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読んでいただいてありがとうございます。
「今日からよろしくお願いいたします」
「あぁ、しばらくくっついていることになるが、俺のことは置物だとでも思ってくれ」
「……はい」
ヴァッシュの言葉に、こんな置物いらないです、と断りきれなかったラフィーネは、ちょっと顔が引きつりそうになりながらも、微笑んで返事をした。
ヴァッシュを狐と思えというトーゴからの提案は、絶対に無理だ。
たとえ、ヴァッシュに狐耳があったとしても、可愛く思えない。
それくらいなら、私の方が狐耳は似合うはず。あと、やっぱり尻尾もほしい。
ではなくて、やはり騎士であり公爵でもある男性を狐男子だと思うのは無理があると思う。
本人からの提案である置物と思うことなんて、もっと出来ない。
「明日、一斉に各家に監査が入る。当然、リンゼイル伯爵家にもだ」
「はい。分かっています。うちはとっくの昔に名ばかりの貧乏伯爵家になっていますから、男爵に落ちたところでたいして変わりませんよ。というか、家が残るかどうかも怪しいですけど」
「どこまで落ちるか分からんが、領主としての能力が低いだけならば、男爵に落ちても家は残るはずだ。家によっては当主の交代で済ませるらしい。新しい当主は陛下からの指名になるので、今の当主の意向は反映されない」
「それって、嫡男がダメな人でも次男が優秀なら、陛下の命令で次男に継がせることで家を保たせるということですか?」
「あぁ、陛下とて無闇矢鱈と家を潰したいわけではない。潰したら潰したで、後が大変だからな。ぬるま湯に浸かりまくっていた者たちを交代させたいというのが本音だな。場合によっては分家の人間を入れるそうだ」
ラフィーネの父親やそのちょっと上くらいの年齢の人たちは、平和と横領に慣れ親しんで生きてきた。
何かあっても、有力者に袖の下を渡せば何とかなる時代をぬるっと生きてきた。
もちろんそうではない人間もいたが、大半は閑職に追いやられていた。
それを拾い上げたのが、今の皇帝だ。
先代の皇帝を退位させた後、徐々に要職の人間を入れ替え、有力貴族を様々な方法で味方に付けたが、それほど影響力を持たず追従していただけの下位貴族やラフィーネの家のように名ばかりの貴族の家はとりあえず放置されていた。そこに今回、一気に手を出すことにしたようだ。
「まぁ、娘の私から見ても、父のどこに伯爵要素があるのか分かりませんから。爵位を持つ方には、それ相応のことをしてほしいです」
皇宮で働く貴族を見てきたラフィーネからしてみれば、父に全く伯爵としての能力がないことは理解出来ている。そうでなくても、色々とやらかしているのだ。
少ない領地なのにまともに管理が出来ていないし、かといって皇宮で仕事をしているわけでもない。
騎士や文官として働きながら自分の領地のこともしっかり管理している皇宮で働く貴族の方に比べたら、何とも情けない父親だ。
今、隣にいる騎士団長様なんて、騎士団を統率しながらも広大な自領を管理している超有能な人物だ。
もちろん、各地に代官や管理官などを置いてはいるだろうが、それでも最終的な判断を下すのは当主の役目だ。管理官などが不正をしないように、書類の最終確認をするのも当主の役目になる。
その能力のほんのちょっとでいいから、父に分けてほしい。
「あの、騎士団長様は」
「ヴァッシュだ」
「はい?」
「俺の名前は、ヴァッシュだ。そう呼んでほしい」
「……え?……」
トーゴやオルフェにも同じようなことを言われたが、彼らは同級生で友人になった(?)ので素直に名前で呼べた。
けれど、今は護衛に付いてくれているとはいえ、地位も爵位もものすっごく上の騎士団長様を名前で呼べと言われても、素直に、はい、とは頷けない。
名前で呼んだら、絶対にそこら辺からどこぞのご令嬢が湧いて出てくる。
そして、絶対に絡まれる。
すでにトーゴ関係で一度絡まれたのに、騎士団長様関係でさらに絡まれたくない。
これって、ひょっとして私が二股かけてるとか、男好きの悪女とか噂されたりしないだろうか?
そんな噂が立ったら、もう諦めるしかないけど。
下手な言い訳しても絶対に聞いてもらえないし、曲解されるだけだ。
というか、そんな噂が立った時点で、セオリツ国の全権大使であるトーゴとトリアテール公爵を、二股かけられた男とか悪女に引っかかった男として馬鹿にしていることになるので、初めに言い出した人とか噂を広げた人とかが絶対に後で困ることになるのだけれど、やりそうなお嬢さん方はそこのところを理解出来るのだろうか。
後で、ごめんなさい間違っていました、と頭を下げたところで各家の当主が許さないと思う。
そんなことをものすごい速さで考えて現実逃避していたラフィーネは、ヴァッシュに名前を呼ばれて現実に戻ってきた。
「ラフィーネ嬢?大丈夫か?」
「あ……は、はい。あの、それでですね、騎士団長様」
騎士団長様と呼ぶと、ヴァッシュがじっとラフィーネを見てきた。
「…………ヴァッシュ様」
「何だ?」
名前を呼ぶと、ヴァッシュがふっと笑った。
こんな顔を見たら、さらに突進するお嬢さん方が増えるのではないだろうか。
ラフィーネの頭痛の種は増えていくばかりだった。




