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読んでいただいてありがとうございます。ラフィーネさんの物語です。更新、ゆっくりめになります。
前作「それは当たり前じゃないから」が書籍化いたします。よろしくお願いします。
純白のウエディングドレスを着たラフィーネは、隣で青ざめている夫予定だった男性をチラリと見た。
結婚式が行われている最中の教会で泣き叫んで訴えているのは、彼の家のメイドだったと思う。
どうやら彼の子供を妊娠しているらしい。
「ドミニク様、あなたの子供がいるんですよ!なのにどうして!!約束したじゃないですか!わたしと結婚するって!!」
どうして、と言われても、元々ドミニクとラフィーネの結婚式がこの日で予定されていただけの話だ。
彼の家で働いていたら、嫌でも耳に入ると思うのに、どうしても何もないだろう。
おそらく、この男がラフィーネとは結婚しない、とか何とか言ったのだろう。
ドミニクがやらかすのはこれで二度目だ。
いくら政略結婚とはいえ、さすがに結婚式当日にこれはない。
一度目の時でさえだいぶ醜聞になったのに、懲りない男だこと。
まぁ、神様に誓う前でよかった、と思うべきか。
どうせラフィーネとの約束なんて、男は誰も守らないし。
「ドミニク様、その方との約束を守ってさしあげたらいかがですか?」
「ラフィーネ、彼女は……」
可哀想だったし、健気に生きてるから支えてあげたくて……などと、小さな声でぼそぼそと言っているが、本当かどうか分からないけれどお腹に子供までいる以上、ラフィーネはドミニクと結婚することはさすがに出来ない。
「……ヌークス子爵様、さすがに今回は無理です」
「あぁ、すまない、ラフィーネ嬢」
ドミニクの父であるヌークス子爵が険しい顔でラフィーネに謝った。
商売人らしくいつも柔らかな笑顔を浮かべているヌークス子爵が本気で怒っている様を見て、ラフィーネの怒りは冷めた。
幸いだったのは、今日の結婚式は身内だけの少数でやることになっていたことだ。
本当は、ヌークス子爵家が商売で成り上がった家なので、派手にやって話題になった方がよかったのだろうが、ドミニクが一度やらかしているので、まずは身内だけで結婚式を行い、時間をおいてから披露宴をやろうと計画していた。
何となく嫌な予感がしたので、ヌークス子爵を説得したのはラフィーネだ。
それが功を奏した。
「ほら、ドミニク様。そちらのお嬢さんはあなたの子供を身籠もってらっしゃるのですよ。これ以上、泣きわめくのは子供にも悪い影響を与えそうですよ。早く行ってあげてください?私のことはお気になさらず。後はヌークス子爵様と家同士の話し合いになりますので」
ヌークス子爵は顧客との信頼関係を大切にする商売人だが、ラフィーネが個人的な約束をしても守られない可能性があるので、家同士の約束にしておけば、反故にされることはないだろう。
ドミニクが何故かふるふる震えているが、泣きたいのはこちらの方だ。
「……やっぱり、誰も私との約束なんてどうでもいいのよね……」
小さな声で呟かれた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
結婚式の騒動から数年後、ラフィーネはバルバ帝国の皇宮で侍女をしていた。
理由は簡単で、ラフィーネの伯爵令嬢としての肩書きとマナーが生かせてなるべく給料が良い働き場所が皇宮だったからだ。
ラフィーネが生まれた家は、帝国の建国時からある名門のリンゼイル伯爵家。
母はラフィーネが幼い頃に病気で亡くなっているので、家族は父と兄だけだ。
ラフィーネは、簡単に『約束』という言葉を口にする男性が嫌いだった。
と言っても、別にラフィーネ以外の人と約束をする分には別にいい。その約束は守られるから。
ただしラフィーネと何か約束をすると、男性はそれを守らない。
何故か全員示し合わせたかのように、ラフィーネとの約束を守らないのだ。
覚えている限り、最初にラフィーネに軽い言葉で簡単に約束をした男性は父だった。
内容だって、すごく単純な子供らしいものだった。
父と庭を散歩する、ただそれだけの約束だった。
けれど父は約束の時間になってもラフィーネの前に現れることはなく、後で聞いたら急に友人と出かける約束をして、娘との約束よりもそちらを優先したのだそうだ。
これが一回だけならまだラフィーネは絶望などしなかっただろうが、何だかんだ理由を付けて、父はラフィーネとの約束を何度も守らなかった。
一年も経てば、ラフィーネだってもう諦める。
それ以降、ラフィーネから父と何か約束をすることはなく、むしろ一方的に父が約束をしたとしても、どうせ破られると思って父に期待などしない子供になった。
その次にラフィーネと約束をした男性は、兄だった。
