⑳
読んでいただいてありがとうございます。
その朝は、いつもと変わらなかった。
リンゼイル伯爵は、息子のデリックと娘の嫁ぎ先について話をしていた。
「ラフィーネの嫁ぎ先だが、ヌークス子爵家にしようと思う」
「父上、ヌークス子爵家の嫡男は結婚式の日に振られたんでしょう?ったく、ラフィーネも情けない。たかがメイドに婚約者を寝取られるなんて」
デリックが鼻で笑うと、父も苦笑いをした。
「まぁ、ラフィーネに魅力がないのは仕方ないからなぁ。だが、リンゼイル伯爵家の名前はそれなりに価値がある。それに勘違いしているようだが、ラフィーネはヌークス子爵家の嫡男ではなくて、ヌークス子爵本人に嫁がせるつもりだ。子爵の妻はすでに亡くなっているから、後妻に入れる。ヌークス子爵もラフィーネのことは気に入っていたから、上手くやるだろう。あそこはその嫡男がどうもおかしなことになっているから、ラフィーネが後継ぎになりそうな子供でも生んでくれればそれでいい」
ヌークス子爵がラフィーネを気に入っていたのは、出来の悪い嫡男を支えて家を盛り立ててくれるであろう才能をラフィーネの中に見いだしていたからだ。
けっして、リンゼイル伯爵の思うような理由ではないのだが、ラフィーネのことを下に見ているリンゼイル伯爵は、どうせヌークス子爵も若い娘がいいのだろうと勝手な解釈をしていた。
そしてそれは、ヌークス子爵に会ったことのないデリックも同じだった。
「ラフィーネの使い道はそれくらいしかないしな。後妻でも嫁ぐ先があれば幸せでしょうよ」
「うむ、お前もそう思うか」
ついでにラフィーネの支度金という名目で、ヌークス子爵に金を出させよう。
当然、その金は自分たちで使うつもりでいる。
つい先日、友人からいい投資先を教えてもらったばかりだから、そこに投資してリンゼイル伯爵家を立て直さなければ。
とはいえ、何も持たせないとさすがに文句を言われそうだ。仕方ないから、ラフィーネには既製品の安いドレスの一枚でも買ってやればいいだろう。
大丈夫だ。これですべて上手くいく。
名ばかりの貧乏伯爵家と笑われることなく、堂々と生きる自分たちを夢見て、リンゼイル伯爵はうっすらと笑った。
「なら、手紙を書いて……」
「旦那様!大変です!」
ちょうどその時、いつもなら丁寧なノックをする執事が、ノックもせずに大慌てで部屋に入って来た。
「どうした?」
「お、皇宮の役人の方が」
「失礼」
執事が言い終わる前に、数人の騎士を従えた文官が部屋に入ってきた。
「誰だ?無礼だろう!」
デリックが声を荒げて文官に向かって行こうとしたが、騎士が素早く剣を抜いてデリックを牽制した。
剣先を向けられたデリックの顔がみるみる青ざめた。
「お静かに」
リンゼイル伯爵は、その騎士の制服に見覚えがあった。
あまり皇宮に行くことはないが、それでも皇帝主催の晩餐会などには何度か行ったことがある。
その制服を身に纏うことを許されているのは、皇帝直属の近衛騎士団のみ。
「デリック!その方々は近衛の騎士だ。下がれ!」
近衛ということは、皇帝の命令でここにいることになる。
皇帝の命令で来ている以上、今ここで反発するのは得策ではない。
「リンゼイル伯爵ですね。皇帝陛下のご命令により、今から伯爵家の監査をさせていただきます。こちらが正式な命令書です」
文官がリンゼイル伯爵に見せた物は、間違いなく皇帝の命令書だった。
近衛騎士も来ている以上、もしここでリンゼイル伯爵が偽者だとでも言おうものなら、すぐに捕まってしまう。
悪いことはしていないはずだ。監査を受ける理由だってない。
「わ、我が家に監査など、何かの間違いではありませんか?」
本物の命令書であることは間違いないが、きっと行き先が間違えているのだ。
リンゼイル伯爵家に監査など必要ないはずだ。
「いいえ、間違いありません。リンゼイル伯爵家が監査の対象です」
「しかし、我が家は税などもきちんと納めておりますし、横領などもしておりません」
決められた税金は納めているが、横領出来るような金もない。
友人たちの誘いにのって簡単に投資などはするが、小心者ゆえにこれといった悪事に手は出さない。
「リンゼイル伯爵、貴族の仕事は税金を納めるだけではありません。適切に領地を治められているかどうかも、監査の対象になるのですよ。リンゼイル伯爵家はここ数代、領地を次々に手放していますね?」
「そ、それはそうですが、残された領地は……」
「残っている領地の規模から考えると、リンゼイル伯爵家はすでに伯爵家として体を為していません。それにご子息の留学費用、これはどこから出たのですか?」
「確かに知人にお金は借りました。けれどそれもすでに返済が終わっています」
「……残念です、リンゼイル伯爵」
ここで正直に、娘を売ったけれど婚約破棄の賠償金で相殺になった、と言えればまだマシだったかもしれないが、あたかも自分の手で借金を返済したというような口調では、どうにもならない。
「その辺りも含めて、全て調べさせていただきます。書類を隠したり破棄した場合は、即座に拘束させていただきますので、ご注意ください」
ちらりと横を見ると、執事が青ざめた顔で出て行こうとしていたのですぐに釘を刺した。
「もう一度、お伝えしますが、今回の監査は皇帝陛下からの命令によるものです。場合によっては罪人になることもありますので、ご注意ください」
鋭い目つきの役人に、リンゼイル伯爵とデリックは無言で頷いたのだった。