㉖
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「失礼いたします、陛下」
皇帝の執務室に入ると、ユージーンが手を止めてヴァッシュの方を見た。
「仕事中に悪かったな」
「いえ、こちらはまだ来そうにありませんので」
「らしいな。どうやらリンゼイル伯爵は以前のやり方しか知らんらしい」
ユージーンの元には、今回監査が入った家の者がどういう動きをしているのかの報告がきていた。
その中でリンゼイル伯爵家は、まずは貴族院の者たちの懐柔から入っているとのことだった。
今の貴族院の者たちにその手は通用しないというのに。
「予定通りリンゼイル伯爵家は代替わりを行う。次の伯爵はラフィーネだ。ただし、伯爵家の領地は一時、皇家の預かりとしてある程度は健全化を図る。最終的に領地をリンゼイル伯爵家に戻すのか、リンゼイル伯爵家を領地を持たぬ俸給だけの家にするのかは、彼女に選ばせる。伯爵としての俸給はそれなりにあるから、ラフィーネが生きていくには十分だろう」
「彼女の次の代はどうお考えですか?」
「彼女が結婚する時に爵位を持っていくのなら、領地は戻す。彼女の子供にでも与えればいい。次代を望まない、もしくは爵位を持っていかないというのなら返上すればいい。どちらにせよ、彼女次第だ。だが、リンゼイル伯爵家は彼女の子供にしか継がせない。養子は却下だ」
「養子という手を残しておくと、彼女の父親か兄からの横槍が入りそうですね」
「あぁ、兄の子供か分家の者を養子にしろとか言い出すだろうな。却下だ、却下。ほしいのは使える伯爵だからな」
そこまで言うと、ユージーンはふっと表情を和らげた。
「ヴァッシュ、ここからは従兄弟としての会話だ。で、ラフィーネとはどうなんだ?」
「……お前が恋バナに興味があるとは思わなかったぞ」
「その顔で恋バナとか言うな。心配してるんだよ。女性に興味のきの字もなかったお前が、ラフィーネと上手くやれているのかな」
「…………今の彼女に、そこまで考える余裕はないだろう。突然、実家が潰れそうな危機に陥っていて、しかも父親か兄が彼女に危害を加える可能性がある。おかげでどこに行くにも騎士の護衛付きだ。精神的疲労は相当なものだろう」
この従兄弟がこんなに心配そうな顔をして女性のことを語る姿を、ユージーンは見たことがなかった。
父である先帝を隠居させるのに必死になっていた頃、ヴァッシュの元には何度も女性が送られてきていた。ヴァッシュを骨抜きにするつもりだったのか、情報だけ抜き取りたかったのか、何にせよ様々なタイプの女性が彼に近付いてきていた。
その全ての女性を冷たくあしらっていたヴァッシュがこうして女性の心配をする姿は、中々新鮮なものがある。
だが、部下のことや敵対する者たちについては鋭く色々と気が付くくせに、好きな女性のことになると鈍るらしい。
「ラフィーネは多分、気が付いているぞ?」
「俺の気持ちに、か?」
「まぁ、確信はないだろうが、何かあるな、くらいは思っているだろうよ。それに、俺たちもちょっとおかしな動きをしてしまったしなぁ。お前が彼女の護衛に就くと言い出した時に、止めるべきだったな」
苦笑するユージーンに、ヴァッシュも苦笑した。
「いくら伯爵令嬢とはいえ、皇宮の侍女に騎士団長が護衛に就くのは無理があったか」
「無理すぎたな。おかげで皇宮勤めのほとんどの人間が気が付いた」
「……追い込みたくなかったんだが……」
「喜んでいるやつの方が多いだろう。ただでさえ皇家の血を引く人間は少ないんだ。本当なら、俺にもお前にも成人してすぐに結婚してほしかったんだろうが、あの頃そんなことをしていたら相手の命の方が危なかっただろうな」
「あぁ、少しでも気のある女性がいる素振りを見せていたら、徹底的にその女性を利用することしか考えなかっただろうからな。たとえそれで女性が壊れても、先帝陛下にはどうでもいいことだったはずだ」
先帝は、ユージーンやヴァッシュが困ることなら、喜んでやっただろう。
そういう性格の持ち主だったからこそ、離宮に押し込めたのだ。
国内のゴタゴタを抑えて帝国が纏まった今、ユージーンもヴァッシュも、ようやく自分のことを考えられるようになってきた。
「オーレリアは他国の出身だからな。お前には国内から、と思っていたところに、リンゼイル伯爵家の令嬢にどうも気があるらしい、という噂があいつらの間を駆け巡ったようで、逃がしてなるものか、という勢いらしいぞ。だが、大前提として、お前とラフィーネの気持ち次第、というところはある。もし、ラフィーネが嫌がるようなら、あっちは俺が抑えるから好きにすればいい」
「それでいいのか?とういうか、ラフィーネの方が嫌がる前提なんだな」
「嫌っている相手に無理矢理嫁がしたところで、冷え切った家庭しか思い浮かべられん。そんな状態だと子供が出来るかどうかも怪しいもんだ。一族を増やしたいというのに、全く真逆なことをやるなんざ意味がない」
「同感だ。……今回のことが終わったら、ラフィーネに話そうと思っている」
「上手くいくことを願っているよ。あと一つ言っておくが、お前がラフィーネのことを好きだということは、お前を見れば誰でもすぐに理解出来るからな」
「……気を付ける」
そんなあからさまに態度に出ていたのだろうか、と思いながら、ヴァッシュは執務室から出て行ったのだった。




