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オルフェに連れられて来たのは、当然宰相室だった。
「……胃が、胃が痛い」
これから何を聞かれるのかを思って、ラフィーネの胃がじくじくと痛んだ。
「後でよく効く胃薬をあげるよ」
「え?常備してるの?」
「必需品だからね。僕はあまり必要ないけど他の人はいるって言うから、宰相室には常に置いてあるんだよ」
「……でしょうね」
きっと胃薬を必要としているのは、この上司たちにギリギリの線で仕事をさせられている部下たちだ。
皇宮全体で人手不足なので、ちょっとでも出来ると判断された人間は、各部署で引っ張りだこになる。
侍女だって一時期はそれなりにいたのだが、ラフィーネが働き始めてちょっと経った頃に、皇帝ユージーンが皇妃にオーレリアを据えて他の妃たちを家に帰したので、今は人数がずいぶんと減った。
後宮の予算がずいぶんと浮いたと財務大臣に喜ばれた出来事だった。
人数が減れば、当然、仕事量は多くなる。
政務系と侍女とでは人手不足の理由が違うけれど、どちらも足りていない。
「もう少ししたら、どこの部署にも人が入る予定だから胃薬の量も減ると思うんだけど、それまでは全員の胃が保つことを祈るしかないかなー」
あはははは、と無邪気を装って笑う悪魔がいる。
「ラフィーネ、あの人たちだって長年宰相室にいるんだよ?腹芸は皆、得意だって」
「あー、そういえば、平気で陛下に文句を言う集団だっけ?」
「そうそう。間違っていると思えば、誰であろうと平気でたてつくよ。その後、胃がぁ!って叫んでるけど」
「そうね。別問題で胃が痛い私とは違うわね」
仕事上の胃痛と家族関係の胃痛、どっちがマシだろう。
「一生ものの胃痛になるのかしら。頭も痛くなるから嫌なのよね……」
「頭痛薬も常備してあるから大丈夫だよ」
「……全然、嬉しくないわ」
というか胃痛と頭痛で違う薬を用意してあるんだ。まとめて痛み止めとかじゃないんだ。
特化型の薬に、皇宮薬剤師の意地を見た気がした。
「さぁ、ようこそ、宰相室へ」
オルフェが開けた扉には、きっと『全ての希望を捨てよ』と書いてあるに違いない。
そんなことを思いながら、重たい足取りで宰相室へと入った。
ラフィーネが宰相室に入るのは、本当に久しぶりだった。
普段はそこまで接点がないし、最近は宰相室へ行かなくてはいけない時は、リディアーヌが行ってくれていた。リディアーヌは恋人を見られるので喜んで行ってくれているので、こちらとしては助かっている。
中は思ったよりは片付いていた。
「あら、綺麗にしてるのね」
「汚くしていたら、本当に書類が行方不明になるからね。ノア様、ラフィーネ・リンゼイル伯爵令嬢をお連れしました」
オルフェに促されてラフィーネが前に出ると、ノアがにこやかな笑顔で対応してくれた。
胡散臭い、と思っても言葉には出せない。
「ようこそ、ラフィーネ嬢。急に呼び出してすまなかったね」
「とんでもないことでございます。帝国の平穏のためならば喜んで」
「悪いね。じゃあさっそく話を聞きたいからこちらへ。オルフェも来るんだ」
「はい」
宰相室から扉一枚で繋がっている隣の部屋には誰もおらず、紅茶を淹れる用意だけがしてあったので、まずはラフィーネが三人分の紅茶を用意した。
「ありがとう。さて、そんなに固くならなくていいよ。君自身には何の落ち度もないことは分かっているから。それにここでの話は外にはもらさない」
ノアの目の前に座らされたラフィーネは、緊張で身体がガチガチに固まっていた。
「すみません。父と兄が何をやらかしたのかを聞くのが怖くて……」
「……まぁ、色々?とりあえず、こちらで調べたことの確認をさせてもらっていいかな?」
「はい」
「元々、リンゼイル伯爵家の土地は徐々に減っていっていた。これは、君の先祖が売ったりして減らしていったからだ。そうだね?」
「はい、間違いございません。理由は様々ですが、土地を売ったことに変わりはありません」