兄は一度何かに夢中になると中々現実に戻って来なくて、夕飯の用意が出来たから呼びに行っても毎回のようにすぐに行くという返事をもらうが、実際には言葉だけですぐに来ることなんてなく、時には再度呼びに行くこともあった。その間、ラフィーネは待ちぼうけをさせられていたのだ。
だからラフィーネにとって、兄の言葉は信用出来ないものだった。
そんな兄だが、学生時代にフレストール王国へ留学に行きたいと言い出した。
学生交流の一環で交換留学の制度があり、それを利用して彼の国に行きたいと言い出したのだ。
腐っても伯爵家。交換留学生としては申し分がない。
問題は、リンゼイル伯爵家に金銭的な余裕がないということだった。
端的に言ってしまえば、貧乏伯爵家だった。
元はそれなりに広い領地を持っていた伯爵家だったのだが、長い年月の間に先祖たちが徐々に土地を減らしていき、止めは父だった。
友人とやらにだまされて、残されていた土地の大半を売り払ったのだ。
ラフィーネが何度止めても、父は友人を信じるとだけ言って、投資を止めなかった。
結果、父は何も得なかった。
大半の土地を失い、残ったのはほんの僅かな領地だけ。
それでも、贅沢をしなければ生きていけるくらいのお金は入ってくるが、まだ学生だったラフィーネは、将来は働きに出ようと考えていた。
そんな時、二歳上の兄が、留学をしたいと言い出した。
兄に対して見栄を張っていた父は、兄に何も言っていなかった。
最終学年となる一年間だけだから。そう言って兄は父に頼み込んだ。
『フレストール王国で色々と学びたいことがある。一年経ったら帰って来るから』
授業料は免除になるのでいらないが、生活していくためには家からの仕送りが必要になる。
熱心に頼み込んできた兄を留学させるために、父はヌークス子爵にお金を借りた。
その代償は、ラフィーネだった。
ヌークス子爵家はいわゆる商売人からの成り上がりの家で、彼の父の代に男爵から子爵に陞爵した。
数代前の先祖が金で男爵位を買って、戦争で帝国の補給を支えた功績で子爵位を得た。
歴史の長い高位貴族を相手に商売をするために、名門の家との繋がりを求めていた。
そして子爵は、貧乏伯爵家とはいえ、建国からあるリンゼイル伯爵家の名前と人脈に目を付けた。
兄のためにお金がいる父と、リンゼイル伯爵家の名がほしい子爵は、子供同士を婚約させることで一致した。
当然、そこにラフィーネの意志などない。
ラフィーネだって貴族の娘だ。政略結婚する覚悟は持っていた。
それが兄の留学費用のためというのが何とも情けない理由よね、と内心で思っていたが、表情には出さないように気を付けた。
そのお金を受け取った何も知らない兄がうきうきと留学して行った後、約束通り婚約し、何度かヌークス子爵家に行って交流を深めていたラフィーネは、そこでやっぱり約束は守られないものだと実感した。
ヌークス子爵は、商売人らしく柔らかな笑顔と鋭い視線を持つ人物だった。
その日、これからの予定を決めるために父であるリンゼイル伯爵とラフィーネは、一緒にヌークス子爵家に行く約束をしていたのだが、爵位が上の友人に呼び出されたとかでいつも通り来なかった。
ラフィーネ一人でも十分だろう、というのが父の言い分だ。
それに対してヌークス子爵は笑顔で、ラフィーネに会いたかったので問題はない、と言ってくれた。
商売人だけあって話も上手で、ラフィーネに対しても敬意を持って接してくれている人物だった。
この人が義父になるのなら悪くない、そう思えた人物だった。
だが、彼の息子は全く違った。
息子であるドミニク・ヌークスは、ラフィーネの一つ上の年齢で同じ学園に通っていた。
婚約して三ヶ月くらいは、ごく普通の関係を築けていたと思う。
会えば話をするし、贈り物もくれた。
多少、夢見がちな部分があるという感じはしたが、暴力を振るうわけでもないので、借金からの政略結婚としてはマシな方だとラフィーネはほっとしていたくらいだ。
時期をみて婚約を発表することになっていたので、婚約の話を知っている者は身内以外にいなかった。
ある日、ヌークス子爵とラフィーネが話しをしている部屋にドミニクが突然入って来たかと思ったら、まさかの女性連れだった。
「父上、俺はラフィーネとは結婚しません!彼女と結婚します!」
そう宣言したドミニクが連れて来た女性は、ラフィーネでも噂に聞いたことがある女性だった。
一つ上の学年に、言葉巧みに爵位とお金を持っている男性に近付いて寄生している下品な女性がいる。
次々に男性にしなだれかかって、もっと条件の良い男がいたらすぐに乗り換える。
近付いたら毒牙にかかる。
そんな噂が蔓延していて、最終的には、アレにしだなれかかられたら金持ちの証、でも堕ちたら能無しの証、とまで評されている女性だ。
もちろん、しなだれかかられた男性は隙だらけということなので、貴族として鍛え直してこい、という皮肉も込められている。
ラフィーネは口元がひくついた。
まさかの婚約予定者が能無しだった。
ラフィーネが口を挟む前に、子爵と息子で派手な言い合いが始まっていた。内容を聞く限り、ドミニクは真剣に彼女との結婚を考えているようだった。
