の口から女性の名前が出た?いやいや、きっと気のせいだ。こんな冷血漢で女性なんて煩わしい生き物だとしか思っていない団長が女性の名前を出すなんて。俺の耳がおかしくなったのかな?そうだ、医者に行こう」
「おい。適当なことを言うな。別に俺はそんな風には思っていないぞ。ただ、ちょっと面倒くさそうな女性をお前に押しつけていただけじゃないか」
「そうですよね、団長、いつも俺に女性を押しつけて……!おかげで俺、人見知りが解消されて女性との会話スキルが上がりましたよ。そして何故か、女性が大好きな男という誤解も受けています。全部、団長のせいです」
「それはお前の趣味も入っているからだろうが。そもそもお前が人見知りだった過去なんて無い。それで、ラフィーネという名前に心当たりはあるのか?」
バーナードの嘘泣きしながらの訴えなど適当にあしらって、ヴァッシュは再度ラフィーネのことを聞いた。
「おやおや、聞き間違いではなかったようですね。えーっと、侍女のラフィーネ嬢。侍女ってことは貴族だから……思い出しました、確か、リンゼイル伯爵家の娘さんです」
「リンゼイル伯爵家?というと、名ばかりの名門と噂されているあの家か」
「そうです。歴代の当主たちがだんだんと土地を手放していって、今ではごく僅かな土地しか持っていない貧乏伯爵家です。リンゼイル伯爵家の嫡男は、今はフレストール王国に行っているはずです。留学してそのまま帰ってきていないと聞いています」
「ふーん、それで娘が働きに出ているのか」
「そうです。ラフィーネ嬢は真面目に仕事をしていて、女官長の評価も高い女性ですよ。実家は貧乏伯爵家と言われていますが、彼女自身がある意味、財産ですよね」
「皇宮の女官長に高い評価を受けている名門伯爵家の令嬢ともなれば、本来なら引く手数多だな」
「はい。ですが、どうも鈍い方のようでして、さりげなくアプローチした者は悉く振られているそうですよ。ちなみに、婚約者はいません。ですが……」
そこまでペラペラ情報をしゃべったバーナードが、少し言いよどんだ。
「どうした?」
「これは少し聞いた程度の話なんですが、商人上がりのヌークス子爵家と縁があったとかなかったとか」
「何だ?それは」
「ヌークス子爵家の嫡男と婚約していた時期があったらしいのですが、どうもはっきりしていなくて。ほとんど身内しか知らなかったみたいなんです」
「珍しいな、情報命のお前が確信を持てないなんて」
「何か屈辱です。それで婚約ですが、していたとしても本当に僅かな期間だと思いますよ。ヌークス子爵家の嫡男は、今は別の女性と結婚していますから。平民の出の奥方で、社交界で苦労しているようですね」
「貧乏とはいえ、名門と言われる伯爵家の令嬢との婚約を蹴ったのか。それはそれですごいな。子爵家からすれば、その縁は喉から手が出るほどほしかっただろうに」
「ですよね。高位貴族への人脈と名前を考えたら、絶対繋ぎたい縁だったはずなんですよね。しかもラフィーネ嬢は優秀な方ですし。当主はやり手ですから、嫡男の方に問題があったのかな?なので、ちょっとおかしな話ではあるなと思っていたんです」
ただそれが直接、主人であるヴァッシュに関係のない話だったので、特に詳しくは調べなかった。
「詳しく調べますか?」
「いや、いい。今の彼女に関係のない話なら、別に知る必要などない。相手の男も妻がいるのなら、ちょっかいをかけてくることもないだろうしな」
「えーでも、ほら、よくあるじゃないですか。捨てた女がもっといい男に拾われて、結果、気になってよりを戻したがるっていうやつです」
「馬鹿馬鹿しい。そんな男のどこがいい。いらんだろ」
「つい最近、似たような事例があったばかりです」
「そうか。あれもそうなるのか」
つい最近、幼馴染に拗らせていた部下がいた。その女性に恋人が出来たことで、さらに変な拗らせ方をしていた。
ヴァッシュがラフィーネと知り合うきっかけになった事件だ。
「必要なら言う。だが、今はまだいい」
「分かりました」
バーナードはにやりと笑ったのだった。