「そして、問題の君の父親だ。友人とやらからの投資話に乗った結果、だまされて大損し、残っていた土地の大半を売った」
「はい、そうです」
「さらに君の兄が留学するための費用をヌークス子爵に借り、その借金のために君はヌークス子爵の息子と婚約をした」
「そうです」
事実なので、肯定しか出来ない。けれど、改めて他人の口から聞かされると、何だかなぁ、とため息を吐きたくなった。
何にも包まずに言ってしまえば、父は息子の留学費用のために娘を売り払ったのだ。
伯爵家としては、本来なら外聞が悪すぎる話だ。
けれど、父にそんな気持ちはなさそうだった。
「君と婚約したドミニク・ヌークスは、約三ヶ月後にとある女性と恋に落ち、君との婚約を破棄した」
「おっしゃる通りです」
「あー、あの時、噂になってた能無し判定機に引っかかったのがラフィーネの婚約者だったんだ」
学生時代にちょっとした噂になっていたことを思い出したのか、オルフェがうんうんと頷いていた。
「彼、見事に判定機に引っかかって、能無し判定を受けていました。ヌークス子爵は止めていたのですが……」
「親が傑物だったとしても、その資質が子供に受け継がれるわけじゃない」
「正直に言うと、ヌークス子爵と二人でため息を吐きまくりました。ヌークス子爵とは、戦友の気分でした」
「ヌークス子爵自身はやり手の商人なのだが、確かに息子にいい噂は聞かないな。話の続きだが、婚約のことはまだ発表していなかったが、慰謝料と相殺という形で借金はなくなった。一年ほど経った頃、またもや君の父親は友人にだまされて借金を負った」
「話を聞いた時から、どうせ詐欺だろうと思っていました」
「案の定、というやつだな。どうしても君に家に来てほしかったヌークス子爵がその借金を肩代わりする代わりに、再びドミニクと婚約を結び、結婚式を挙げた」
「正確には、挙げかけた、です。ウエディングドレスを着た私の目の前で、愉快な修羅場が展開されました」
「メイドに手を付け、子供が出来ていたそうだな」
「はい。ドミニク様と結婚の約束をしていたそうですから、その方との約束を守ってあげてくださいと言いました」
「結果、君は二度目の婚約破棄をした」
「同じ相手ですが。ついでに二度とも借金と慰謝料を相殺しました」
「今回の件で調べたが、その子供もドミニクの子供かどうか怪しいらしいぞ。ヌークス子爵家の誰にも似ていなかったそうだ。母親の方も段々派手な生活をするようになって子供を放置していたので、ヌークス子爵が引き取って育てているそうだ」
「子爵の方がまともな教育を施してくれそうですね」
「ドミニクも酒場に入り浸りらしい。子爵位は息子を通り越して孫に継がれるかもしれんな」
「ドミニク様では、身代を潰しそうですから」
血筋的に怪しくても、今から教育を施せば何とかなると信じたい。
ヌークス子爵はドミニクが子供の頃は忙しくて、あまりドミニクの成長に関わっていなかったらしい。
そのことを、ずっと後悔していると言っていた。
せめて彼に育てられた孫が優秀であることを願うばかりだ。
「ここまでは調査通りか」
「はい。異論はございません」
他人から聞かされた自分の人生のひどさに、ちょっと引いたけれど。
学生時代という短い期間に、二度も親の借金で同じ相手に売られて二度も他の女に奪われた人間も珍しいと思う。
「さて、ここからが本題だ。まず、ラフィーネ嬢、伯爵令嬢の肩書きがなくなって困るかな?」
「困ります。だって貴族じゃなくなったら、皇宮で侍女として働けませんから。お給料は侍女の方がいいんです」
皇宮で侍女として働くために伯爵令嬢の肩書きが必要だと言い切ったラフィーネに、ノアはくすりと笑った。
ラフィーネは、侍女として働ければ伯爵令嬢の地位には興味がない、様子だった。
場合によってはラフィーネにリンゼイル伯爵を継いでもらおうと思っていたのだが、本人はいつかきっとリンゼイル伯爵家がなくなるだろうということを、覚悟してるようだった。