いわれなき誹謗中傷を受けている可哀想な女性を自分が救うのだと、すごい剣幕で怒っていた。
自分が彼女を救う英雄になったつもりでいるのだろう。
稚拙な英雄願望を夢見たのだろう。
これが本当にただの誹謗中傷ならともかく、ラフィーネが知る限り、彼女は全て計算ずくでやっている。
ラフィーネ自身も、一度、婚約者を奪われた女性と彼女がもめている場面に出くわしたことがある。
男性の前とは違って、彼女はとても勝ち気な振る舞いをしていた。
当の本人は、その横で心配そうな顔をしつつも、時々口元がにやりと笑っているのを隠せていない。
この応接室を見回して、裕福な子爵家の息子を手に入れた喜びを隠せずにいた。
あれでは、これから先、子爵夫人としてやっていくのも厳しいだろう。
もはや他人事に成り果てたこの状況に、ラフィーネはただ見ていることしか出来なかった。
結局、婚約の話はなくなったので、ラフィーネは借金だけが残るのかとため息を吐きそうになった。
ただ、借金については子爵がなかったことにしてくれた。
「ラフィーネ嬢がドミニクに嫁いで来てくれていたら安泰でしたが、私の息子が思った以上に馬鹿でした。彼女のことはご存じですか?」
「えぇ、まぁ。有名な方ですから」
「私も噂は聞いていました。それもサロンで」
「それは……」
サロンということは、大人の間でもすでに有名な女性となっているのだ。
おそらく親は子供から聞いたのだろう。
「こちらからあなたへ婚約の申し出をしておいて、あの騒動です。リンゼイル伯爵家にお貸しした分は、今回の騒動の慰謝料ということでお受け取りください」
「ヌークス子爵様、よろしいのですか?」
「えぇ、ラフィーネ嬢にはご迷惑をおかけしました。家同士の約束を破ったのはこちらです」
家同士の約束を守られなければ、信頼は失われる。
たとえそれが貧乏伯爵家との約束だったとはいえ、それを破ったことは子爵家のダメージになるのだ。
お互いに今回の騒動のことは内密にする、性格の不一致での婚約破棄にするということを約束して、ヌークス子爵との縁はなかったことになった。
ところがドミニクはラフィーネと婚約破棄をして一年ほど経った頃、件の女性に捨てられた。
親や友人たちに散々注意を受けたのに、最後まで彼女を信じると言っていたわりには、あっさり捨てられた。
そして、自分が下品な女に引っかかった能無しと言われていることを知ったのだ。
あわてて誰かと婚約しようとしても、すでに噂は蔓延しており、ドミニクと婚約してもいいという家はどこにもなかった。
その頃、ラフィーネの父がまた借金をした。
今度は友人と共同で事業をするためだと言っていたが、ラフィーネはどうせすぐに頓挫すると思っていた。
案の定、お金を預けた友人とやらは失踪し、父には借金だけが残った。
ラフィーネは、今度こそ借金のために変な男に売り払われるのか、と覚悟をしたが、ヌークス子爵がその借金を支払うからドミニクと結婚してほしいと言ってきた。
ヌークス子爵はラフィーネのことを気に入っており、最悪、ドミニクとラフィーネの間に生まれる子供を後継者になるように育てて、ドミニクを廃嫡するしかないと決意していた。
ドミニクもさすがに反省して、以前のようなことにはならないと約束するから、と頼み込んできた。
さすがに貴族社会ではドミニクのことは知れ渡っていて、このままヌークス子爵家は次代で潰れるのではないかと噂されていたので、ドミニクも必死だった。
ラフィーネとしても、見ず知らずの変な男に売り払われるくらいなら、と覚悟を決めた。
こうして再び婚約し、何とか結婚式までこぎつけたのに、またもやドミニクはラフィーネを裏切った。
以前のようにはならないと、という約束はどこにいったのか。
いや、確かに状況的には以前のようにはなっていない。
何と言っても、今回はすでにお腹にこどもが宿っているのだ。
むしろ、ドミニクの醜聞が増えただけのような気がする。
「ラフィーネ嬢、今回もこちらが悪いので、借金はそのまま慰謝料ということに……。いや、それだけだとラフィーネ嬢に悪いですね、別で慰謝料をお支払いさせてください」
「お気になさらず、ヌークス子爵様。子爵様の義理の娘になれなかったことは残念ですが、ご縁がなかったということですね。……ふふ、私の父が借金をして、それを子爵様に払ってもらい、ドミニクがやらかしてしまうまでが一連の流れなのでしょうか?私だけが、振り回されていますね」
ラフィーネの自嘲気味な笑いに、ヌークス子爵が痛ましいものを見るような目を向けた。
「ラフィーネ嬢、僭越ながら、私にとってあなたは本当の娘のような存在です。もしこれから困ったことがありましたら、私にご相談ください。必ず力になるとお約束いたします」
「はい、ありがとうございます」
きっとこの約束も守られることはないでしょうね、とラフィーネは密かに思ったのだった。