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ラフィーネは、疲れていた。
騎士団長様は、トーゴの言う通り狐に憑かれたとでも思えば……でも、彼の存在を意識してしまう。
常に護衛が傍にいるということは、それだけ自分が危うい状況にいるのだという証拠のようで、無意識のうちにいつも以上に危機意識が働いていた。こっそりと周囲を窺っている自分に気が付いて、何だか嫌になった。
それに来るのは間違いなく兄だ。
兄と対峙しなければいけないという事実が、さらにラフィーネを疲れさせていた。
兄がラフィーネの話をまともに聞くとは思えない。
聞かないくせに、何とかしろと丸投げするに決まっている。
本来なら伯爵家の当主と跡取りなのだから、自分たちの方こそ伝手やら何やらがなければいけないのに、正直に言うと彼らのそれは薄い。
伯爵家のくせに領地の大部分を売ったり借金をしたりしていることが後ろめたいのか、父は政権の中枢を担っているような家ではなく、その周辺でこそこそ隠れている家の人間とばかり付き合っているし、他国に行っていた兄は帰って来てから昔の友人たちに連絡を取ったそうだが、いずれも当たり障りのない返事しか返って来なかったと愚痴っていた。
兄のことを本当に友人だと思っていた人間はどれだけいたのだろう。
先日、兄的には友人だと言っていた人物と皇宮でたまたま会った。
向こうは財務局の役人になっていたのだが、少しだけ会話をしたことがあるだけの同級生にも手紙をくれるとは律儀な兄君ですね、と苦笑していた。
同級生ということは、兄の少々ずれた感覚のことを知っていたのだろう。
嫌みというよりは、相変わらずですね、というような言い方だった。
そして、あの兄君ではあなたも大変ですね、と言って飴をくれた。
飴の甘さがとっても心に染みた。
財務局の役人なので今回の監査のことも知っていて、ちょっとした同情もあったのだろう。
そういうことの積み重ねで、何だかんだラフィーネは疲れていた。
「疲れているようだな、ラフィーネ嬢」
「……えぇ、まぁ」
ヴァッシュの気遣うような眼差しが、何だか心に刺さって痛い。
早く来てほしい。
何なら、今すぐにでも。
兄に何を言われたところで、無理だと断るだけの簡単なお仕事のはずだ。
後のことは、全て宰相室の面々が請け負ってくれるのだから。
そう思っていても、兄の方がこちらの都合良く動いてくれていないようで、オルフェからの情報によると、先に貴族院の議員たちの屋敷を訪ね歩いているようだ。
ただし、上手くいっているとは言えないようで、兄が訪ねた家からの陳情などはない。
皇帝陛下が本気であることを中枢に近い貴族たちは知っているので、よほどの家でない限り救う価値がないというのが彼らの本心だそうだ。
「……各家に頼るのは諦めて、早くこっちに来てくれないかしら……」
「無理だな。リンゼイル伯爵が知っているのは、賄賂で何とかなった時代のやり方だけだ。実際、当時はそれで何とかなっていたしな。君の兄が父親から言われてこちらに来ているのなら、まずは同じ方法を取るだろう」
「陛下にそんなことが知られたら、思いっきり笑われて捕まえられますね」
「そうだな。陛下の命令を賄賂で何とかなると思っているというあたりは、陛下の笑いのツボだろうな」
案外、皇帝陛下の笑いの沸点は低そうだ。
「いつ来るのかいつ来るのかと待ち構えてしまっているので、私自身に余裕がないと言いますか……。精神的な疲れが、そろそろ身体にも影響しそうです」
「十日の予定だったが、間に合うかな?」
ヴァッシュの護衛期間は十日間。
リンゼイル伯爵家から皇都に出てくる日数を考えても、余裕の日程のはずだった。
それなのに、兄が他所の家を巡っているので、時間がかかってしょうがない。
「……まさかと思うが、君の兄は君の存在を忘れているのか……?」
「……え……?」
顔を見合わせて、二人同時にその場で固まった。
言葉に出してしまったヴァッシュも、まさかという顔をして固まっていた。
……そんなこと、あるのだろうか?
普通に考えれば後宮で働くラフィーネは、ある意味、権力の中枢に近い位置にいる。家としては利用価値の高い娘のはずだ。
何なら、真っ先にラフィーネのもとに来てもいいはずだ。
ノアもオルフェも、そしてヴァッシュもそう考えたからこそ、騎士団長自らが護衛しているのだ。
けれど現実には、待ち構えているのに中々来ない。
「……すみません、ヴァッシュ様。ひょっとすると父と兄は、私が侍女として働いているのは分かっていても、それが当主と嫡男である自分たちよりもよっぽど陛下や他の方々に近い場所にいるのだということに結びついていないのかもしれません……」
「あぁ、そういうことか。今の皇宮事情を知らない者たちが考える侍女とは、その他大勢ということか。百人単位で侍女やメイドがいたかつての後宮を知る者からすれば、ただの侍女など大勢の中の一人であって、直接陛下に会うことなど出来ず、宰相補佐に呼び出されたりもしない、家の役に立つかどうか微妙な線、といったところか」
実際には、ラフィーネは皇帝ユージーンや皇妃オーレリアにほとんど毎日会うし、侍女の数も少ないので、たまに各部署に手紙や書類の配達にも行ってはお菓子をもらっている。
なので、それなりの地位にいる方々とは小さくだが繋がっているのだが、父や兄はそのことを知らない。
「いくら名ばかりとはいえ、貴族として情報不足中ってどうなのよ……」
ラフィーネが疲れる原因が、さらに増えたのだった。




