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読んでいただいてありがとうございます。
「監査を入れる?」
ヴァッシュの前で、ノアがにこりと笑った。
「はい。いくつかの家に同時に監査を入れます。なので、護衛をお願いします」
ノアが持ってきた皇帝からの指示書を確認すると、あまりいい噂を聞かない家の名前が並んでいた。
監査に入る理由がそれぞれ書かれていて、ある程度は調べてある。
「ふむ。爵位を落とすつもりなのか」
「落とすだけで済めばいいですが、内容次第では潰れるでしょうね」
「先祖の功績を自慢するのはいいが、子孫の自分たちが何をしているのか聞きたいところだな」
「隅々までしっかり調べさせてもらうつもりですが、場合によっては荒事になる可能性もありますので」
「貧乏な家はともかく、各家に護衛くらいはいるからな。陛下からの命令書がある以上、監査役に何かすれば反逆罪も適用されることは理解していると思いたいが、こういう者たちは爵位があるというだけで許されると思っていることが多い」
書類を読んでいくと、下の方にリンゼイル伯爵家の名前があった。
「……リンゼイル伯爵家も入るのか」
「ラフィーネ嬢の家ですね。ラフィーネ嬢は真面目に仕事をしてくれている優秀な侍女なのですが、あの家はここ何代か伯爵家に相応しい働きをしているかといえば、全くしていません。理由は色々あるようですが、借金などでほとんどの土地を手放しています。今では名ばかりの伯爵家となっています」
「そうか」
ノアは、ヴァッシュとラフィーネの間で何があったのか直接は知らない。
オルフェに聞いた限りでは、リディアーヌが危機に陥った時に、ラフィーネがヴァッシュを連れてきてくれたおかげで助かったということだけだ。
それ以来、ヴァッシュが彼女を気にしているらしいということを、小耳に挟んだだけだ。
だが、基本的に女性を避ける傾向にあるヴァッシュにしては珍しいと思っていた。
「ラフィーネ嬢と何かありましたか?」
「いや、何もない。だが……」
言いよどんだヴァッシュに、ノアはくすりと笑った。
「ヴァッシュ様が、そんな風に女性を気にかける日がくるとは思っていませんでした」
「仕方ないだろう。俺自身も驚いている」
「では、ラフィーネ嬢がセオリツ国の全権大使とも言えるトーゴ・ロクオン殿と親しくしているという噂は?」
「……聞いている」
本人に確かめる前に呼び出しを食らったので、まだ確かめていないが、一応、友人とは言っていた。
バーナードが調べたところ、ラフィーネとトーゴ、それからオルフェが同級生だったらしい。学園で親しくしていたかは分からなかったが、少なくとも今は友人の枠に入っているようだ。
「たまに夕食を一緒にとっているようですよ。毎回、きちんと部屋に帰ってきていますし、恋人というよりは本当に親しい友人といった雰囲気だったそうです」
「調べたのか?」
「監査に入る家の女性ですから、王都でおかしな動きをしていないかどうかは調べますよ。雰囲気に関しては、先日、ドロシーがラフィーネ嬢とトーゴ殿のことを見かけたそうで、あれは恋人同士ではないと断言していましたよ」
がんばっても友人までよ、と断言していた。最近、自分も含めて身の回りに恋人がいる人間が多くなってきたせいか、甘い雰囲気はすぐに分かるのだそうだ。
ただし、それは今は、というだけで、いつどういうきっかけで気持ちが変化するのか分からない、とも言っていた。
なので、出来ればヴァッシュには早めに動いてもらいたい。
「……ラフィーネ嬢とは、まだそこまで親しい仲ではない」
「仲なんて、いつどうやって変化するか誰にも分かりませんよ」
「そうだな。誰かのたった一言で崩壊する仲もあるな」
親友だった男のように。
かつてヴァッシュが信頼していた友人は、彼の恋人が放ったたった一言によってヴァッシュを裏切った。ヴァッシュに疑念を抱き、彼の言葉を信じられなくなり、最終的に恋人の言うがままに軍の内情を漏らしていた。
彼女は、当時ヴァッシュたちと敵対していた相手に情報を流していた。それも、小遣い稼ぎ程度のつもりで。それがどれだけ重要な情報なのかも理解せず、ただ自分が得をするために。
後の調査でそれが明るみに出た時、当然ながら親友は責められた。
責任がないとは言えなかった。
どうしてヴァッシュを信じられなかったのか、と悔やんでいた彼を、ヴァッシュはただ見ていることしか出来なかった。
ヴァッシュが悔やむ彼に何を言っても、彼は己を責めることを止めず、ただただ己を追い込んでいた。
今はもう、彼は帝都から姿を消した。
「リンゼイル伯爵家とラフィーネ嬢の関係は、けっして良くはないようです。それに、つい先日、彼女の兄が帝都に来ていたようです。フレストール王国に留学していたとのことなので、今、あちらでの様子がどうだったのか調べさせています」
「まともな兄ならいいのだが」
「どうでしょう?まともな兄なら、妹が働いているのに自分だけのうのうと留学しているとは思えませんが」
「……問題ありそうだな」
「陛下はラフィーネ嬢の働きには満足しております。場合によっては、リンゼイル伯爵家をラフィーネ嬢が継ぐことになるかも知れませんよ」
「……女伯爵か」
「下がる可能性は高いですが、家自体は彼女が継いでも問題ありません。あとは、現当主がどれだけやらかしているかによります」
「……分かった。その辺りも含めて、彼女にも護衛を付けよう」
「お願いします」
当然ながらヴァッシュは、彼女の護衛候補に自分を入れるつもりだった。