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読んでいただいてありがとうございます。少々、手首を痛めました……。色々とあったんです、はい。
「我が家は何もやってないんだ。うちよりもっと他に入る家はいくらでもあるだろう」
ぶつぶつとデリックの独り言が聞こえてきた。
ラフィーネが呆れて兄に対して口を開こうとしたら、ヴァッシュがそれを止めた。
「お前、自分の家の状況を分かっているのか?」
お前、と呼びかけられたデリックはヴァッシュを睨もうとしたが、ヴァッシュと目が合った瞬間にすごすごと目を逸らした。
貴族の心得として剣は習ったが騎士になれるほどの才能はなかったデリックだが、さすがに自分と目の前の男の技量の差くらいは感じられる。
純粋に力では勝てない。
「い、家の状況と言われても、俺は最近帰って来たばかりだし……」
「お前が留学に行く前の状況は?」
「……確かに、うちは父や祖父たちが多少財産を減らしたが、派手ではないが普通に生活は出来ている」
「お前の留学費用や、あちらでの滞在費はどうしたんだ?」
「それは父が用意してくれたから、俺は知らない。だが、うちは伯爵家だぞ。それ位のお金はあるに決まっている」
デリックの何も知らない言葉に、ラフィーネは一瞬カッとなった。
自分勝手な行動でラフィーネの人生を無茶苦茶にしておきながら、俺は知らない、父が用意した、という言葉で責任逃れしようとしているようにしか聞こえない。
そのためにラフィーネは売られたのだ。
借金の形として、好きでも何でもない男の元に嫁ぐ寸前だった。
好きなことをしたい兄のための生贄になったのだ。
「……お兄様って馬鹿なの?」
「何だと!」
「だって、何も分かってないじゃない。うちにいくらお金があって、どんな収支になっているとか何も知らないんじゃないの?少なくとも帝国に帰って来てからは、ずっとお父様に付いて伯爵家のことを学んでいたんでしょう?収支なんて基本中の基本じゃない。ひょっとして、伯爵家の領地のことも知らないの?」
「領地くらい知ってるに決まっているだろう!」
「なら、お兄様の留学費用をお父様が自分では用意出来なかったことも分かってるのよね?」
「……は……?」
「うちの領地の税金だけでお兄様の留学費用が出せたと思ってるの?」
「いや、だって、父上は俺の留学費用を用意してくれて……」
「それはお父様がヌークス子爵に借金して用意したのよ」
「え?」
デリックはラフィーネの言葉にきょとんとした顔をした。
「ヌークス子爵、知ってるわよね?」
「お前の婚約者だったっていう」
「婚約者っていうか、ヌークス子爵は新興の子爵家だったから、他の貴族の信用を得るために古い家との繋がりがほしかったのよ。あぁ、こんな言い方ではお兄様には伝わらないわね。はっきり言うと、お父様はお兄様の留学費用のために私をヌークス子爵家に売ったのよ。お兄様は妹を売ったお金でフレストール王国に行っていたってことよ」
ラフィーネは遠回しに言うことを止めて、きっぱりと言った。
この兄では遠回しに言っても言葉の中身に気が付かない可能性が高い。
言葉の表面だけを受け取って、どういう意味なのか理解することが出来ない兄では、遠回しに言っても仕方がない。
それに、今更兄妹仲を気にすることもないし。
悪化するならするで構わない。
それよりも、もう父と兄に振り回されたくない。
「……売った……?父上が……?」
「えぇ、そうよ」
「だが、婚約破棄されたって……」
「ヌークス子爵のご子息のドミニク様に好きな女性が出来たからよ。政略結婚どころか単なる借金の形に婚約者になった女より、自分が好きになった女性と結婚したかった、それが一度目の理由よ」
まぁ、上手くはいかなかったけれど。
その辺は少し調べれば分かることなので、特に言わなかった。
自分で調べればいい。それなりの醜聞だったから、覚えている人も多いだろう。
「二度、婚約破棄されたって……」
「二度目も同じ方なのは、さすがに笑うしかなかったわね。ちなみに二度目も私は売られたの。売られた理由は、一年で帰ってくる約束になっていたはずのお兄様がちっとも帰って来なくて費用がさらにかかったことと、お父様の事業の失敗。ちなみに婚約破棄の理由は、ドミニク様が別の女性との間に子供を作ったからよ。ヌークス子爵は本当に良い方で、婚約破棄の迷惑料として二回とも借金をなしにしてくださったのよ。それで一応、お父様がヌークス子爵にしていた借金はなくなったわ」
どちらかと言うと二度目は、父の事業の失敗という名前の、父が自称友人にだまされたことによる借金が大半だったが、デリックの留学費用だって借金の一部に組み込まれていた。
慰謝料で相殺してくれたのも、ヌークス子爵がラフィーネのことを気に入ってくれていたからだ。
「ヌークス子爵……」
先ほどからずっと出てくるこの名前を、デリックはつい最近、父から聞いた。
ラフィーネが後妻に行く相手として。
「うちは何もしていない?伯爵家のくせに娘を売っておいて、何を言っているの?それもやむを得ずとかじゃなくて、長男の留学という名目のほとんど遊びのために。ここまで親切に教えてあげたのよ?お兄様はまだ皇帝陛下がうちに監査を入れた理由が分からない?いくら古い家柄を誇る伯爵家であろうとも、今現在、国や陛下の役に立っていない貴族なんて必要かしら?」
デリックがフレストール王国で友人たちと遊んでいた頃、その遊びのためにラフィーネは売られていた。
その事実を突きつけられたデリックの身体が、大きく揺らいだのだった。




