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「デリック殿を外へ出したいと?」
「そうだ。デリックはフレストール王国から帰ってきたばかりで、まだ伯爵家の仕事は大してしていない。監査のことは私一人で済む。このままでは伯爵としての仕事が滞るのでな。デリックを私の代理にして、取引きなどを行いたい」
「……そうですか」
監査役の文官にリンゼイル伯爵がそんなことを言ってきたのは、翌日だった。
なぜかリンゼイル伯爵は言えば簡単に息子を外に出せると思っているようだが、正直に言ってそんなことを許したら、どこで誰と連絡を取り合って口裏合わせをしたり書類の破棄などされるか分かったものではないので普通は許さない。
向こうが身分を盾にしようものなら、こちらは皇帝陛下からの命令ということを前面に出して、許可は陛下に取ってくれと言うだけだ。
文官は、最初は許可を出す必要はないと判断したのだが、リンゼイル伯爵家に行くように命令を出した時の皇帝陛下の何だか不自然なまでのリンゼイル伯爵家の内情説明や、その隣でにこやかに笑っていた宰相補佐室の上司のノアの顔を思い浮かべて、考えを改めた。
あの顔は、伯爵と長男をまとめて排除したいってことだよな?
そうなると、この家で残るのは侍女のラフィーネ嬢か……。
あれ?ラフィーネ嬢って確か、わざわざ騎士団長が護衛するって言ってたよな。
えーっと、オルフェの時に出会ったとか何とか?
あー、えー、そういうこと?
ラフィーネ嬢って、騎士団長に狙われてたりするの?
他の人間が彼女の傍にいることすら嫌だって、なかなかだよな。
今回の監査で、地位に相応しくない者として排除する対象に騎士団長の想い人の身内が入っていたから、彼女が嫁いだ後、公爵家にリンゼイル伯爵が何だかんだと寄生しないように徹底的にやりたいってことでいいですか?
わー、すっごく陛下に愛されてますねー、騎士団長。
伯爵自身は監査だけで隠居くらいまでもっていけますが、他国に行っていた息子さんは確かに微妙なので、当主の交代で済ませられる可能性もありますもんね。
息子さんの方は、別件でのやらかしが必要なんですね。
了解しました!
真面目な顔をしながら内心で皇帝とノアのにやっとした笑顔の真意を読み解いた文官は、その顔のまま口を開いた。
「その仕事は、あなたかご子息の判断が必要なのですね?」
「そうだ。他家の方との共同の仕事もある。それに仕事が滞っていては、民のためにもならない」
「……確かにそうですね。分かりました。ご子息の拘束は解きます。ただし、どこで何をしてきたかの報告はしていただきます。いいですね」
「あぁ、かまわん」
許可が出たリンゼイル伯爵は、伯爵である自分に対する不当な扱いについて、絶対に抗議してやると考えていた。
それに報告だと?そんなもの、適当に言えばいいだけだ。実際、商人には会うしな。
チラリと文官を見たリンゼイル伯爵は、こいつの言うことを聞くのはもう少しの間だけだ、と思っていたのだった。
ラフィーネ以外にも、皇宮で働く人間の内、今回の監査対象の家の者たちは、それぞれが護衛の騎士に守られていた。
女性だけではなく、男性でも非力な者には護衛がついており、あちらこちらで妙な二人組が出来上がっていた。
鍛えられた騎士に守られている非力な文官や女性の姿に、それを見た一部の人間が妄想のたくましさを披露していていたが、ほとんどの者たちは真面目に仕事をしていた。
護衛がついていようが、仕事はなくなってくれないし、待ってもくれない。
護衛中だが手が空いているのならと、書類整理を手伝わされている騎士たちもいた。
書類系が得意な騎士の中には、ぜひ文官に転向してくれと口説かれている者もいたが、さすがにラフィーネの護衛についている人物に侍女に転向してくれとは言えない。
妙に紅茶を淹れるのが上手くても、騎士団長様は公爵だ。
「……すごく美味しいのですが、どなたに習ったのですか?」
休憩時間に、なぜかヴァッシュに紅茶を淹れてもらえることになったのだが、淹れてくれた紅茶がびっくりするぐらい美味しかった。
何なら、ラフィーネの方が下手な気がする。
「昔から紅茶が好きだったから、自分でいつでも好きな時間に飲めるように母に教えてもらった。母に、覚える気があるのなら中途半端なままでは許さない、最高に美味しい一杯を淹れなさい、と言われてね。けっこう必死で練習したんだ。合格点をもらえるまでが長かったな」
「そのおかげでこうして美味しい紅茶をいただけているので、感謝しかありませんね」
「おかげで男だらけの騎士団の中でも、美味しく紅茶が飲めているからな。最初の頃は一人で飲んでいたのだが、最近だと紅茶目当てに俺のところに来るやつらもいるんだ」
報告があるから、と言って部下でもあり昔からの知り合いでもある者たちが、騎士団長室に来ては紅茶を飲んで帰っていく。
まぁ、紅茶を飲んでいく余裕があるということは、皇都や皇宮が平和で暇なことなので、良いことではある。
とはいえ、皇宮に監査対象の家の者たちがちらほら姿を現し始めていた。
中には皇宮で働くメイドの一人に接触して、何とか高位貴族へ取り次いでくれ、とすがってきた者もいたそうだ。
メイド自身はそんな伝手はないと断ったそうだが、自分たちだけでも助かりたいという思惑が透けて見えたので少々うんざりした、と休憩室で愚痴っていたので、ラフィーネはそっと温かい紅茶を差し出した記憶がある。
「……うちから来るとしたら、兄だと思います。さすがに父は来られないのでしょうから」
「ふむ、フレストール王国で剣術の一つでも覚えて帰ってきたのなら、軽く試合をしたいものだな」
にやりと笑ったヴァッシュにラフィーネは、ちょっとだけ、兄よ逃げろ、と思っていたのだった。